9.失礼な男 ※アリシア視点
私――【アリシア・グラン・オールドウッド】には、物心ついた頃にはすでに結婚する相手が決められていた。
相手の名は【エドワード・グラン・エーテルダム】、エーテルダム王国の王太子である。
両親に連れられて初めてお会いした時のことを私は死ぬまで忘れることはないだろう。
金色に輝く美しい髪色に、輝く星のような綺麗な瞳とどこか儚げな表情は、年端もいかない少女を一目惚れさせるには十分過ぎた。
このお方のために生まれてきた、と思わせるには十分過ぎた。
殿下は王位継承権第一位であり、婚約していた私も将来王妃になることが決定していた。
エーテルダムは、魔術的伝統を重んじる大国であり、ああしろこうしろと育ってられて来た私にとって、すでに決められたレールの上を歩くことをつまらないと思うことは一切なかった。
むしろ他の貴族よりも輝かしいレールであり、終点には殿下の隣という栄えある地位が存在している。
殿下の隣に並ぶことができる相応しい存在になろうと、私はそう心に決めて努力を積み重ねた。
魔術も学業も何もかも全て殿下のために。
そして婚約を決めてくれた両親のために。
しかし、私は大きな失態を犯した。
その失態とは、殿下の心を繋ぎとめておくことができずに、稚拙な嫉妬心から平民の女性に決闘を挑み、公衆の面前で敗北してしまうというものである。
人生を賭して殿下のために生きてきたようなものなのだから、私が歩むはずだったレールの上に、殿下の隣に、見知らぬ女性が出てきたことに言い知れない不安や嫌悪感を強く感じていたのは確かなことだ。
ぐっと我慢が出来ればよかったのだが、平民の女性が貴族の学園にいるという状況を面白く思わない取り巻きが過剰に反応してしまい、それを押しとどめることができなかった。
造られた決闘という舞台に立ち、もはやどう立ち回ればよいのかがわからなくなり、そして貴族の令嬢としても使い物にならないほどの醜い怪我を負わされることになった。
暴走してしまった取り巻き達を恨んだが、全ては私の不徳の致すところでもあると馬車の中で猛省した。
殿下に婚約破棄を告げられた時、こんな言葉を受けた。
『僕は伝統とか仕来りとか、決められたレールは好きじゃない』
『僕の好きな食べ物を君は知っているか? 僕の好きな場所、好きな本、好きな遊びをどれも君は知らないだろうな……』
『親に決められるままに生きてきた貴族のお手本みたいな君のことを僕はどう頑張っても好きになれないんだ』
『――パトリシアは、そんな僕の気持ちを優しく包んでくれた。一緒に城下町の屋台を回ってくれるし、出来立てで美味しい料理やお菓子を作ってくれる』
確かにそうだったのだ、殿下の言葉通りだったのだ。
お忍びで城下町に降りていることは存じていたが、何をしているかについては興味もなかった。
本に興味もなければ、遊びにも興味もない。
料理も作れなければ、お菓子も作れない。
そういったことは使用人が全てこなしてくれると思っていたし、それが貴族というもので疑うこともなかったのである。
私のやるべきことは、将来王位を継いだ殿下の傍にいても恥ずかしくない存在になることだったのだから……。
敗北して、殿下の中に私はもういないことを痛感させられて、両親から叱咤を受け捨て地に嫁がされる状況を私は素直に受け止めた。
恋とはなんなのか、愛とはなんなのか。
私の過ごした十数年の気持ちや努力は何の疑いようもない事実だが、妄信してきたそれは殿下にとっては何の意味もないことだった。
難しい、ままならない。
全てを失って、私はもう何もわからなくなっていた。
左目のあたりに受けた火傷の痕が、ズキズキと疼く。
同時に、心に針のようなものが突き刺さっているような感覚がして、どす黒い気持ちがいくら抑えようとしても溢れだしていた。
この現状を、事実を受け入れたくない私が、真っ白になってしまった心の中を埋め尽くすようだった。
学園での出来事がフラッシュバックして、思わず吐きそうになってしまう状況の中で、馬車は捨て地に到着した。
汽車も何もない、背の高い建物も何もない、見晴らしのいい、山脈を正面に臨む土地。
そこで私は、辺境伯【ラグナ・ヴェル・ブレイブ】と出会った。
捨て地と呼ばれる危険な領地の中年の貴族とばかり思っていたのだが、私と同じくらい若い印象だった。
『うわっ』
彼は、初めて私を見た時に嫌なものでも見たような顔をする。
腹が立ったが、誰が見てもそう思うほどの火傷の痕。
声に出すか出さないかの違いであり、さして問題はなかった。
婚約破棄後、公爵家にやって来た貴族は誰もが私にそんな目を向けてきたのだから。
『その火傷、どうされたんですか……?』
しかし、彼は失礼という枠を飛び越えて私にとんでもない質問を投げかけてくる。
思わず息を飲むと、彼は言葉を続けた。
『いや語りたくないならそれでいいです』
ならば最初から聞かなければ良い話じゃないのだろうか。
空気の読めない貴族はたくさん見てきたがここまでのはいない。
これが捨て地と呼ばれるブレイブ領。
声に出すか出さないか、さして違いはないと思っていたのだが、実際に声に出して指摘されるとチクチクと心が痛む。
当主がそれをするのだから家臣や使用人たちもそれにならって私に辛く当たる毎日が続くのだろうか、これが私の受け入れるべき罰でもあるのだろうかとそう思った時である。
彼は再び口を開いた。
『ブレイブ領じゃ、そのくらい普通ですよ』
屈託のない笑顔。
裏表のない、本当に普通だと言っているような笑顔に少し戸惑う。
私の周りには、こんな笑顔を向ける人は久しくいない。
さらに彼は、執事に案内されるがままに屋敷へ歩き始めた私の肩を何も言わずいきなり払った。
『……なに? 埃でもついてたかしら? 悪かったわね、古い服なの』
使用人が用意した荷物の中に、今まで着ていた服はない。
傷物の女には埃被った古着で充分だ、という意味なのだろう。
今まで生活を共にして、信じていた使用人にまでこんな扱いを受けたのはそれなりに堪えていたので彼に嫌味を込めて言い返す。
『いや、ウチの方がもっと埃っぽいので上等ですよ』
またしても笑顔で言い返された。
そんな笑顔を向けられるような人間じゃないので嫌な気分になった。
その後も何か言っていたが、もう無視して屋敷の中へと向かう。
本当に埃っぽかった。
だけど、何故か心が軽くなったような、そんな心地がしていた。
彼との会話で心の中を埋め尽くそうとしていたどす黒い感情が少しだけ薄れたようなそんな感覚がする。
第一印象は失礼な男。
しかし彼は、【ラグナ・ヴェル・ブレイブ】は、今まで出会ったことのない不思議な男だった。
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