四十二 旅の理由
古い記憶が音を立てて浮かび上がってくる。一つも『あの子』とは似ていない彼女が、ただ穏やかな顔で見上げている。
ひりひりと痛む頭をこらえるように、あるいは未だ幼い少女をこれ以上不安にさせないように、春斗は下手くそだと自覚できるほどの拙い笑顔を顔に貼り付けた。
(ヴィヴェカはおそらく普通の子供じゃない。ここで俺が置いていく選択をすれば、おそらくまともな生は送れない)
よく知らない民間伝承の話はさておくにしても、魔力感知の精度といい、『見える』性質といい、おそらくはろくな結末をたどらない。
人でなしを認識することができる人は、導き手がいなければ引き摺られて人でなしになる。そういう人間を腐るほどに見てきた。
一度手を握ったのなら、可能な限り手を握っていたいと祈ってしまう。
春乃にはどうしようと言いながら、薄々心の内では決意が固まっていることを察して春斗は薄く苦笑を浮かべた。
仕方のない話だ。人の性格も性質も、そう簡単には変えられない。
「ひとまずは、連れて行く……か。少なくとも、縁をつなぐまでは」
「縁を?」
春乃の疑問に顔を上げる。良く見知った顔が不思議そうな表情を浮かべているのが何とも奇妙でで面白く思えて、いくらか気分は軽くなった。
「人でないものが見える人間は、大抵ろくな結末をたどらない。霊感のある少年少女が煙たがられて、人を離れて、いつかは行方知れずになるのと同じ話だ」
「うわ、嫌なたとえするじゃん」
「実例だが」
「もっと最悪じゃん……」
まあまあよくある話である。魔法使いや魔術師に師弟のイメージがつきまとうのもある種当然の話で、師がいなければ才能を持っていても幼い子供は『人でなし』に吸い寄せられてしまう。
才があっても、導き手がいなければ人でなしになるだけで、人のまま奇跡や結果をたぐり寄せるものにはなり得ないのだ。
青い少女がよく分からないといった顔で春乃と春斗を見比べている。
「嫌なヤツじゃなくてよかったねえ」
「よかったねー?」
「どういう意味だ」
春乃がヴィヴェカににこりと微笑めば、ヴィヴェカもよく分からないままに春乃の言葉をまねて首をかしげていた。
春斗は大きくため息をついて、お前はどうする、と意味のないことを聞いた。答えなど分かりきってはいたが、尋ねることに価値があると思ったのだ。
「わたし、春斗といく。あのね、わたしね――」
青い目が神秘的な色を灯して瞬いている。
吸い寄せられそうなほどの美しい色に、春斗はつい目をそらしたくなるのをこらえてヴィヴェカの言葉を待った。
「わたしね、あなたといっしょに、きれいなものを、さがしたいなあ」
にぱりと笑顔を浮かべて、そう少女が告げた。
春乃が心底不服そうな表情を浮かべて足をぶらぶらとさせていた。腰をかけている木製の柵は古びてはいたがしっかりとした作りで、壊れる心配はなさそうだった。
いいなあ、という平坦な声が耳に入る。春斗は春乃に目を向けて何か言おうと口を開いたが、何も言うべきではないと判断をして口を閉ざした。
「旅、旅かあ。目的ってあるの?世界一周?」
春乃の言葉につい目を瞬かせて、世界一周、とオウム返しのように返してしまう。彼女は呆けたような春斗の顔を見ると、よほど面白かったのか、吹き出してしまっていた。
ヴィヴェカはスティーブンとウラの二人に連れられて諸々の説明と健康診断の続きを受けている。
ウラとの対戦の後、ギルドが手配してくれた宿に春斗とヴィヴェカは泊まった。その翌朝、つまり今朝方に元気よくウラが来襲しヴィヴェカをギルドへ連れて行って今に至る。
春斗はライムンドから受け取るはずの報酬が、昨日宿に向かう前に手渡された『タグ』と呼ばれる身分証で引き出すことができると説明を受けたため、正直いつでもこの村を出発できた。
しばらくの間とどまるのもいいが、とどまろうが外に出ようが大きな違いはないだろう。常識をどこで身につけたかの差が出るだけだ。
「ひとまずはヴィヴェカの身元を探すところから、だろうな。ついでに世界一周することになるんなら――それもまた一興か」
「あ、そうか。ヴィヴェカの保護者になるんならそうなるか」
「……まあ、そうだな」
「今の間、何?」
「何でもない」
怪訝そうな視線の中に、からかうような色を見つけて春斗はため息をついた。春乃はからからと面白そうに笑ってから、いいじゃん、と実に軽い声音で言った。
「元の世界でならともかく、さ」
柔らかな声が耳をかすめていく。
春斗は良く見慣れた顔を一瞥すると、意味もないな、と視線を外した。
「少なくともこの世界じゃあ、聖人か何かかって言われるくらい奇特な行いだよ」
「俺がか?」
「春斗じゃなかったら誰だって言うのさ」
「それもそうか」
「やっぱり変な人だよねえ。そんなに『いい人』って言われるのが嫌?」
問いには沈黙で答えた。春乃は、ふうん、とどうでも良さそうな返事をしてから両足を地面につけた。
「春乃は旅はしなかったのか」
「私?まさか、私ができるわけないじゃん。一応討伐ギルドに登録はしてるけど、武器もまともに扱えないひよっこだし」
そうか、と頷いた。その目の奥にほの暗いものが浮かんでいたような気がして、春斗は気まずさに目をそらした。
「結局のところ、さ。別に住んでる世界が変わったところで私たちってそんなに変わらないんだよ。今まで生きてきた記憶がなくなるわけじゃない。培ってきた経験が消えるわけでもない。劇的な運命を歩むわけでも、身の丈に合わない力を与え得られるわけでもない」
いいなあ、と草原に落ちた言葉をふと思い出した。
「いーじゃん、旅。物語みたいだ」
羨望混じりの言葉に返す言葉を春斗は持ち合わせていなかった。
物語のようなハッピーエンドはないだろうし、かといって物語のようなバッドエンドもないだろう。
(俺の最期は、まあ良くも悪くもないか)
ならば彼女はどうだったのだろう。関係はないだろうが、関係あるかもしれないなあ、とどうでもいいことをふと思った。
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