8.公爵令嬢が元気になった

 翌日、朝から書斎で書類仕事をする俺の元へアリシアが詰め寄ってきたのは言うまでもない。


「ラグナ!」


 これまでとは打って変わって、かなりアクティブな様子にセバスも「おやおや」と自慢の髭を撫でていた。


「はい、ラグナです」


「昨日のは何!」


 詰め寄るアリシアに返事をすると、彼女は俺の机を両手で叩きながら顔を近づける。


 相変らず魔虫は家の窓にびっしりだが、彼女の元からは完全に取り払われていて、スッキリ爽快の様子だ。


 そりゃそうだ。


 誓いに伴って竜の加護を得たようなもんなのだから、魔虫がどれだけこぞって集ろうと彼女に寄り付くことすらできないのである。


 加護というか、残り香というか、とにかく魔虫程度の害意くらいならば無効化してしまえるのでなんでもいいか。


「昨日のって……いや、竜の目の前で誓いを立てるって我ながらロマンチックだと思って……?」


 昨日のは何と聞かれたので、恐らく竜のことだろうし答えておいた。


 英雄譚はこの世界にもあって、竜はみんなが知る存在で厄災を振りまく邪竜の話もあれば、勇者に従い魔王を倒した善竜の話もある。


 強大で、恐ろしくも美しい、そんな生物だ。


 人と喋れる知能を持ち、太古から生きているので誰も知らないような事でも知っていて意外と博識なのである。


「ブレイブ家は竜を従えているってこと!?」


 ロマンチックかそうじゃないかは彼女の中ではどうでもいいことのようで、とにかくなんで竜があの場にいたのかを知りたいらしい。


「従えてないけど」


「ですな」


 もちろんオニクスと俺の関係性は、出会ったその場にいたセバスも知っているので俺の言葉に合わせるように頷いていた。


 聞かれ続けるのも執務が捗らないので簡潔に説明しておく。


「オニクスは最近ブレイブ領に来た竜であの山脈の奥に住んでるんだよ。おかげで魔物のスタンピードが起こって大変だったんだよな、セバス」


「ですな」


 隣国の人間からこっちの方が食い物がたくさんあると聞いたから引っ越してきたと言われた時は、軽くお隣さんを恨んだもんだ。


「アリシア、竜のいない土地に竜が現れたらどうなると思う?」


「……とんでもないことになる、実感がわかないけれど」


「そう、とんでもないことになるんだ。まず山脈に住んでいた魔物は驚いて逃げ出すわけだが、その波はブレイブ領を直撃するんだよ」


 魔物の暴動を抑えるために兵や冒険者を駆り出して奔走している間に、それを知っていた隣国が戦いを仕掛けてきて家族が討たれたのである。


「竜を使って攻めてくるなんて許せないよな、セバス」


「ですな」


 大いなる力には大いなる責任が伴うのはわかっているだろうに、良いように使われてるぞとオニクスに告げたらあいつは憤慨して国境の砦を少しブレスで焼いてきたそうだ。


 俺も竜を嗾けて変わらないじゃないかと思いきや、オニクスに告げたのは敵将を追いかけて殺した後なので問題なしなのである。


 ははは、我ながら上手くいった。


「……竜を従えてるわけじゃないのに、なんで平気なの?」


「それは坊っちゃんがオニクス殿に認められたからですな」


「そういうこと」


 魔物の暴動には確実に原因が存在するので、それを何とかすべく山脈へと入ってオニクスを見つけ出した。


 当然、領地に魔物がたくさん押し寄せて大変だから今すぐどいてくれと言っても「そんなもの知らん」で済ませてくるのが竜である。


 俺たち人間って、竜から見れば下等生物だし?


「それでも何とかしないといけなかったので戦闘することになった」


「坊っちゃんが単騎で挑み引き分け、オニクス殿に認められた瞬間は感動しましたぞ」


「死にかけたけどね? でもおかげで交渉の席につけて、1年くらい魔物が暴動することもなくなったから良し」


 学園に通える時間ができたのは、それが理由だった。


 隣国も焼いてくれたし、大量の魔物もアイツが定期的に間引いてくれるって約束したからだね。


 山脈が開発できないのは主にあいつが住んでるからってことでもある。


「竜は滅多に約束しないけど、一度約束すれば誇りをもって守ってくれるからその辺はまだ信頼できると思うよ?」


 かといって、善良な竜かと問われればそうじゃない。


 間違っても討伐なんか企てて怒らせない方がいい。


 隣国の山の餌を食いつくして新たな餌場を教えてもらったからブレイブ領に来たわけだし、適当な関係を取り持っておいて山脈の魔物を食いつくしたらどこかへ消えるだろう。


 何年後になるかわからんがな?


