二十四 青と灰

 春斗が行使したのは実に単純な魔法である。水を象徴する隣人たちに魔力を渡し、周辺の水分をくみ上げ目の前のドッペルゲンガーへ射出する。


 そこへ少しの工夫として、風を象徴する隣人たちに射出した水流を細く速くしてもらった。それだけだ。


 わかりやすく言い換えれば高圧洗浄機を人に向けたようなものである。魔術的な強さはないが、物理的な攻撃力はそれなりだ。


「はーっ、はー……」


 その攻撃で黒い影が完全に消え失せたことを確認して、春斗は大きく息を吐いた。


 体内で血がぐるぐると巡っている感覚がある。あまりに速い血流のおかげで気分が悪い。血流に乗った魔力の量も異常に多く、高ぶった感情に影響されて過剰に魔力が生産されているのだと分かった。


 浅い呼吸を繰り返して、ゆっくりと生産しすぎた魔力を体外に逃がす。先ほど協力してもらった隣人があふれた魔力を食らっているのが見えた。可能であればもっと積極的に食らってほしいが、別に使い魔でもないのにそこまでしてくれる道理もない。


「だ、だいじょうぶ?」


 ぽん、と背中に小さな衝撃が加わった。振り返れば、春斗が先ほど地面に下ろした少女が不安げな顔をして近寄ってきていた。心配そうな顔をした彼女は、病人を励ますように春斗の背中をさすっている。


 そこにかつての思い出の影を重ねてしまって春斗は奥歯を強くかんだ。


 酷く滑稽だ。それはアリスにも失礼だと思ったし、この少女にも失礼なことだと思った。腕っ節ばかり立派で、心は一つも育ててこなかった自分に吐き気をもよおす。


「ふわふわ、いっぱいでてる。……くるしいの?どうすれば、くるしくない?」


 ゆるく魔力が背中で渦巻いた。


(――他者を対象にした、魔力操作!)


 咄嗟に少女の手を振り払う。元いた世界で魔法や魔術を使用した戦闘ではまあまああった、他人の魔力を操作することで危害を加える術と感覚が酷似していた。


 だからこれは生存本能が行った反射行動に過ぎない。そうであるのだけれど、傷ついた表情の彼女が目に映って、春斗は振り払った手を強く握った。酷いことをしてしまったのだと、遅れて気がついた。


「あ――わる、い。お前のやろうとした、それ、は、あまりいい思い出が、ない」


 息切れしながら、言い訳のような言葉を吐いた。最低だ、と内心で嘲っている自分がいる。自分の都合で、向けられた優しさを無下にしていいわけがない。


 それが、まだ経験の少ない年若い少年少女ならなおのこと。


「うん……うん。わかった。まわりの、きらきらに『おねがい』するのは、だめ?」


 それだというのに、少女は柔らかく笑ってそう提案した。青い目が灰色の青年を映して笑っている。


 それなら問題ない、と春斗は頷いた。体内で生産した魔力を『きらきら』、つまり隣人たちへ渡す行為は日常的に行っている。人間が自身の魔力を操作しないのであれば、まだ許容できた。


 そして一拍遅れてはたと気づく。今、この少女は「まわりのきらきらにおねがいする」と言ったか。


 春斗は両腕を春斗に向けてうなっている年端もいかない青い彼女を見た。青色の髪がふわりと重力に逆らっている。


 魔法使いだ、と確信した。髪が重力に逆らっているのは体内から放出される魔力が濃いため、浮いているように見えるからだ。それに、彼女はおそらく隣人たちを認識できている。


 魔法使いは世界そのものへの干渉を得意とする魔道士の一種だ。魔術師は自己への干渉を得意とし、その才能は隣人を認識できるか否かで区別されることが多い。


 この少女は周囲に浮遊する精霊や妖精たちを認識できている。ついでに言えば、春斗から不規則に放出され続けている魔力も認識できているらしい。いずれも、魔道士、もとい魔法使いの素質がなければ不可能なことだ。


 少女は左手の人差し指を立てて、くるりと時計回りに回した。引きつけられるように隣人たちが寄っては、過剰に漏れ出た魔力を拾っていく。


(ルイスの言ってた精霊の里ってところの人間か?それにしては、幼すぎるような)


 里を出て旅をしていると言うには年齢が幼すぎる。せめて保護者の一人でも連れていなければつじつまが合わない。


 彼女の気配は明確に人のそれだ。決して神秘世界の住人の――精霊やら、妖精やらの気配ではなかった。


「ふーっ。『みこ』さま、だいじょうぶ?」


 一仕事終えました、と言わんばかりに少女が額の汗を拭うような仕草をする。もちろん汗なんてものはかいていない。


「ふはっ、はは、ははは!」


 それがなんだかおかしくて、春斗はつい吹き出してしまった。


 少女はきょとんと大きな青い目を丸くしてから、しつれい、と抗議するように春斗をにらんだ。これは全面的に春斗が悪いので、両手を挙げて詫びの言葉を口にする。


 先ほどの張り詰めた空気から一気に弛緩してしまった。その落差がおかしくて、それを受け入れられてしまった自分もほとほとにおかしくて仕方がなかった。


 ただ、気分だけは悪くはなかった。


 体調も最悪だったし、疲労も十二分に蓄積されている。状況も未だよく分かっていない部分が多いし、先ほどの怪物だって何なのか正直分かっていない。


「もう、それだけわらってるなら、だいじょうぶだ!ふん!」

「はは、悪かったって」


 笑いながら言って、こみ上げてきた吐き気に口を手で押さえる。顔色も悪くなったらしい、ぷりぷりと怒っていた少女ははっとした顔をして、おろおろと迷うように春斗の背中をさすった。


 魔力不足による吐き気である。生産過剰で息切れしていたのにも関わらずこれ。もしかしなくても過剰に魔力を食われていたのか、と春斗は胃の中のものを吐き出してから口元を拭った。


「もう、大丈夫だから。やめるように言って、もらえる、か。おえっ……」

「わ、わかった!」


 再度嘔吐いて、胃液を地面に吐き散らす。少女に目線だけを向ければ、両手をわたわたと振り回しているのが見えた。散れ散れとジェスチャー敷いていたのだろう。


 春斗はなんとなく苦笑して、もう一度口元を拭って少女に声をかけた。


 だいじょうぶになったんだ、と笑った彼女が途方もなく眩しく見えたのは、きっと気のせいなんかではないのだろう。

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