二十六 火を囲んで
少女は何度かヴィヴェカという名前を発音すると、心底嬉しそうにはにかんだ。
「わたし、ヴィヴェカ!」
春斗に向かって渾身の笑顔を向けて、期待に満ちたまなざしを向けられる。春斗は苦笑すると、はいはいと適当に流した。
「おとまり?なら、わたしもやる!」
「わかった、わかったからひっつくな!ほら、ヴィヴェカはその辺に落ちてる枝を集めてくれ。遠くには行くなよ」
その辺、と指させば、ヴィヴェカは驚いたように目を開いて、それから花が咲くような笑顔を浮かべて見せた。
「はあい」
弾むような声で返事をして、えだーこえだー、と謎の歌を口ずさんで枝を拾い始めた。
その様子を眺めてポケットに手を突っ込めば、ふと手に硬いものが当たる感触があった。
「……忘れてたな」
微量の魔力が込められた鈴の魔導具を手のひらに転がして嘆息する。スティーブンから渡された、非常事態用の鈴だ。
春斗はうきうきと枝を拾い集めているヴィヴェカへ視線を向けると、過ぎてしまったものは仕方がないと鈴を再度ポケットに入れた。
実際どうにかなったしなあ、と息をついて腰を落ち着ける。空は鬱蒼と生い茂る木々のおかげでろくに見えないが、それでも日が傾いていることは分かった。木々の間から漏れる光は茜色だ。
「えだ、ひろってきたよ」
「ん、ありがとうな。そしたら俺は、と」
くしゃりとヴィヴェカの頭をなでれば、彼女は照れくさそうにはにかんだ。えだおいとくよ、と石で円を描いた中にバラバラと落とす。
春斗は立ち上がると、たき火用の枝が集められた箇所を中心に、正方形を描くように拾った枝で地面を削った。
「しかくだ」
「危ないから離れてろ」
「えへへ、はあい」
何が面白いのか、ヴィヴェカは春斗のぶっきらぼうな言葉を受けてなお楽しそうに線の跡を眺めている。
苦手だ、と春斗は喉奥にこみ上げてきたものを飲み込んで、ため息をつく。かたかたと記憶の蓋が音を立てていた。
右手の人差し指を正方形の角に当てて、魔力を集める。何色でもない純粋なそれが集まって、柔らかな白色光を放つ。
「虚ろの標、問わず語り」
白色の魔力がかすかに金の粒子をまとった。わあ、とヴィヴェカの歓声が聞こえて、困ったように笑みを浮かべる。
「標のない道、歩けるはずも無し」
白い光が地面の線をたどるように動くと、金の粒子もそれに追従する。幻想的な光景に、ヴィヴェカが目を輝かせて春斗を見ていた。
魔力が出発点に到達する前に春斗も正方形の中に入る。入った途端に、ぐいぐいと外套がひっぱらる感覚にため息をついた。
「ねえねえ、あれなあに?きらきらしてて、とーってもきれい!」
「ただの結界魔術だ。そんなに珍しくもないし便利でもないやつな。ほら、火をおこすからそこに座ってろ」
「けっかい?けっかいってなあに?」
「……座ってくれ」
最後の言葉は懇願に近かった。
年相応の振る舞いが目立ってきたと思えばこれだ。なぜなに期の子供を彷彿とさせる、と考えてから春斗は頭痛をこらえるように頭に手を当てた。ヴィヴェカは立派な子供である。
白い光が出発地点に到達すると、薄い光の膜が張られる。地面との境目が一番濃い白色で、上方へ向かうにつれて色は薄くなっていた。完全に色が消えるあたりは春斗の背丈を二倍ほどしたくらいの高さだろうか。
本当であれば完全な箱形の結界の方が安全には違いないのだが、今日に限っては魔力の消耗も激しいし仕方あるまい。四方と上部をカバーする結界魔術は消耗が激しいのだ。
「ねえねえ、けっかいってなあに?」
火をおこそうとしたところでヴィヴェカが身を乗り出すように聞いてきた。危ないから離れろと左手で彼女を物理的に遠ざけようとしたが、ヴィヴェカは諦め悪くなになにと聞いてきた。
「結界っていうのは」
春斗は諦めて口を開いた。仕方あるまい、火は後でもおこせる。少し遅くなるくらいは問題ないだろう。
ヴィヴェカは春斗の言葉を聞いて、ようやく腰を落ち着けた。話してもらえると分かって満足したのだろう。
「中と外を区別するためのものだ。ここは魔物が多いから、一応張っておいた方がいいだろう」
「なかと、そとを、くべつ?」
「……バリアだ、バリア」
「ばりあ!」
それなら分かる、とヴィヴェカがぱっと顔を上げた。きらきらと青い目が輝いている。
春斗は非常に不本意そうな顔で説明を続けようとしたが、ヴィヴェカの興味は既に結界から結界の金色の粒子へと移っていた。
今度は今度で、あれなあに、と春斗の外套の裾を全力で引っ張っている。服の裾が伸びてしまうのでやめてほしい。
「あれは魔力だよ。金属性の魔力」
「きんぞくせい。かたいまりょくってこと?」
「――ああ。驚いた、まさか当てられるとは思わなかった」
結界の表面を遊ぶように揺蕩う金の粒子は無属性の魔力に混ぜられた金属性の魔力だ。岩石、鉱石といった要素を内包する金の魔力は混ぜるだけでその硬性を強化できる。
もちろん魔術師魔法使い相手には紙切れ同然だが、物理攻撃を主とするここの魔物相手ならば十分だろう。
「春斗、まほうつかいなの?きらきらですごいねえ」
そんな無邪気な言葉で胸が痛むのは、きっと自分が弱いからだ。
春斗はその言葉に何も返さず、枝の水気を飛ばすと火をつける。ぱちぱちと音を立てて、暗い赤色が揺れた。
「……きらきら、してない?」
「どうだろうな」
伺うような声に小さく返す。あれだけ動いたにもかかわらず、腹はあまり減っていなかった。春斗はともかくヴィヴェカはそうもいかないだろうう、とおもむろに外套のポケットに手を突っ込んで何かないか探す。
(……何もないか。まあ、世界をまたいでるんだから当たり前と言えば当たり前か)
本来であれば、春斗の外套のポケットは自宅に置き去りのトランクと中身を入れ替えており、色々と入っているはずだった。
「わたし、おなかへってないよ」
青い目と目が合う。柔らかな感情を灯した目が、灰色の目をのぞき込んでいた。
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