三十二 『不定の魔物』

 スティーブンはかなり頭が痛かった。


 眼前に座る見た目だけはそっくりな春斗と春乃、そして正体不明の少女であるヴィヴェカをもう一度見やると、大げさにため息をついた。


 正直今すぐに仕事を投げ出して帰りたいところである。


 春乃が言ったとおり、『清水の乙女と不定の魔物』の伝承はただの民間伝承として伝わっている。ついでに、建国記にも組み込まれている伝承でもあるため、王国内ではかなりメジャーな伝承でもあった。


 組み込まれた、と言った。この伝承は大元をたどれば口伝の民間伝承であり、王国の建国と関わりがあるほどに古い伝承だ。


 つまり、大昔の人間が生き残るために残した物語風の知恵である。


(いやー、民間伝承研究とかなーんで首突っ込んじゃったかなー。いつもなら絶対関わらないってのになー)


 そんな愚痴を内心で吐き散らして、スティーブンは更に大きくため息をついた。


「俺が知る限り、『不定の魔物』だと認定された魔物が討伐されたって記録はないの。これがどういうことか分からない訳じゃないだろ?」

「さてな。一介の旅人には与り知るところではないが」


 そしてこの男である。


 無表情気味な、突如現れた腕の立つ精霊術士。春乃とそっくりすぎる風貌は置いておくにしても、この男は嫌に目立つ上に不審点が多かった。


 これだけ腕が立つのであれば、他の街でもある程度噂になってもおかしくはない。事実、この村では既に噂になっている。


 しかしスティーブンが調べた限り、春斗とおぼしき人間の話は一切見つけられなかった。


 王国のギルドマスターであるスティーブンが探しても見つからなかったのだ。単なるギルド長が見つけられなかったのとは意味合いが異なる。


 淡々としていて、権力やら何やらにはさも興味ありませんといった顔をしておきながら情にはある程度厚いものだと推測できる。


 全くもって厄介極まりない。


「……あー、やめやめ!回りくどい言い回しは無しだ。おいハルト、お前このままだと『ほしがられる』ぞ」

「知るかよそんなこと。そうなったらそうなったでなんとか――」

「お前はそうかもしれないけどさあ。そこの嬢ちゃんはどうなのってハ・ナ・シ。理解できないほど馬鹿じゃないだろ?」


 そう春斗を詰めながらそれとなく春乃とヴィヴェカの様子を盗み見る。春乃の表情は硬い。ヴィヴェカは何が何だかさっぱりだが険悪な空気だと言うことだけは察して、春斗の外套の裾を握っている。


 春斗はといえば、スティーブンの言に押し黙ると、眉間にしわを寄せて舌打ちを鳴らしていた。全く柄の悪いことである。


「出現の周期的にも合ってるし、俺たちギルドのお墨付き――それも、ホワイトのお墨付きの情報とも鳴れば『不定の魔物』が出たのは確実な情報だ。それを曲がりなりにも退けたって情報が出たらどうなる。今まで討伐どころかただ耐え忍ぶしかなかった魔物なんだぞ」


 『不定の魔物』と呼ばれるそれは厄災の象徴だ。伝説や伝承では、それが現れれば数年の内に各所で厄災に見舞われるとされる。自然災害が主ではあるが、最も凄惨な自体を招くことが予想されるのが『不定の魔物』に導かれてやってくる魔物の大群だ。


 公式では記録されていない。しかし近年の研究で徐々に『不定の魔物』の招く厄災の詳細やメカニズムが明らかになっていく中で発覚したそれは、王国どころか他国でも無視できないほどの問題として取り上げられ始めていた。


 もしここで『不定の魔物』が現れたと公式発表があれば、堰を切ったようにその最新の研究内容が叫ばれることだろう。


「ねえねえ、ホワイトが、春斗が、って、なにがもんだいなの?」


 張り詰め始めた空気を弛緩させるように、ヴィヴェカが小声で春乃に聞く。はじめから春乃に聞くあたり、春斗では答えられないと踏んだのだろうか。


 春乃は少し驚いたように目を瞬かせると、苦笑を浮かべながら口を開く。


「え?ああ、えっと……ホワイトって精霊寄りの魔物なんだよね。だから真贋を見破ることができるんだよ。ホワイトが『そうだ』って言ったら、それは正真正銘真実になっちゃう」

「それが、もんだいなの?」

「大人は疑う生き物だからねえ。仕方ないよ」


 ふうん、とヴィヴェカのつまらなさそうな声が落ちる。


 分からなくもないぜー、と内心ではヴィヴェカに同意しつつスティーブンは口を開いた。


 疑心暗鬼に囚われて久しい自分たちは、人間以外の何かの真贋を見抜くという性質を持ってでもしなければ、本当も嘘も分からない。


「『不定の魔物』が現れたってだけで大事、曲がりなりにも退けたんならもっと大事。方法が確立されてるならそれに越したことはないが、貴族連中はご本人様をほしがるんでなあ」

「利権やら体裁やらって話か。嫌な話だな」


 灰色の目が一瞬遠い過去を映したように虚ろになった。春斗は軽くため息をつくと、ざわりと魔力をさざめかせる。


 それに、つい臨戦態勢をとってしまったスティーブンも春乃もおかしくはないだろう。


「いっそ、国滅ぼしの大罪人にでもなってやろうか」


 低い声に全身から冷や汗が吹き出した。


 尋常ならざる魔法使いだとは聞いていた。この若さで大概に放出される魔力を完全に押さえ込む魔力制御の腕も中々大したものだとは思っていた。


 よもや押さえ込んでいた魔力がこれほどとは。スティーブンは殺気だったホワイトをなだめるように目を隠す。


「冗談だ」

「いまの、すごかったねえ」

「……まさか。俺みたいのはごまんといる」


 対してヴィヴェカはさっぱり驚いていない様子である。スティーブンは不可解だと眉を寄せたが、膨大な魔力がきれいさっぱり収まったことを確認して再び腰を落ち着ける。


「春斗みたいのがごまんといたら、今頃魔法大戦が勃発しているんじゃないかな」


 春乃の言葉に深く深く同意しつつ、スティーブンは紫の目をヴィヴェカに向けた。


 春斗の印象が強すぎてかすみがちだが、この少女も相当におかしいのだよな、と頭を抱える。


「っていうか、ドッペルゲンガーって何?」

「ああ、『名付け』だ。ああいう形のない異形には名前を与えて意味を与える。名前が定まれば形も定まるから、強制的に『名付け』をして封じるか斃すか何かする。それなりにメジャーな方法だったと思うが」

「……ハルト、お前一回常識をたたき込んだ方がいいよ。図書館とかでさ」


 やつれたような声が出てしまったのは致し方ないことだろう。

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