第13話 魔王からは逃げられない

(……まさか、こんなあっさり潜り込めるなんてね)


 母と兄、二人と一緒に和やかに晩御飯を食べる中、リカは内心そんな事を考えていた。


(念の為にと用意しておいた逃走ルートも必要なかったし、彼についてもあっさりと私の能力の術中にハマったし……本当に彼があの放火魔を倒したの?)


 信頼できる筋からの情報なので間違いは無いだろうが、それでも不安になってしまうほど流星は隙だらけだった。


「ねえねえお兄ちゃん、今日学校どうだった?」


「そうだな〜」(理華は学校に行ってないからな、地雷を踏まないようにしないと)


(うーん、やっぱり普通にいいお兄ちゃんって感じね。微塵も私を疑う素ぶりが無いわ)


 リカは荒宮理華という架空の人物を完璧に演じつつ流星に探りを入れていく。


「───っていう事があったんだ」(七割ぐらい脚色してるけど、まあ理華が喜ぶならいいだろ)


「わあ! お兄ちゃんすごい!」(この家に来て早数日、これといった収穫が無くてつまらないわね)


 流星は密かに見栄を張って妹にアピールするが、家族どころか知り合いですらないリカは無関心だった。哀れ流星、前話ではブラコンな妹が居るんだと騒いでいたが、結局そんな物は夢物語だったのだ。


(はあ〜! やっぱ理華は可愛いなあ。健気でお兄ちゃん大好きで、天使かよ)


 残念ながらリカはどちらかと言うと悪魔であるが、それを流星が知る術は無い。


(このままじゃ埒が明かないし、今夜中にでも勝負に出ようかしら)


 今も流星の秘密をどう明かしてやろうかとしか考えていない。そしてそれも流星が知る術は無いのであった。流星、哀れなり。


▽▽▽


「理華、聞きたい事ってなんだ?」


 その夜、流星は自室にリカを招いた。なにやら話したい事があるらしいのだ。


「うん……お兄ちゃん、小っちゃい頃の約束覚えてる?」


 リカは覚えてるのかなと不安そうにしながら尋ねる。覚えてるも何も、二人は数日前まで赤の他人なのだから約束も何も無いだろう。普通ならそうだが。


「え? ……ああ! あの約束ね。うん、覚えてるよ」


 しかし彼女の場合は違う。彼女の異能『認識改竄』は詳細な"間違った記憶"を入れ込む事も可能であり、このように嘘の約束をねじ込む事も出来る。


 『認識改変』の恐ろしさはそこにある。例え虚実であろうと彼女が"あの時約束した"と言えば、相手もそれが事実なのだと思い込まされてしまう。


(約束というのは一種の取り決め。口約束だろうと少なからず拘束力はあるし、そこに罰則が無くても人は反故する事に罪悪感を覚える)


 こんな使い方、普通なら抵抗を覚える筈だがそこは異能犯罪者。罪悪感なんてとうの昔に捨てている。


「うん、あの時私、お兄ちゃんの秘密を全部知りたいって言って、そしたら大きくなったらねって言うからそれっていつなのって聞いたよね?」


「あー、うん、それで確か五年ぐらい経ったらって言ったなぁ」(あんな昔の事よく覚えてるなあ)


「そう、あれから五年経った。私、もう大きくなったよ? ……教えてくれるよね」(チェックメイト。彼に植え付けた妹に対する愛情の深さを鑑みれば、罪悪感で思わず教えちゃうでしょうね)


 健気に微笑むリカは、その裏で悪魔のような悍ましい笑みを浮かべていた。


「……ダメ、かな?」(さあ教えてちょうだい。あなたの異能を、あなたの秘密を。私に教えて、お兄ちゃん♪)


 懇願する妹に流星は、


「……分かった。教えるよ。理華にずっと教えないのも悪いしね」


「お兄ちゃん……!」(はい、秘密ゲット〜)


