四十一 もろさ

 げっそりとした表情を浮かべた春斗に困惑しつつ、おつかれさま、とねぎらいの言葉をかけた。


「ちょっと、あたしには何もないわけー?」

「喧嘩ふっかけたのはウラじゃん。巻き込まれを気遣うのは当然でしょ」

「あは、ぐうの音も出ない!」


 けらけらと楽しそうにウラが笑った。その様子を尻目に春斗は酷く大きなため息をついていた。ひっついてきたヴィヴェカの頭を優しく撫でながら、悪かったな、と短い謝罪の言葉を投げかけている。


 ヴィヴェカは、いいよー、とませた様子で返していた。


「春乃がね、おしゃべりしてくれてたからね、さびしくなかったよ!だから、ゆるしてあげるね」

「そうか。春乃に頭が上がらなくなるな」

「けが?」

「比喩だ」


 こっちはこっちでややずれた話をしている。春斗は少女相手に難しい言葉を使うのはやめた方がいいと思う。


 春斗は眉間にしわを寄せながら言葉を選んでいる。単に話慣れていないだけらしい。

 ヴィヴェカは難しい単語が飛び交いながらもにこにこと笑顔を崩さない。


「よっぽど嬉しいんだねー」

「命の恩人だからかなあ」


 ウラの穏やかな声が耳を撫でる。そういえば、と思い出したように友人に尋ねた。彼女は春斗と何を話していたのだろうか。


「ギルドの常識について、かな。『札無し』とか対戦制度とか」

「あー……それはありがと」

「ハルノと同じく世間知らずだったからね。他にも色々話せたからあたしは満足かな」

「色々?」

「そ、色々」


 ウラはそれ以上は話さなかった。そっか、と春乃もそれ以上食い下がることなく引く。


 凪いだ青色の目がなんとなく気に障った。春乃とウラは確かに友人だったが、それ以前に実力も立場も離れすぎていた。

 故に、こうしてウラが春乃へ話す内容を絞ることは少なくない。それも仕方のないことだと理解はしている。


 理解はしているが、感情は別だ。胸の奥で渦巻く醜い感情を自覚して、自己嫌悪のため息をついた。


 ウラの「相手によって伝える情報を変える」というやり方は必要なものだ。


 特に討伐ギルド内で高い地位にいる彼女は様々な情報が耳に入る。そうやって手にした情報が相手にとって有益なのか不利益なのか、あるいは無害なのか有害なのか見極めて伝える必要が出てくるだろう。


 仕方のないことだ、と理解はしている。

 それでも、とどす黒い感情が渦巻いては主張している。


 いいなあ。ずるいなあ。そんな醜い感情の主張を押しつぶして無視をして、春乃は努めて明るい顔で言葉を紡ぐ。


「春乃、ありがとう」

「へっ?」

「ヴィヴェカの面倒を見てくれてたんだろう。しれっと置いていったのは俺だから」

「あ、ああー。そういうこと。なんだ、別に気にしなくていいのに」

「そうだよー!わたし、いいこにしてたもの!」


 ぱっと両手を挙げて主張する少女に笑みがこぼれた。純真なこどもの仕草は心を癒やしてくれる。


 春斗とヴィヴェカが無事に合流したのを見届けて満足したのか、ウラはまたひらりと手を振って、じゃあね、とその場を立ち去った。相変わらず自由だなあ、とこぼせば、春斗の、そうなのか、とどこか納得したような声が返ってきた。


 ギルドでも上の立場にいる人間は総じて変わり者が多いとされるが、特に討伐ギルドの『札無し』は所在不明になるケースが多いという。


 討伐ギルドの人間は原則『札』、いわゆる認識票を装着することが義務づけられている。討伐ギルドの主な仕事は魔物の討伐だ。当然ギルド員が死ぬことも少なくないし、その遺体が原型をとどめていないケースも少なくない。


 『札』とは、ギルド員であることの身分証明書であると同時に、万が一の際の身元確認に用いられる認識票でもあるのだ。

 『札無し』とは、認識票の装着が免除されたゴールド以上の実力差を指す通称だ。それでも何かの拍子で死ぬこともままあるため、行方不明になるとはそういうことらしい。


 とはいえ、数年ぶりぐらいにふらっと現れる『札無し』もちょこちょこいると聞くので何も分からない。ギルドもゴールド以上になると制御不能として認識しているらしい。それはそれでどうなのか。


「そういや、ヴィヴェカはどうするの?一応……孤児、でしょ」


 ウラの後ろ姿が見えなくなったあたりでこそりと春斗に耳打ちする。春斗は眉間にしわを寄せると、どうするかな、と低い声で呟いた。


「普通の子供、ってわけでもない。下手に目を離すのもな」

「じゃあ、春斗が面倒見る感じ?討伐ギルド所属って言っても、『札無し』として認められたなら、下手なところに預けるよりはそれなりに安全だろうし」

「そう……なんだろうか」


 歯切れが悪いな、と春乃は首をかしげてうつむいた春斗の顔をのぞき込む。


 うわ、とつい変な声が出た。春斗の顔は真っ白だった。よく見ればじわりと額に汗もにじんでいる。


 どこからどう見ても体調不良だ。大丈夫かと訊ねれば、春斗は浅く息を吸って首を横に振った。何でもないよ、とわかりやすい嘘を吐いて、くしゃりとヴィヴェカの頭を撫でた。


「ふあん?」


 少女が酷く酷く穏やかな声で問うた。


 春斗は珍しく灰色の目に激しい動揺を浮かべて、それから力なく笑みを浮かべて見せた。情けないことに、と皮肉気に言葉を落とす。


「俺は、一つも守れなかったような男だから」


 息苦しそうな声で吐き捨てられた言葉に、春乃は返す言葉を持ち合わせていなかった。


 あれだけ強くても守れないものがあるんだなあと、憔悴した様子の春斗を見てふと思う。


「わたしのことは、まもってくれたよ」


 ヴィヴェカが穏やかな笑顔を浮かべて反論する。その顔が、迷子を見守る母親のようなそれに見えて、春乃は驚いて目を瞬かせた。


 気のせいだ。しかし気のせいではないように思えた。今までの子供のような振る舞いを考えると、ここでヴィヴェカが反論するならばふてくされたように同じ言葉を紡いだだろう。


 春斗も驚いたような顔をして、それから下手くそな笑みを浮かべてヴィヴェカと目線を合わせるようにしゃがんだ。


「だいじょうぶだよー。わたし、にげあしはね、はやいからね」


 そういえば彼女は『不定の魔物』に追われた際、ひたすら走って逃げていたのだった。確かに逃げることに関しては一家言がありそうだ。


「だからね。わたし、かんたんに『さようなら』なんてしないよ」


 はくり、と春斗が何か言葉を口にしようとして、ついぞ音にならずに口を閉ざした。灰色の目が見開かれてから、何かを懐古するように目を伏せる。


 ヴィヴェカの言葉が何を示しているのかは春乃には分からない。


「……そんなわけないだろ」


 泣き出すような震えた声に、ヴィヴェカが柔らかな手のひらで春斗の手に触れた。


 なんと言えばいいのだろう。


 春斗もまた、もろいところのある人間なのだな、と。

 当たり前のことを、今更のように思った。

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