11.不思議な男 ※アリシア視点

 外に連れ出されて用意された馬車に乗った。


 街を案内されるのかと思っていたのだが、目の前にそびえていた山脈の森の中へと連れてこられた。


『人の手に負えない、それがこのユーダイナ山脈なんですよ』


 と、歩き疲れた私に両手を広げて説明するラグナ。


 踏み固められてもいない獣道をぐんぐんと進んでいく彼に、私はついていくのがやっとだった。


 額を垂れる汗をぬぐう。


 動きやすい服装にしてきたのに、汗で服がべっとりと身体に張り付いて気持ち悪い。


 それでも少し前に王都にいた時よりもずっとマシだった。


『歩こうって話もこんな山の中じゃなくて街だと思ってた……他にお店だったり、自然を利用した特産品だったりの紹介とか……』


 呼吸を整えながらそう言うと、彼は笑いながら返す。


『ハハハ、そんなもんないですよ』


『えぇ……』


 この笑顔はなんだろう、少し憎たらしい。


『下手に領地を飾っても今更荒くれた連中には受け入れられないですし、敵から魅力的に思われれば被害は増えますし?』


 そう溢す彼の言葉通り、馬車の窓から見た町の風景に華やかなものは一切存在しない。


 町も、ブレイブ家の屋敷の様にとにかく質素である。


 町全体が、いつ壊されても良いように作られている様子には、かなり衝撃を覚えた。


 彼が言っていたように、かなりの頻度で傷を負った住民の姿があって、指どころか腕や足すら失った者まで、私の傷なんてまだまだマシだと痛感する。


 これが捨て地。


 だが、それでも人はこの地に根付いて生きていて、屈託のない表情で笑って過ごす子供もいて、冒険者は少し憧れの対象になっていてごっこ遊びをしている様子も見えた。


 王都で生まれ育った私にとって、旅行をしたとしても貴族向けの観光地が立ち並ぶ綺麗な場所しか知らなかった私にとって、ここはまさに別世界だった。


『あー、でも誰が生き残るかの賭け事は人気ですね』


『そ、そう……』


『一か月前に俺の親父が戦死することに賭けて儲けた奴がいたとか』


『……』


 とんでもない賭け事だと思うのだけど、本当に娯楽がないと人間ってそうなってしまうのだろうか。


 彼の、ラグナの父親や兄弟は先月戦死してしまったと聞かされている。


 それなのに笑顔で私の相手をしている彼は本当に優しい人なのだろう。


『女性に対してする話題じゃないですね、失礼しました』


『い、いや大丈夫。それがこの地で普通なら……』


 そういうものなのだろう、と受け止める。


 叱咤されて見捨てられたとしても両親が死んでしまったとしたら、私は笑うことはできないだろうけど。


『あんまりここの普通に馴染むのもどうかと思いますよ』


『なっ! せっかくこの地を受け入れようとしているのに!』


『受け入れようと思って受け入れられるほど、甘くないですしハハハ』


『な、なんなの貴方……はぁ……』


 近場にあった木に背中を預ける。


 よくよく考えると、受け入れようとするのは私のエゴかもしれない。


 ブレイブ領に住む人に失礼に当たるのか。


 あまり受け入れるという言葉は使わない方が良いかもしれない。


『俺だって未だに受け入れてないですし、受け入れたら死にます』


 一息つく私に、ラグナは言う。


『ただ、深く知ることは大事です』


『深く知ること……』


 質の悪い冗談や突拍子もない失礼な行動の中に、彼は時折こうして私を見透かしたような言葉を呟くことがある。


 まだ語ってもいない、できれば語りたくもない、恥部というか、もう二度と取り返しのつかない私の失敗をまるで知っているかのように言葉を並べるのだ。


『敵も味方も同じ大地の上を生きる者同士なのだから、侮らず過信せずどちらも深く知り備えよ――生き残りたければ』


 受け入れがたい土地だろうが深く知ればまだマシになる、と彼は後に付け加えていた。


 彼の言葉は、まったく別のことを話しているはずなのに、私の失敗と重なっているようで心に深く突き刺さった。


『知った上でみんなここで戦っていますよ。全部自分で決めて』


『そうね……住んでる方々の顔つきも見ていたけど、話しに聞いていたような場所じゃなかった……』


『悩んだ末の決断を、ブレイブ領の者たちは笑わないですから』


 だったら私は笑われてもおかしくない。


 自分で決めてすらいなかったのだから……。


『まーた何か湿っぽい感じになっちゃいましたね? 笑って済ませて良いですよ。生き死にを賭けて笑い話にするようなところですし?』


 黙っているとそう言いつつ再び彼は頭を掻いてハハハと笑っていた。


 頭を掻く姿は年相応に見えてなんとも頼りない印象があるのだけど、確信をついた言葉を並べる時の彼の雰囲気は、学園にいた貴族たちの誰よりもそれこそ殿下よりも大人びて見えた。


『笑えって言ったり笑わないって言ったり、意味不明ね……』


『それだけ刹那を生きてるってことですかね?』


 ちぐはぐ、本当に不思議な男。


 それから「もうすぐもうすぐ」と言われながら崖を登らされた。


 はしたなく不様に息を荒くしていると「崖登りに慣れてないだけ」といらないフォローを受けたが、慣れたくもない。


 手を掴まれたまま宙吊りにされた時は、この男を信じないと固く決意したし軽く恨んだ。




 でも――。




『わ、ぁ……』




 ――必死の思いで登り切った崖の先にある景色を見た時、私のどうでもいい小言の様な思いは全て吹き飛んだ。


『お気に入りの場所です』


 その後ごちゃごちゃ言っていたけど、そんなものは何一つ聞こえないほどに捨て地は大きかった。


 本当に、本当に、今まで悩んでいたものすべてが失ったものすべてが王都という小さな箱庭でおこった戯言に思えるほどに。


『ちっぽけ……ね』


 思わずつぶやくと、ラグナが関係のないことをぶつぶつと言い始めたがそういう事じゃないと言っておいた。


 しゅんとする表情は少し面白い。


 危険な山の上に連れてきて崖に宙吊りにされたお返しができたみたいで少し楽しかった。


 学園での派閥争いとか、婚約破棄とか、この感動を前に全てがどうでも良くなってしまいそうだったのだが踏みとどまる。


 公爵家で育ってきた思い出や殿下への想いは紛れもなく本物であって、それをどうでもいいと忘れてしまうことは良くない気がした。


 未だにどうすれば良かったのか、これからどうすれば良いのか、わからないことだらけだけど、隣に立つ彼ならば……と、聞いてみる。


『ラグナ様、貴方に一つ聞きたいのだけど』


『呼び捨てで良いですよ。様付けで呼ぶ人いないので慣れてないです』


 ……相変わらず空気が読めないというか、何なのこの男。


 ならお互い敬語はやめましょうと適当に言い含めて、改めて尋ねる。


『ねぇ、ラグナ。散々悩んだ上で決断したとして、その結果を受け入れようと決意したとして、それでもどうしようもなく後悔してしまった時、貴方ならどうする?』

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