四十 少女と少女

 春斗がいない、という不安そうな声で我に返った。


 ヴィヴェカが青い目に不安を浮かべて春乃を見上げていた。そう言われてから、確かに春斗もウラも姿を消していることに気がついた。


「ちょっと、当事者二人がどっか行っちゃったっぽいんだけど、知らない?」

「ああ、それなら『ブルーム』だろ。ウラも一緒に消えたんなら十中八九あそこだ」


 スティーブンが渋い顔のままこたえれば、ルイスも多分そうだろうな、と同意する。春乃はその答えを聞いて眉間にしわを寄せた。


 『ブルーム』はこの村にある酒場で、入るにはマスターの許可か、マスターの許可を得た人間の紹介がいる。春乃はそのどちらももらえていない。


 確かにウラはこの村に立ち寄るたびに『ブルーム』に一回は足を運んでいた。スティーブンとルイスの見立ては間違えていないだろう。


「春乃、春斗は?まいご?」

「ま、迷子……」


 ヴィヴェカの思わぬ言葉についつい笑ってしまう。あの青年が迷子とは、中々想像しにくい話だ。そもそも迷子にならなさそうであるし、迷子になったとしてもあっさり帰り道を見つけてしまいそうだ。


「春斗ならウラと一緒だから大丈夫だよ。そのうち戻ってくるって」


 そう笑って言い聞かせてから、春乃は自分の発言を酷く後悔する羽目になる。


「ほ、ほんとう?わたし、おいていかれない?」


 青い目が揺れている。不安を全身でこらえながら、押しつぶされそうな心を必死に支えている。


 年端もいかない幼い少女は、理由は定かでないにしろ、春斗に全面の信頼を置いていた。


 この少女は、春斗において行かれることが心の底から怖いのだ。


 そう理解してしまえて、春乃は続けようとした言葉を飲み込んだ。下手なことを言えば不安を増強させるばかりだろうし、かといって彼女を安心させるには信頼が足りなさすぎる。


 スティーブンとルイスはと一瞬思ったが、おそらくこの二人よりは春乃の方がヴィヴェカの中で信頼は厚いと推測された。


 理由はさっぱり分からないが、今この場でヴィヴェカが春乃から離れようとしないのがその証左だろう。


「私は『ブルーム』の場所はわかんないけど、代わりに、春斗たちが見つけやすい場所に移動する?」


 精一杯の提案をすれば、ヴィヴェカは未だ不安そうな顔をしたまま、ゆっくりと頷いた。


「春乃がいっしょなら、いく」


 そんな、何気ない一言が酷く胸につかえていた。




 春斗とウラが何を話しているのかは知らないものの、話している内容くらいであれば推測がついた。


 ウラは春乃が異世界人――こちらの世界で言うところの『異邦の隣人』であることを知っている。それであれば、春乃の話した春斗の話と実際の印象から春斗もそうであると判断していてもおかしくはないだろう。


 ウラが『ブルーム』へ向かったというのも、そういう話であれば納得がいく。『異邦の隣人』という荒唐無稽なおとぎ話を本当のこととして話すのであれば、なるべく茶々の入らない場所で話したいと思うのは当然だろう。


 春乃はスティーブンとルイスに一言話してから村の広場へ足を運んでいた。いくつかのベンチが並んだ、遊具などブランコくらいしかないつまらない広場を眺めて息を吐く。


 座ろうか、とヴィヴェカに声をかければ、少女は笑顔を浮かべて頷いた。その笑顔がいくらか暗いものに感じられたのは気のせいではないのだろう。


「春斗、すごかったね!きんいろのひとも、すごかったねえ。でも、春斗のほうがすごいかな。だって春斗は『みこ』さまだもん」

「神子……」


 そういえばヴィヴェカは春斗のことを『みこ』さまだとギルドでも話していた。春斗は否定していたが、なぜそう思ったのか。


 様々な部分が謎に包まれているが、それくらいならつついても構わないだろうかと春乃は口を開く。


「春斗って神子なの?」


 ヴィヴェカは春斗の話題を振られたのが嬉しかったのか、こくりと満面の笑みを浮かべて頷いた。そうだよ、とやわらかなソプラノが喜色に染まって跳ね回る。


「春斗はね、すごいまほうをつかったときにね、かみさまの……かみさまの『ふわふわ』がいたから、『みこ』さまだってなったの」

「ふわふわ」

「『ふわふわ』は『ふわふわ』!えっと、まほうをつかうときとか、『きらきら』がいっぱいいるときとかに、いるやつ」

「わかった、魔力のことだ!」

「まりょく?」

「魔法を使うときに必要なエネルギーみたいな者だよ。火をつけるには燃えるものが必要でしょ?火をつけるときに燃えるものが必要なように、魔法を使うときには魔力が必要なのさ」


 ほほう、とヴィヴェカが神妙な顔をして頷いた。それがなんだか愛らしくて、春乃はくすりと微笑を浮かべた。


 ヴィヴェカはこくこくと何度か頷くと、新しく覚えた言葉で同じことを言った。春斗の魔力の中に神様の魔力があったのだ、と。


「でも神子って、確か……ああ、いや、こっちだとまた違うのかな」

「どうしたの?」

「うーん、分からないことが多いなって思ってさ」


 神子ないしは巫女は女性を指す言葉だ。主に神などの超常存在より啓示を受けたり、導きを受けたりする人間を指すことが多い。


 もっとも、あくまで春乃の世界では、の話だ。こちらでは男女関係なく神託を受けた人間のことを指し示している可能性も高い。


 春乃を導いた神といい、春斗を導いた神といい、この世界の『神』という存在はなかなかフレンドリーというか、人間に対して好意的だ。それこそお忍びで人間社会に紛れ込んでいる場合もあるほどに。


「春乃も『みこ』さま?」


 透き通るような青が灰色の自分を見つめている。


「春斗とおんなじ、やさしい『くも』いろの『ふわふわ』だねえ」


 にこにこと楽しそうな声が弾んでいる。


 春乃は息をのんで、この少女には自分が常用している魔導具が作用していないことを確信した。

 春斗といいヴィヴェカといい、最近初めて会った人間は変わり者が多いなあ、と春乃は内心嘆息する。


 はじめからまやかし程度の魔導具だ。見破られるのであればそれはそれ。あくまで精神的な安寧のために使用しているに過ぎない。


「あ……はは」


 奥羽春乃は自分の容姿が嫌いだ。どっちつかずの灰色の容姿は大嫌いだ。どうせなら、真っ白か真っ黒であれば良かったのに、と何度思ったか分からない。


 雲一つない青空のような青を称えた少女がふわりと笑顔を浮かべている。


「まだ内緒だよ」

「むう」

「ほら、春斗とウラも戻ってきたからさ」

「ほんと!?」


 春斗、とゆっくり歩いてくる人影に向かってヴィヴェカがかけだした。その後ろを追いかけながら、見た目だけはそっくりな男と目が合って、なんとなく曖昧な笑顔を浮かべた。


 いいなあ。憎いなあ。うらやましいなあ。


 けれど、それと同じくらい、きれいだなあ、とぼんやりと思う。


(別に、そうなりたいワケでもないんだけどさ)


 見た目だけはそっくりだというのに、中身だけはまるで逆さだと思った。

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