第2話 明陳耀の天中記
ともあれ鷹一郎に朝飯を馳走になり、その社務所の一角を借りて鉄の棒ヤスリでゴリゴリと表面を削り始めた。昔からこういう手作業は好きなのだ。なぜだかその石は湿っていて、削っても粉も飛ばずにヤスリをかけやすい。しゃかしゃかと削っていれば、やがて表面はどことなく青くなり、気がつけば石から湿りだした水分が手のひらを濡らしていた。そういえば鷹一郎も水の音がしそうだと言っていたな。
「なんだこりゃ、気持ち悪ぃ」
「へぇ。もう一度みせて頂けますか?」
隣でのんべんだらりと本を読んでいた鷹一郎に石を手渡す。この土御門神社は参拝客などほとんどいないものだから、鷹一郎は特別に仕事がなければこのように晴耕雨読を地で行く暮らしをしているのだ。羨ましいこって。
鷹一郎が石を振れば、ちゃぷりと水が流れるような音が聞こえた気がした。
盆を持ってきてその中に石を沈めれば、その中にちらりと影が見えた。
「なんだこりゃ」
「なんでしょうか?」
「わかっててやってたんじゃねぇのかよ」
「この本にそんな話が載っていましてね」
(
(
「なんだこれは」
「明代に発行された
「この石の中に馬だの魚だのがいるっていうのか?」
「さぁどうでしょう。磨いてみればわかるかもしれません」
狐に摘まれたとはこのことだ。とはいえ鷹一郎は相変わらず、誂うように俺をみるだけで、いつも通り聞いても教えてはくれないだろう。
しかしここまで来たなら仕方ない。削るうちにだいぶん青味が濃くなってきたものだから、棒ヤスリを研磨剤と布に取り替えて慎重に磨いていく。その魚石とやらのように中に魚が入っているのなら、割って仕舞えば仕方がない。そういえば冷泉も割るなと言っていた。
慎重に、慎重に、撫でるようにヤスリでこする。
「哲佐君、そろそろ夕餉にいたしましょう」
「何?」
はたと目を挙げればすでに外は薄暗く、長い黒髪を一つにまとめた鷹一郎が箱膳を運んでいた。鼻にはぷうんと鰹出汁の香りが漂う。もう夜が近い。夜に慣れば手元不如意だ。だから今日はここまで。
「相変わらずなかなかの集中力ですね」
「嫌いじゃないからな」
鷹一郎が用意した膳の上には茶粥と豆腐の味噌汁、それに筑前煮と大根の浅漬がのっている。馳走になる時にいつも思うが、素朴で美味いものの、塩分と魚肉が足りない。俺が作れば塩っぱいといわれるのだから、東北生まれの俺と京生まれの鷹一郎の好みの差なのだろう。
「それにしてもこれは冷泉さんから預かったのでしょう? 来歴は聞いてませんか?」
「ラリってる方の冷泉だったからなぁ。会話が成り立たん」
「そりゃぁご挨拶だなァ山菱ィ」
ギョッと振り返れば、開け放った障子の外、欄干の奥から冷泉の顔が覗いていた。今日はいつも通り随分大きめのメガネをかけて、ツバの広い帽子をかぶっている。
「おや、冷泉さんがこのあたりまで来られるのは珍しいですね」
「そこの山菱に用があってな。長屋にいなかったからあたりをつけてここまできた。ってそれか」
冷泉はヒラリと欄干を飛び越え体を伸ばし、外に脱いだ靴を器用に拾って欄干に引っ掛けてからノシノシ部屋に入ってくる。
「冷泉さんも召し上がりますか?」
「いや、俺はいい。それより随分薄くなったなぁ」
冷泉は柿大からみかん大になった石を持ち上げて眺める。
「お前が磨けっていったんじゃないか。それより何の用だ」
冷泉はピタリと黙った。いつものパターンだと何かを考えているのだ。
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