3.公爵令嬢との出会い

 公爵令嬢を乗せた馬車が屋敷の前に到着する時間となった。


 爵位が下である俺は、お出迎えしなければならない。


 ここで「貧民みたいな小さな家」とか「何で公爵家令嬢のこの私がこんな辺境に」とか、そんな言葉が出た瞬間に鉄拳制裁とさせていただこう。


 郷に入れば郷に従え、ブレイブ家の掟があるのだ。


「坊っちゃん、ダメですよ殺意を出しては。学園でもそうです」


「……はい」


 セバスにそう言われて素直に抑える。


 厳密に言えばそんな掟はないのだが、そんな心構えでいるってことだ。


 ウチにある格言は、せいぜい隣の国の奴らは容赦せず殺せくらいかな?


 あとはゴブリンを一体見つけたら必ず集落を探せ、くらいか。


 あいつらゴキブリみたいにすぐ繁殖して集落を作るからな?


 デカくなる前にさっさと潰しておかないと大変なことになる。


「ほら、到着しますよ。しゃんと立ってください」


「はい!」


 背筋を伸ばす。


 公爵令嬢を乗せた馬車は、想像していたよりも小さなものだった。


 腐っても令嬢だから、たくさんの使用人を連れてくると思っていた。


 使用人ようの部屋を頑張って掃除したのに、骨折り損である。


 小さい屋敷と侮るなかれ、戦役で使用人も戦死しすっからかんなのだ。


 母親だってショックで妹を連れて実家に戻っちゃったしね。


 もしかしたらブレイブ家の呪縛から解かれたと晴れやかな気持ちかも知れないけど、その辺はあまり考えないようにしよう……。


「お嬢様、こちらになります」


 馬車が屋敷の前に停まり、御者席を降りた男が客車の扉を開ける。


 馬車から出てきたのはもちろん、透き通る銀髪を後ろで丸めて結んだ美女。


 公爵令嬢【アリシア・グラン・オールドウッド】。


「うわっ」


 彼女の姿を見た瞬間、思わず声が出てしまった。


 すかさずセバスが俺の後頭部を殴る。


「坊っちゃん! ……ゴホン、ようこそお越しいただきましたアリシア様。私はこの屋敷の執事セバスで御座います。お見知りおきを」


「……貴方もそんな反応をするのね」


 アリシアは俺を睨みつけるとそんな言葉をこぼした。


 改めて顔を突き合わせると彼女の顔左目付近に大きな火傷の痕がある。


 顔の約四分の一を占める程。


「その火傷、どうされたんですか……?」


「ッ……」


 一応尋ねてみると、アリシアは辛そうに顔を伏せていた。


 さすがは公爵令嬢、傷があろうともかなり美人の類である。


 幸薄そうな美人って、なんかこう守りたくなってくるよね。


「いや語りたくないならそれで大丈夫です」


 変なことを聞いて逆鱗に触れるつもりもないのですぐに訂正する。


 アリシアは決闘やら婚約破棄騒動を起こしてここに来ているわけで、戦った後に傷が残るのも仕方がない。


 それに。


「ブレイブ領じゃ、そのくらい普通ですよ」


 笑顔で取り繕っておいた。


 そう、普通なのである。


 戦地に赴く冒険者なんて傷だらけだし、女性もそんなもんだ。


 兵士や冒険者業を引退した人の指どころか、腕や足が一つ足りないくらい普通である。


 今更、顔の四分の一に火傷だなんてねぇ……?


 ちなみに俺も服を脱げば傷だらけだし、前髪で隠しているが額に大きな傷がある。


 セバスも脱げば、すごい男なんだぜ。


 で、本筋はそこではない。


「では、私はこれで」


「あ、はい」


 御者の男は、馬車からスーツケースを一つ門の前に置くとそのまま行ってしまった。


 あっという間の出来事で何か言う暇もなかった。


 おいおい、侍女無しって本気か。


 自分の家の娘を身一つで寄越すなんて正気なのか。


 仮にも年頃の娘なのだが……?


 せめて慣れた人材の一人くらいは傍に置いといてやれよ、とは思った。


 っていうか公爵令嬢の世話役にウチの人手を回すのは雑務に差し支えるのだが……?


「さ、アリシア様、こちらへどうぞ」


「ええ」


 そんなことを思いながら呆然と馬車を見送る俺に対して、セバスはニコニコとした客人向けの作り笑顔でアリシアを屋敷の中へと案内する。


 アリシアの方は、自分を乗せてきた馬車を見ることもない。


 恨みがましい視線を向けるのかなと思ったのだが、そんな予想とは裏腹に粛々と自分の運命を受け入れたように静かにしている。


 ブレイブ領は貴族に捨て地と呼ばれ恐れられているので、箱入り娘はもっと絶望しているとばかり思っていたし、死んだ兄さんたちの嫁さんだって常々そんな恐怖に染まった顔をしていたのだ。


 何もかもを諦めた彼女の表情は、捕虜にした敵国の兵士を思い出す。


 そんな表情をした人間が、これから先の未来で主人公たちを邪魔して悪魔と契約するとはとても思えず、なんだかちょっと拍子抜けだった。


 燃え尽きた灰の様に、真っ白。


 悪魔に誑かされるには心の中に闇が必要で、今の彼女はゲームの中で見た禍々しい邪悪な恨みつらみすらなく……真っ白だった。


「あ、ちょっと待ってくださいね」


 屋敷に向かうアリシアとセバスを呼び止めて、彼女の肩を払う。


「……なに? 埃でもついてたかしら? 悪かったわね、古い服なの」


「いや、ウチの方がもっと埃っぽいので上等ですよ」


「……」


 俺の言葉に少しだけ嫌な顔をするアリシアだが、そっちの方が人間味があった。


 うーん、意外と話せて不思議だな?


