12.真っ直ぐな男 ※アリシア視点
『何かを決断したらもう一方は無くなるのは当たり前のことで、恨みを晴らしても選んだ結果なんだから無くなった物は戻ってこないよ』
私の問いかけの真意を見透かしたような回答だった。
彼は、ラグナは恐らく知っている。
婚約破棄されてしまったのは事実だが、その全貌について。
『……少し前の話だけど』
何を言われるのだろうか待ち構えていると、彼はぽつりと呟いた。
父親が死ぬことに賭けられていただの、この地ではすぐ死ぬだの、人の生死をわりと笑い飛ばしながら語っていた今までとは大きく違って、彼の口から家族が戦死した状況が真剣に語られる。
追いかけて殺したそうだ、父親を討った敵の兵士を。
戦死することはブレイブ領では名誉あることらしい。
だから私怨をもって戦ってはいけないと、戦うのは国を守るためだと、彼は口酸っぱく教えられてきたそうだが、止まれなかった。
どれだけ不利な状況でも、色んな人に止められても、どれだけの犠牲を払ったとしても、今まで共に過ごしてきた家族を殺された彼は、敵兵を追いかけ将軍の首を取ったそうだ。
人手不足なブレイブ家の状況も何もかもそうした無理やりの行動によって出た犠牲によるものだと彼は自嘲する。
『――どれだけ当たり前だと教育されてたとしても後悔はするんだよ。でも、そう思えるほどに愛して育ててくれた周りの人には感謝してて、その時、まだ残ったみんながいることに気が付いた』
眼下に広がるブレイブ領を眺めながら彼は言葉を続ける。
『何もなくなったわけじゃないし、まだ残ったものがたくさんある。だから俺はなりたくもない貴族を頑張ろうと思うし、行きたくもない学園に行こうと思ってるんだよね』
まだ残ったものがたくさんある、か。
彼の言葉を真剣に聞いて、私にも何か残されたものはあるのか考えたのだが、これまで通りなにもなかった。
それもそのはず、私が見ていたものは殿下本人ではなく将来王となった殿下の隣に立つ自分の姿だけだったのだから。
『……何も残ってなかったとしたら? 生まれてからずっと自分が成すべきことだって教えられてきて、でももう二度と叶わないものだったとしたらどうするわけ?』
『死んでないなら残ってるよ』
『残ってない!』
思わず声を荒げてしまう。
『過去の私は死んだんだから……公爵家としての私は……だからこの捨て地に……ごめんなさい失言だった』
勢いに任せた行動は失敗にしかならないと身をもって学んだはずなのに、また子供みたいに情けない。
左目の火傷の痕が疼く。
心がチクチク痛くなっていく。
どれだけ忘れようとしても決して忘れることはできないだろう。
足元に底なしの沼があるみたいで、もがけばもがくほどにずぶずぶと暗いそこに沈んでいくような感覚だった。
ラグナの言葉の様に、復讐を果たしたとしても隣に並べるのはもう私ではない誰かに決まっているので満たされることはないだろう。
……いっそのこと。
この崖から身を投げてしまえばどれだけ楽なのだろうか?
ああくだらないことで悩む私はちっぽけだな、と思わせられたこの崖から見える雄大な景色も私の目が曇り果てて道も何もかも見えなくなってしまえば、何のことはないただの風景でしかなかった。
視界が霞んで全身の力が抜けてしまいそうになった時だった。
『アリシア、俺がこの先ずっと君を守るよ』
唐突に、私の耳にそんな言葉が聞こえた。
霞みかけていた視界は鮮明になり、真剣な表情で立つラグナを写す。
『……はあ?』
今、なんて言ったんだろう。
聞き間違いじゃなければ、この先ずっと私を守るって?
