三十一 『影』の噂
スティーブンはわかりやすく顔をしかめると、類似点が多すぎると吐き捨てた。春乃は微妙な顔をしたまま、そろりと春斗の様子を見るように灰色の目を向ける。
春斗とヴィヴェカといえば、二人そろって『不定の魔物と清水の乙女』という伝承を知らないために話に一つもついて行けていない。分からん、と内心で愚痴っていれば、ヴィヴェカは既に飽きてきたらしく春斗の外套の裾をいじって遊んでいた。
「『清水の乙女』は水の精霊の御使いってされてるんだ。最初に『不定の魔物』に負けて、水の中に引きずり込まれるけど、『清水の乙女』は水と相性がいいから水の中に入ったことで逃げ出しやすくなる……っていうか。口伝の話だから話の流れってまちまちなんだけど、この辺は割と共通してる」
春乃が耳打ちするように小声で教えてくれる。困ったように眉尻を下げたまま、ヴィヴェカと共通点多すぎるでしょ、とこぼした。
「それ、俺みたいに誰かの助けを借りるって話もセットなのか」
「その辺は結構ブレがあるかも。でも古い本にそういう記述はないから多分後付けだね。清らかな乙女には勇者様がセットってのが民衆の理想なんじゃない?」
「雑だな……あと詳しいな」
「私、こう見えておとぎ話とか昔話とか結構好きなんだよね。ロマンにあふれてるじゃん」
にひひ、とよく似た顔が見たことのない類いの笑顔を浮かべている。こう見えて、などと言ってはいるが本当に好きなのだろう。
その証拠に、春乃は春斗が見た中で一番いい笑顔を浮かべていた。
「おい、お二人さんいい加減いいか?」
げんなりした声にスティーブンの方へ目を向けた。紫の目には呆れが浮かんでいる。子供っぽくへの字に曲がった口に春乃が吹き出して、かわいくないけど、とからかっていた。
「ヴィヴェカが『清水の乙女』ってのと類似点が多いことがそんなに問題か?ただの民間伝承の類いだろう」
「あー、どっちかって言うと『不定の魔物』の方だな、問題なのは」
スティーブンは嫌な顔をして言うと、気を紛らわすようにホワイトの頭をなでる。
「『清水の乙女』はともかく『不定の魔物』は実在が確認されてるんだよ。ほぼ伝説みたいな遭遇率だけど。最後に確認されたのってだいたい三百年前じゃなかった?」
春乃が付け加えて、ヴィヴェカの方をちらりとみる。
要はこういうことらしい。
そもそも『清水の乙女』は実在が疑われている上、迷いの小道の奥の泉での話と言うこともありヴィヴェカがその『清水の乙女』と似通っていること自体は問題ない。
逆に問題になるのが、ヴィヴェカが追いかけられ、春斗が討伐した黒い不定の魔物こと『不定の魔物』の方だ。
この魔物は一般に災害の象徴とされ、大災害の前兆として現れる。およそ三百年ほど前に観測された際は、大規模な自然災害が各地で頻発したという。
「曖昧だな」
そんな感想が漏れ出てしまってから、春斗は続けようとした言葉を飲み込む。関連性が認められないのではないか、と思ったが、そう片付けられる話ではないのかもしれない。
何せ、魔力がここまで満ちている世界である。どんな異常が存在しようとおかしくはないのだ。
そんな考えを裏付けるように、スティーブンがため息をつきつつ口を開く。信頼性の比較的高い情報なものでな、と嫌そうな声がぽとりと落ちた。
「ヴィヴェカはまだこの年だし、上手に嘘がはけるとも思えない。ホワイトがなーんも反応もしてないし、本心だろ。そこにお前が情報を確実なもんにしちまってる。あーやだやだ。厄介極まりないね!帰りたい!」
「ギルドマスターともあろうお方がなーにいってるんだか」
「まったくです。少しは春乃の生真面目さを見習ってはどうです?」
「辛辣!」
男の寒い泣き真似に冷たい視線を注ぐホワイトと春乃に気持ち距離を置いて、ないてるの、と無邪気に聞いてくるヴィヴェカに首を振った。よよよ、といかにもな泣き姿はどこからどう見ても嘘である。
いい大人が何をやっているのか、と呆れた目をつい向ければ、スティーブンは泣き真似が飽きたのかけろっとした顔をして口を開いた。
「挙げ句、『不定の魔物』を討伐したんだろ、お前。残骸とかあんの?」
残骸、と言われて春斗は当時の様子を思い出す。確かあの時は水の魔法で黒い影をぶち抜いたはずだ。あの異形の破片が残留する類いのものであれば残っているだろう。
残念なことに、魔法を放った直後に魔力暴走を起こした上、魔力暴走を鎮めるための処置で魔力枯渇に陥った春斗は確認する余裕はなかった。
生憎と春斗はその残骸があるかどうかは覚えていない。ヴィヴェカの方に目を向ければ、青い少女は小さく首をかしげた。望みは薄いな、と口を開く。
「ドッペルゲンガー、まだいるよ?」
「……は?」
驚愕したのは春斗ただ一人で、春乃とスティーブンは首をかしげている。それもそのはずで、あの異形を『ドッペルゲンガー』と名付けしたことを知っているのは春斗とヴィヴェカだけだ。
しかし、あの時確かに異形の気配が消えたことだけは確認したはずだ。視界に入っていないと言うことは、消えたか原型をとどめていないほど細切れになったかの二択だろう。
「だって、かげ、なんでしょ?」
今度は春乃が顔色を変えた。
ドッペルゲンガーと呼ばれる怪異は春斗と春乃のいた世界の怪異だ。当然この世界にはない。少なくとも、スティーブンが首をかしげヴィヴェカの言葉に眉を寄せている時点でいないと判断できるだろう。
「かげはかげだから、まだいるよ。でも、しばらくわるさは、できないかな……うん、みずのそこじゃあ、うごきにくいもんね!」
「影……影ってことは、『不定の魔物』って、そういう……あっ、ドッペルゲンガーっていうのは、えーっと、えっと」
「死の予兆を象徴する怪異の類いだ。同じく民間伝承に近いものと思ってくれていい」
春乃が何か気づいたようにぶつぶつと口にしてから、スティーブンに向かってあわあわと説明を始める。
つい見ていられなくて口を開いてしまったが、問題はなかったらしい。春乃が手のひらを合わせて小さく笑みを浮かべていた。
「んん?つまり、どういうことだ?俺が聞きたかったのは、『不定の魔物』が討伐できる代物なのかってことだったんだが」
「できないよー!」
「明確な答えをどうも。で、そこんところどうなの、お二人さん」
ヴィヴェカの元気な返答を適当にあしらってスティーブンが春斗と春乃に問う。ヴィヴェカは不満そうに頬を膨らませてから、再び春斗の外套の裾をいじって遊び始めてしまった。やめてほしい、と春斗は片眉を上げた。
「正直、俺もそこに拘られる理由が分からないんだが」
そんな前置きをして、後で説明しろという圧を加えてスティーブンを見据える。嫌味なほどに紫の目は揺らぎがない。
「ヴィヴェカの言葉を鑑みるに無理だな。アレは魔物と呼ぶよりは現象に近い。風を殺すことが不可能なように、アレを正しく討伐するのは不可能だろう」
うんうんと春乃が隣で頷いている。結論は同じらしい。おそらくは結論を導くまでの順序が違うだろうから、そのあたりは是非とも聞いておきたいところではある。
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