 ウチは格下なのに、話が通じるぞ。


 この様子は平民に負け、殿下に婚約破棄され、今まで培ってきたプライドがズタズタになった今だけか?


 この後、改めて復讐に燃える展開でもあるのだろうか?


 俺の破滅を回避するためにはずっと塞ぎ込んでいて欲しいとは思う。


 だが学園に通った時に何かの拍子で恨みが再燃したら手に負えない。


 今のうちに何とか心変わりしていただくことに尽きる。


 その手段はおいおい考えるとして、一先ずやるべきことがあった。


「アリシア様、ようこそブレイブ家へ。お疲れだと思いますので、狭い部屋ですがお休みになられてください」


「……」


 彼女は俺の言葉を無視して屋敷に入って行った。


 アリシアの背中を笑顔で見送りつつ、右手に掴んだものに目を向ける。


「ギギ、ギ……」


 右手の中には、小さくて黒い虫がいて苦悶の表情をしていた。


 俺がアリシアを見た時に「うわっ」と思わず言ってしまった原因である。


 ブレイブ家では、魔虫と呼んでいる小さな悪魔みたいな存在だ。


 魔虫は呪いを持っていて、人に取りついて悪さをする。


 毒でも麻痺でも精神汚濁でも、不治の病の正体みたいなものだ。


 これが取りついてる奴は、碌な人生にならない。


 そんなとんでも魔虫がびっしりとアリシアに取りついていたのだった。


 数で言えば100匹くらい。


「はあ……まったく、恨まれたもんだな?」


 それだけのことを仕出かしたのだから仕方がないのかもしれない。


 しかし、これだけの魔虫に取りつかれていたら、常人ではまともに思考することもままならないのだが、それなのに彼女は特に病むこともなく落ち着いていた。


 逆に魔虫によって静かにしているだけなのか?


 いや、そんなことは万が一にもありえないと首を横に振る。


 魔虫に取りつかれた人間は、もっともこう病的に何かを妄信するようになる。


 それこそ物語終盤、悪魔に取りつかれたかのような言動と共に……。


「あー、少し考え方を改める必要がありそうだな」


 そこで少しだけ合点がいった。


 仮にも国の王太子と婚姻を結び、ゆくゆくは王妃となるべく高度な教育を施された公爵令嬢が平民と決闘騒ぎなんか起こすものか?


 仕来りを重んじてきた俺たちの上の世代、親たちがそんなことを許すわけがなく、令嬢側に付くのが普通だと思うのだが?


 この世界で15年生きてきて、それがわからないほど俺は馬鹿じゃないと思っているし、だからこそ家督を継ぐのが嫌だったわけだ。


 ご都合主義にも程がある、と改めて思う。


「……乙女ゲーの世界は常々そんなもんか」


 こうした展開のすべては、製作陣が俺たちゲームの購入者に楽しんでもらうために考え抜いたものなのである。


 実際にこうして現実の世界で対応して見ると、とんでもなく歪だ。


 それで自分の命が危ぶまれているなんて最悪である。


「これからどうしようかな……いやどうするもこうするも、現状あれを嫁として迎え入れて来月には学園に通うハメになるのだが……?」


 あれだけの悪意や敵意や害意を向けられた女とともに学園生活か。


 ぜ、絶望だ。


 死にに行くようなもんじゃないか、ここまで来れば。


 よくもまあ、ゲームでは死なずに主人公の邪魔をし続けたもんだ。


 もっとも、そうやって仕向けた誰かがいる。


 邪魔者である俺は、どこかしらで適度に殺されるんだろうな。


「ヤバすぎる」


 そうならないためにも何とか心を入れ替えてもらうしかない。


 頑張って元婚約者への思いを振り切って、立ち直ってもらうしか活路はないようにも思えた。


 となると、彼女は俺の攻略対象みたいなもんか。


「うん、そうだな! 正式に婚約を結んだんだし、何とか振りむいてもらうしかないか」


 最初はどこかで死んでもらうのが手っ取り早いかと思ったのだけど、こうして運命に振り回される姿を見てしまって、そんな思いはいつの間にか消えていた。


「どんな状況でも前を向いて歩け、そう言われたじゃないか」


 今は亡き親父に。


 いずれは国を出て家とは関係なく暮らしていこうと思っていたのだが、別にブレイブ家が嫌いなわけではな一切なかった。


 こうして生き残ってしまったからには、戦で華々しく散っていった家族のあとを継ぐのが残された俺の役目である。


 子を作って、ブレイブ家を存続していくのが手向けなんだ。


「頑張るかあ……」


 魔虫をギュッと握りつぶして俺はそんな覚悟をするのだった。


 ん?


 なんで魔虫を握りつぶせるのかって?


 ブレイブ家だからできるに決まってるだろ。


 セバスも気が付いてる。


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