困惑する私に彼は言葉を続ける。
『公爵令嬢としての君が死んでるなら、今目の前にいる君はブレイブ家に嫁いで来たアリシアだよね』
そして小指を差し出す。
『だったらこれだけは約束できる。必ず守るって』
私の問いかけに対する答えには、まるでなってなかった。
でも実際に私がそう問いかけられて応えきれるかと問われれば、とても難しくてきっと「時間が解決するもの」くらいの綺麗ごとしか言えないだろう。
難題である。
考え抜いて、考え抜いて、そうして彼の出した答えは、守る約束の指切りげんまん。
『今朝から思っていたのだけど、本当に突拍子もない言動が多いのね』
『いやぁ……』
そう告げると彼は照れ臭そうに頭を掻いていた。
『どうにかこうにか気を使った言葉を探してみたんだけど、ブレイブ家の男児ってこういう状況には慣れてないし、思ったままのことしか言えなかったよ』
『……ふふっ』
その様子に少し笑ってしまった。
屈託のない笑顔、裏表のない言葉には誇りをもって刹那を生きるブレイブ領の生き様のようなものが現れていた。
貴族社会特有の虚飾や欺瞞などのドロドロとしたものは存在しない。
着飾らず、そのままの自分で今の私の前に立つその姿はかっこよくて、童心に返ったような気持ちになって、忘れていたものを思い返させるような、そんな感覚がした。
『やっぱりおかしかった? 言ったことないセリフだったしなあ……親父や兄さんたちは背中で語るようなタイプだったから……』
慌てるラグナに言っておく。
『実はね、私も面と向かって言われたのは初めてなの』
真っすぐと私の本当の部分を見据えて言われたのは。
『え、公爵令嬢なら色んな人から言われてると思ってた』
『突拍子もなくそんな言葉を吐くタイプは煙たがられるものよ?』
『くそぉ……今後学園に通えばセバスが良い嫁探してこいとうるさいだろうからと密かにしていた練習が無駄になってしまった……』
『なにその馬鹿みたいな練習』
この地で戦乱で血みどろの人生を歩みながらナンパの練習を行う、そんなちぐはぐさに笑うどころか呆れそうになった。
本当に不思議な人である、でも。
『嫌いじゃない。わかりやすくて』
たぶん、幼少期の私ならダサいと思っただろう。
でも貴族社会を生きて、失敗を経て、殿下の言葉を胸に自問自答を繰り返した今だからこそ、真っ直ぐな言葉は心に行き届いた。
位の高い貴族は、個人よりもその地位を見られる。
きっと、殿下も同じだったのだろう。
伝統を重んじる貴族社会において、自分自身を見てもらえない、理解してもらえない、そんな状況にうんざりしていたのだ。
今だからわかる、婚約破棄されても当然である、と。
『確かに貴方の言う通り、複雑に考え過ぎてたかもしれないわ』
ブレイブ領を見下ろすと、川や森や町や畑を含んだどこまでも続く地平線が伸びている。
『ちっぽけ、ちっぽけよね。無くなっちゃった過去に縋り居ついて、いつまでもうじうじしているなんて……』
『ま、人間そんなもんだよ』
『でもブレイブ家では、そういうのはご法度とでも言うのでしょう?』
『うん、1回は仕方ない、でも次から切り替えていくことが是』
今までの私はもう死んで、今はブレイブ家のアリシア、か。
ぽっかり空いた心の隙間がすっと埋まるような感覚がする。
この状況は罰ではない。
新たな門出ということにして、気持ちを切り替えることにした。
ブレイブ家だとそうなんだから。
『これから私と一緒に学園に戻ると、たぶん貴方もたくさんの視線を集めるでしょうね。正直居場所なんてないだろうし、敵意や害意も多いと思うのだけど……それでも守ってくれるのかしら?』
そう言いながらラグナに小指を差し出すと、彼は強く結んでくれた。
『そういうのは得意だから、任せて』
端から見れば、幼い頃によく読んだ勇者と姫が結ばれる本のようなロマンチックな掛け合いだが、お互い顔に傷がある様には少し笑える。
婚約破棄された令嬢と捨て地を生きる辺境伯。
物語の中の登場人物とは、天と地ほどの差が有るのだが、今の私にはそれがお似合いで心地よい。
今までの私が第一巻でこれからが第二巻……みたいな?
『アリシア、ちょっと待って今の誓うところやり直したい』
『……はあ?』
急に現実に引き戻された気分だった。
いやまあ、ロマンチックの欠片もなく失礼な男だとは、薄々感じていたじゃないかアリシア、と何とか自分を宥める。
端からラグナにこういうことを期待してはいけないのだと。
『ちょっと待ってね今呼ぶから』
ラグナは叫ぶ。
『――オニクス!』
その瞬間、空から巨大な黒竜が私たちの目の前に降り立った。
いや、竜であってる?
見たことが無いからわからないけど、その姿は昔見た絵本や図鑑に描かれたものとそっくりで本能的に竜だと頭が認識していた。
しかも黒竜。
勇者と姫の物語の中では邪悪な存在として描かれてた黒竜が、大きな顔を私に向けてギロリと睨んでいる。
その瞬間、私は意識を失った。
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