 最悪、人間の食い物に興味を示していたから、定期的に持って行ってこれで許してくださいってやってればしばらくは安泰だろう。


 餌やり、任せたぞセバス。


「……スケールが大き過ぎて、ちょっとよくわからなかった」


 以上、話を聞いたアリシアの言葉である。


「せっかく前向きになれるかもしれないのに、竜に食べられちゃうかと思って驚いたんだから……」


「ははは、だとしても守るよ。竜に誓ったんだから、オニクスでも他の竜でも必ず守るから安心してよ」


「……慌てた私がまるでバカみたいね。ここだと……はぁ……」


 笑いながら言葉を返すと、アリシアは溜息を吐きながらどっと疲れたような表情をしていた。


 一般的にはブレイブ家の方が特殊だからこっちが馬鹿でいいのだが、精一杯この地に慣れようとしてくれているので何も言うまい。


「アリシア様、私が来た当初も同じように驚きばかりでしたので、その内何にも動じなくなりますぞ」


「そ、そうなんだ……」


 何気ないセバスのセリフだが、こいつはいったいいつからブレイブ家で執事をしているんだろうか?


 幼少期の記憶の頃から顔が一切変わってないのだが、それが一番不思議な部分である。


「貸しなさい」


「え、なんですか?」


 未だに机の前に居座るアリシアに、仕事の邪魔だからそろそろ部屋に戻ってくれないかなと言おうとしたところで手を差し出された。


「昨日、人手不足だと言ってたでしょう? 手伝うから」


「おお!」


「空いた時間で少しは学園について教えてあげる。今のままの貴方を学園に連れて行ったら退学になりかねない」


「ええ……」


 確かに変な幻想を持ってはいるが、そこまでかね?


 捨て地の貴族だし、色眼鏡で見られるとは思っていたが、退学になるほどなのだろうか?


「一応セバスに教えられてはいるけど……?」


 格上貴族から支援を取り付けるのが役目だ。


 胡麻くらい摺れらぁ。


「公の場での作法は教えておりますが、幾分私は古い人間ですので王都に住まう昨今の若者の文化や作法などは存じませんな」


「でしょ?」


 今までの言動から彼女に「こいつは退学になる可能性が高い」と思われていることに地味にショックだった。


「つまり隣を歩かれると恥ずかしいって、こと……?」


「違うわよ」


 愕然としている俺にアリシアは言う。


「他人の評価とかそんなちっぽけなことはどうでもよくて、ただ……たぶん私と一緒にいると下手なことをしただけでも難癖をつけられて退学に追い込まれることもあると思うから……」


「ふむ、それでは誓いを守れませんな? 坊っちゃん、良い機会ですからアリシア様に学園のことを教えてもらっても良いでしょう」


「わかった」


 他者の評価はどうでもよいと嬉しいことを言われたが、俺が気まずいのでしっかり美人の隣を歩けるような良い男になるのだ。


 これは彼女を守るために必要な努力義務なのである。


 努力しましょう。


「坊っちゃんは感情が高ぶると突拍子もないことをしがちですから、しっかり首輪をつけていただけると幸いです」


「おいセバス、その言い方は俺に失礼だと思わなかったのか?」


「思いました」


「おい」


 思った上でこいつは言葉にしたということか。


 なおさら質が悪い。


「アリシア様、執務にかこつけて勉強もおろそかにしています故に、これを機にその辺も見ていただけると私としても嬉しく思います」


「いやそんなことはないが?」


 むしろ現代社会の知識が存在するので、読み書き計算はバッチリ過ぎるほどであり、ブレイブ家でも稀代の秀才レベルだぞ?


 さすがに異世界で微分積分なんてしないだろ、いらんだろ。


 いや実際はどうかわかんないけど、いらんだろ。


 特に戦闘技術や魔術的知識に関しては叩き込まれたから、他の追随を許さないくらいの自信がある。


 歴史だって地理だって、ゆくゆくは冒険者になろうと思っていたからちゃんと自分で勉強してきたんだぞ?


 不満に思っているとセバスが耳打ちする。


「坊っちゃん、せっかく同じ時を過ごせるご提案なのですから、復習がてらお付き合いしたらいかがですかな?」


「わかった」


 お勉強会で仲を深めよう作戦か。


 ラブコメにありがちな展開で少しだけ心が躍る。


 学園でも恐らく共に過ごす時間が多いだろう。


 現状婚約のようなものではあるのだが、俺の立場はブレイブ家当主であり一緒に住んでる状況はほとんど結婚しているようなもんだ。


 彼女通り越して、とんでも美人嫁が急にできたということ?


 異世界、捨てたもんじゃないな!


 当初抱えていた不安なんて何のその。


 思いの外、人生が楽しくなってきたんじゃないだろうか?


「次、貸しなさい」


「あっはい」


 心の中でウハウハしていると、大量の書類を終えたアリシアが俺の元へ来てごっそり仕事を奪っていった。


 数字の確認作業だったり、書き写しなどが大量なのだが、彼女は手早く俺よりも早いスピードでこなして行く。


 俺には日本の現代基礎教育があると言うのに、負けちゃいられない。


 そう思って奮闘してみたのだが、彼女を超えることはできなかった。


 この世界、思った以上に教育が進んでいるのか?


 まあ設定やシナリオを作り込んだのは現代のゲーム会社だろうし、そういうところはご都合主義のように上手くまとめられているのだろう。




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