55.殿下の殿下は無事だが、上様はもう……。


 ――ゴゥゥゥゥゥゥゥ!


 アリシアが蟻が通れないレベルまで小さくした最奥入り口の向こう側で発生した全ての蟻を焼き尽くさんばかりの業火は、細い入り口によってまるでバーナーみたいな炎に変わる。


「ああああああああああああああああああああ!」


 入り口の正面に立ってウィンドブラストを詠唱しようとしていた殿下は、噴き出た炎を上半身にもろに直撃を受けた。


 強烈な叫び声はすぐに止んで、燃えながら仰向けにバタリと倒れた。


「……これは」


 炎の帯びる魔力に見覚えがある。


 そう――ジェラシス・グラン・イグナイトのものだった。


「ラグナさん! エドワード殿下が! 大変なことに!」


「コヒュー……コヒュー……」


 マリアナの叫び声を無視する。


 宣戦布告して来た時からいつ来るのかと思っていたが、今か。


 まるで計ったようなベストタイミングである。


「ひ、皮膚がでろんって……うわぁ……グロッ……」


「コヒュー……コヒュー……」


 マリアナの呟きを無視する。


 どこかで見ていたとするならば、蟻がざわつくはずだ。


 恐らく、殿下がちゃんと死んだか確認しにきたのだろう。


 まいったな。


 今の状況であの灼熱の魔人を相手にするのは、骨が折れる。


「アリシア! ど、どどど、どうしたら良いんですか!?」


「コヒュー……コヒュー……」


 俺に無視されたマリアナは、アリシアを頼っていた。


「死んでないなら良いんじゃないの放置でも?」


「えっ!? ほ、放置で良いんですか!?」


「ラグナもたいして気にしてないみたいだし?」


「さすがに可哀想なんじゃ……とりあえず治療しますね……」


 あまりにも塩対応すぎる俺たちの様子にげっそりとしながらも、マリアナはエドワードの傍で治療を始める。


 貴族と会えば気絶するほどのトラウマを抱えているマリアナでも、さすがにこの状況は気絶している場合じゃないらしい。


 良かったなエドワード、彼女が優しい子で。


 俺は正直、死んでても生きててもどっちでもよかった。


 普通の人間だったら蟻と同じように消し炭になってるレベルだ。


 あの炎をその身に受けて、それでもしぶとく生きているようならば、多分あいつは死なない。


 良かったなエドワード、高級な魔道具と上質な服を身に着けていて。


 身を滅ぼすような痛みは自己責任だが、死なずに済んだのはエドワードのことを大事に思っていた周りのおかげだぞ。


「うわっ、服が皮膚と……あれ、張り付いてない……へー、この服は耐火属性の繊維でできていて、燃えた時に内側に簡単な障壁を張るんですね? 大部分は消し飛んで大火傷ですけど、すごいですね、この洋服の機能のおかげでギリギリ生きてますね?」


「コ、コヒュー……コ、ココ、コヒュー……」


 王族の服を興味深そうに分析するマリアナに対して、もはや「コヒュー」としか言えなくなったエドワードが必死な視線を送っていた。


 余裕そうだな?


 火傷の苦しみはわりと地獄だというのに、この生命力はさすがハイスペック殿下と言えよう。


「これ、髪はもうダメそうですね……でも死ぬよりは……」


 そうか、髪はもうダメか。殿下の上様はダメか。


 しかし上半身だけで済んでよかったな、と男心にそう思った。


 殿下の殿下が無事ならば、世継ぎ問題にはならないからだ。


 こいつが王位を継いだら国が終わりそうなもんだが。


「――ギャハハハッ」


 入り口の方から笑い声が聞こえる。


 来たか。


 ジェラシス・グラン・イグナイトの操る灼熱の魔人。


「ギャハッ」


 燃える身体に目と口だけが黒い異様な顔は、エドワードに大火傷を負わせたことがさぞかし愉快なのか、ニヤニヤと笑みを作っている。


 ヒタヒタと奥から歩いて現れるジェラシスに向かって俺は叫んだ。


「よくも! よくも殿下を……ッ!」


 王族を殺そうとした罪は重いぞ、極刑だぞ。


 思うことは自由だが、実際に被害が出てるから有罪だぞ。


 火傷を負った殿下を嘲笑いやがってこいつぅ。


「白々しいわね」


 アリシアが俺を白い目で見ていた。


「でも大義名分ではあるよ」


「それもそうね」


 状況的には狙われる王子様を守った形となる。


 マリアナも治療してくれているみたいだし、これは良い流れだ。


「そんなことよりもアリシア、火は大丈夫?」


「あれに比べたら、掠り傷みたいなもんでしょ……」


 大火傷を負ったエドワードに目を向けたアリシアは、遠い眼をしながら言う。


「それに言いたいことは全部言ったから、もうどうでもいいの」


 それより、とアリシアは俺を見つめながら言った。


「ラグナこそ大丈夫なの? そうとう消耗してたみたいだけど」


「大丈夫だよ。みんなを本気にさせる言葉のあやだから」


「私も――」


「必要ないよ。アリシアじゃ、まだアレには勝てない」


 私も協力するなんて言い出される前にハッキリ告げておく。


 無詠唱をちょっとばかし使えるようになったからと言って、あの灼熱の魔人を相手に戦うというのは驕りだ。


 それならまだエドワードの方が通用すると言える。


「そう……ね……」


「大丈夫だよ。ゆっくり練習していけばいい」


 意志があるなら人はどこまでも強くなれる。


 だからそんなに悲しい眼をしないで良い。


 悔しそうな眼をしなくて良い。


 心配そうな眼をしなくても良い。


「今まであまり見せてこなかったけど、今回はよく見といて――本気の魔術師の戦い方ってやつを」


 熱でガラガラと崩壊して元の大きさに戻った入り口。


 その奥に立つ灼熱の魔人へ。


 俺は剣を片手に向かっていく。


「ギャハッ、ゾレ、ボクノ、ギャハッ」


 こんな奴を相手に、アリシアを近づけるなんて危険過ぎる。


 連れ去られたりしたらもうこの世の終わりだ。


 こいつには恨みがたぶん2000個くらいある。


 俺がまだアリシアと成しえてないこと全て、全てがコイツに対する恨みと言えるのだ。


 残りの魔力は、それほど多くはない。


 だが、何故だろう。


 この状況を少し楽しいと思う俺がいた――。


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