二十七 夜を明かそう

 おなかへってないよ、なんて声を聞いて春斗は目を瞬かせた。柔らかな感情が青い目に揺れている。


「……そうか」

「うん。ねえねえ、わたし、まほうのおはなし、ききたいな」


 ぱちぱちと枝の焼ける音に溶けるようにヴィヴェカの声が落ちた。赤い火に照らされた青い髪は不思議な色合いに見える。


 腹が減っていないなんてことあるだろうか、と春斗は一瞬訝しんだが、そのやけに静かな目を見ていると、そんなこともあるかと納得してしまった。不思議なものだ、と春斗はなんとなく首をかしげる。


 その仕草を見て、ヴィヴェカも不思議そうな顔をしてまねをした。おはなししたくないの、と寂しそうな声が続けて落ちる。


「嫌じゃあない」

「ほんとう?なら、わたし、まほうのおはなし、ききたい!」

「そればっかりだな」

「きらきらしてて、きれいなんだもん」

「そんないいもんじゃ……はあ、いや、何でもない」


 春斗は魔力を手のひらに集めて、ふわりと霧散させる。何も混じっていない純粋な魔力が光の粒子となって宙に舞った。


 わあ、とヴィヴェカの歓声が上がる。それが微笑ましくて、春斗は困ったように眉を下げた。


 しまい込んだ記憶が思い返されそうで、記憶の蓋を押さえつけるように口を開く。


「魔法は奇跡だ」


 声に焦りがにじんでいたように思えた。ヴィヴェカはそれに気づいた様子もなく、きせき、と復唱している。


「だが万能じゃない。魔法は、お前も見えてる隣人たちの手を借りて、世界の法をもって奇跡を起こす」

「おまえじゃないもん」

「……ヴィヴェカも見えてる隣人の手を借りて行う、魔法の一つだ」


 少し呆れを含ませて言い直す。ヴィヴェカは満足そうに頷いていた。


 今更ではあるが、春斗の知る魔法はこちらで言う魔法とやや乖離がある。ポラール曰く、基本的な法則は間違いなさそうではあるが、一般常識とは違ったはずだ。


 まあいいか、と春斗は脳裏によぎった懸念をドブに捨てた。そんなものは後で考えればいい。


 ついでに明日は鈴を使うか、とポケットに入れっぱなしの魔導具を思い返した。ここで一週間過ごすのは問題ないが、ヴィヴェカは早めに村へ連れて行った方がいいだろう。


「りんじん、って、きらきらのこと?」

「そう。自然の持つ心、人間が空想したもの――由来は様々だが、彼らは決まって魔力を糧として存在している」

「むう」

「その辺に浮いてる『きらきら』はその辺の自然の心で口で身体だ。俺たちはそいつらの力を借りていろいろな結果を……魔法を使う」


 少女の眉間にしわが寄っている。言葉が難しかったらしい。春斗は少し考えるように口を閉ざしてから、諦めたように息を吐いた。昔から幼い子供の相手などしてこなかったから、そういう言い回しだって当然苦手だった。


 ぱちぱちと燃える枝が音を立てている。

 木々に遮られた空の中で静かに星が瞬いている。

 すっかり暗くなった外は、不思議なことに火を焚いていても魔物は一つも寄ってこなかった。


「まほう、きらきらしてないの?」


 そんな問いがもう一度落ちた。ヴィヴェカは体育座りをしたまま、じいっと春斗の言葉を待っている。


「使う人間による」

「じゃあ、春斗のまほうはきらきらだ!」


 息が一瞬詰まった気がした。


 ヴィヴェカの青い目はただ純粋に春斗を映している。きれいだからきらきらしている、という実に単純な理屈で導かれた結論だ。


 それでも、その言葉がどこまでも痛くて仕方がなかった。


「んなわけあるか。ほら、さっさと寝ろ。明日は早いぞ」

「むっ。春斗は?ねないの?」

「俺は見張りだ」


 不満げな視線が突き刺さったが、こればかりは折れてやることはできない。結界は展開できているものの、上部からの攻撃は簡単に通してしまうし、万が一の際に起きている人間がいるのといないのとでは初動の対応に大きな差が生まれてしまう。


 そして流石に寝ずの番をこの少女にさせる気は毛頭なかった。


 というか、させる人間がいたら春斗はその人間の品性と常識と道徳を疑うだろう。


「春斗がねないなら、ねない」

「寝ろ」

「ねない」

「……寝ろ」


 そればっか、とヴィヴェカが頬を膨らませた。そのうち体力も尽きて寝落ちすることだろう。春斗は先ほどの少女の様子を思い出し、小さくため息をついた。これぐらいの年の子供は扱いがよく分からない。


「まほうのおはなし、つづき、ききたい」


 ――ぱちぱち、ぱちぱちと枝が燃えている。


 穏やかな時間が痛い。心の奥底に酷くしみて、春斗はゆるく目を細めた。


「春斗はなんでまほうつかいなの?きらきらだから?」

「どうだか」


 何で、と問われて出せるような回答を春斗は持ち合わせていなかった。


 適当に流せばいいだけの話であるにも拘わらず、春斗は息をついて考え込む。そう言うところが甘いのだ、と散々言われた言葉をふと思い出して、なんとなく苦笑した。


 魔法使いになった理由なんて分からない。春斗は気がついたときにはそうであったし、そう生きることに疑問は持っていなかった。


「何でなったかは俺だって分からん。ただ、そうだな。魔法は……魔法は、嫌いじゃなかったよ」

「……いまは、きらい?」

「分からん」

「わかんないんだ」

「俺みたいなひねくれ者は自分のこともよく分からないんだよ」


 ふうん、とヴィヴェカは心底不満そうな声を出した。春斗の回答はお気に召さなかったらしいが、今度はしつこく食い下がってくることはなかった。


 ゆるりと金の粒子が白い魔力の壁を泳ぐ。春斗は眉を下げてヴィヴェカを見ると、寝ろ、ともう一度口にした。


「夜更かしなら後でもできる」

「!」


 花がほころぶような笑顔が咲いた。春斗は急に明るい表情になったヴィヴェカに驚いて目を瞬かせたが、ヴィヴェカはそんな春斗の様子は気にならないようだった。


 えへへ、そうだね。そんなことを繰り返しては、白く細いきれいな指を胸の前で遊ばせている。


「寝ないのか」

「ねる!ふふふー、こんどは、よふかししようね」

「夜更かしすると背が伸び……いや、うん、分かったよ」


 背が伸びないぞ、と言いかけてから春斗はそっと首を振った。よく寝たところで背が伸びない人間は伸びない。悲しいことに個人差というものは存在するのである。春斗は平均より低い自分の背丈を気にしていた。


「やったあ!それじゃあ、わたし、ねるね。おやすみなさーい」


 鈴のような声が跳ねる。春斗も、おやすみ、と小さく落として目蓋を閉じた青い少女を見る。


 赤い光が少女を照らしている。小さなぱちぱちという音が耳にしみて仕方がなかった。

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