66.【パトリシア・キンドレッド】旅支度


「――本当に、馬鹿な弟」


 半分に千切れてしまったウサギのぬいぐるみは、跡形もなく塵となって消えてしまった。


 これが意味するものは死。


 生まれた時から彼の心に巣食っていた悪魔ごと、ジェラシスは死んでしまったことを意味している。


「この様子だと、エドワードはまだ生きてそうね」


 そしてラグナ・ヴェル・ブレイブも。


 ジェラシスが負けることは、正直予想していた。


 あの子は甘い。


 だが、全身の主導権を悪魔に渡した状態ならば負けることはあっても死ぬことはないだろうと思っていた。


 結果は?


 死んだ。


 ピンクの可愛いウサギのぬいぐるみが黒く染まったことで、彼が魂を悪魔に渡したことがわかった。


 それはやめておきなさい、と言っておいたはずなのに。


 ……馬鹿な弟。


 でも言われたことを聞いて今まで生きてきたのだから仕方がない。


 少し悲しくはあるが、こんなことで立ち止まってる場合ではない。


「不味いわね、この紅茶」


 無駄に高いくせに、美味しくもない紅茶を飲みながら独り言ちる。


 イレギュラーは多数。


 夏が終わればやってくるであろうブレイブ領の消滅イベントは、恐らくラグナ・ヴェル・ブレイブが生きている限り起こらない。


 何のために、彼が介入してきたのかを考えれば自ずとわかる。


 それを踏まえれば悪魔に取りつかれたアリシアが起こした守護障壁の崩壊も、もう起こりえない。


「ま、そうなってしまったことならもうどうでもいいわね」


 あのジェラシスを殺せる存在は、ゲームの世界でアリシアが魂を売った悪魔なのだろうか?


 それだけは少し懸念点だけど、もはやどうでも良いことね。


 お馬鹿な男たちからすでに欲しかったモノは全て得ているのだから、今更どうなろうが私には関係ない。


 シナリオ通りに事を進めて、守護障壁を破壊して、それを新しく書き換えて、その後にエドワードの妻になる未来が確定すれば、道のりは遥かに楽だった。


 それだけ。


 たったそれだけ。


 元々歩く予定だった道は、そもそも道なんて呼ばれている代物ではなく色んな物を捨てて犠牲にして、それでこそ歩めるものだった。


 荷物をまとめる。


 エドワードルートを捨てる上で、この国に居続ける意味もない。


 逆ハーレムなんて、あり得ない。


 どいつもこいつもエドワードの顔色を窺って、なんとなくそれに合わせているような盲目たちだ。


 それでいて、少し身体を触らせてあげれば顔を赤くするようなガキ達にはうんざりする。


 嫌いだ、嫌いだ、嫌いだ。


 都合よく作られたこの世界が嫌いだ。


 それを享受する馬鹿な男たちが嫌いだ。


 全部、あの障壁が悪い。


 全部全部、あの障壁が悪い。


 それだけは必ず壊す、ぐちゃぐちゃになるまで。


 全てがぐちゃぐちゃになって、母なる海に還って、まっさらになってしまえばいい。


「壊してあげるのは貴方のためでもあるのよ、――辺境伯様?」


 窓の向こう、ブレイブ領の方角を眺めながら私は笑う。


 どこの誰かは知らないけど。


 元に戻ろうとする捩じれた運命の渦中にいる辺境伯。


 私がアレを壊す時、貴方はどんな反応を示すのかしら?


 障壁を守るのかしら?


 それとも黙って見ているつもりなのかしら?


「ふふん、楽しみね」


 どんな選択も私にとってはどうでもいい。


 都合が良いか、そうじゃないかの違いでしかない。


 傍目で壊れてしまった学園生活を見ることができないのはすごく残念だけど、今は次のことを考える。


 向かう先は、コンティネント公国。


 イグナイト家を通して、すでに留学という形を取り付けてあった。


 わざわざ雰囲気を装うために髪を染めなくても良い。


 染めるのは髪が痛むから嫌だった。


 傷んだ髪が抜けて枕元に散らばっている。


 金色に染められた髪の根元には、黒だったり白だったり。


 善も悪も何もかも、覆ってしまう、塗ってしまう。


 歪み狂ったこの世界にぴったりの三色。


「ねえ? コンティネント公国には綺麗な海があるのよ?」


 私は首元のペンダントに話しかける。


「海は良いわよ? あんな障壁なんかよりすごく大きくて、高い王城なんか沈んでしまうくらいすごく深いのよ?」


 赤い宝石が輝くペンダントを胸に抱きながら私は部屋を出る。


「すごく綺麗できっと驚くわよ? ――ジェラシス」



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