 リカの内心なんて知りもせず、流星は意を決して今まで隠し続けた秘密を言うのだった。


「───実は俺、ある武術家に稽古を付けて貰ってたんだ」


「……ふぇ?」


 思ってたのと違う。そんな戸惑いの籠った変な声を出すリカ。そんなリカを見てショックを受けたのだと勘違いした流星は話を続ける。


「師匠の修行がかなり厳しくてね、たまに大怪我して帰ってきたのはそれが原因なんだ」


(っ! あーそういう事。彼の中ではそう解釈が起きてるのね)


 彼女の『認識改竄』を扱う際、注意すべき点が色々とある。その中の一つに記憶の補完という物がある。


 『認識改変』で相手に自身への認識を歪める時、その方法として偽りの記憶を植え付けるのだが、その際に生まれてから今までの記憶を改竄するのだ。流石に一生分の記憶を事細かに弄れる筈もなく、干渉しなかった箇所の記憶は本人に都合がいいよう勝手に改竄される。それが記憶の補完だ。


 今回の場合、リカが"荒宮理華は心優しい人物"という認識を流星に持たせていた為、流星はリカが"なぜ帰ってくる時にいつも怪我だらけ"なのかについて聞きたがってたんだと思い込んだ。


(くっ、私とした事が……でも、その程度の事なら問題ないわ)


 それでもリカが焦る事は無かった。


「そ、そうだったんだ。……ほ、他には? 私に隠してる事、他に無いわよね!」(これぐらいなら私が誘導すれば)


 そう、あくまで彼に植え付けた嘘の約束の内容は"秘密の全てを教える"という物だ。これなら異能の秘密だって知る事は十分に可能なのだが、


「他に、か……うーん」(なんかあったかなー?)


「……へ?」(な、なんで悩む必要があるの! さっきのなんかよりも凄い秘密持ってるでしょ!?)


 心当たりのない流星は何かあったかなと云々唸り、そんな彼の姿を見てリカは動揺する。


「……うん、大丈夫。もう隠し事は無いよ」(流石に性癖は暴露せんでもええやろ)


「……」(……うそ)


 流星のそんな言葉を聞いてリカはいよいよ呆然とする。


(あ、あり得ないわ。こいつ、全く隠し事をしてる素ぶりが無い!)


 能力の関係上、その場凌ぎの立ち回りを要求されるリカは状況を察する能力に長けていた。読心の異能など持たなくとも、相手の心なんて容易く把握出来る。そう自負する彼女は流星の振る舞いに疑問を持たざるを得なかった。


 重大な秘密を抱えているなら必ず心の乱れも少なからず発生する。なのに流星にはそれが無い、まるで本当に隠し事なんて無いかのように。


(あり得ない! あり得ないわ! カケラも動揺してないなんて、こいつ本当に人間なの?)


……リカはその真実に辿り着けなかった。そう、そもそも流星は異能を隠してなんかいない。いや、実は転生者でしたという特大の秘密がある筈なのだが、この時流星は幸か不幸かその事をすっかり忘れていた。


 ランクD1の『威圧』、それが正真正銘彼の異能であった。


「理華、大丈夫? なんか汗が凄いけど」(やっぱ黙って危ない事してたのは不味かったかな)


「う、うん! 大丈夫」(くっ、ダメだわ。こいつ異能を徹底的に隠そうとしている)


 なぜそんな簡単な事に気付けないのか、それは彼女が確信を持って行動しているからだ。


 彼女は裏社会で『情報屋』と呼ばれる人間に荒宮流星について調べて欲しいと頼んだ。詳しい事は省くが、その者が持つ異能は情報収集において右に出る者はいない強力な能力なのだ。


 そんな人間が集めた情報だ。間違いなんて筈ない。そうリカは思い込んでいる。だが、その情報こそが誤りだった。


 情報屋の持つ異能は確かに情報収集に特化している。しかしその異能で得た情報は必ずしも真実ではない。どういう事か? その能力が相手の心を読むのではなく、周りの人間を利用して相手の内情を調べる物だからだ。つまり周りの全ての人間が間違った考えを持っていれば真実には辿り着けない。


 さて、荒宮流星という人間を正確に知る者ならご理解して頂けてるだろう。彼を中心に巻き起こっている勘違いの数々を。


 そう、情報屋は流星の周りにいる人間を使って彼の異能の正体を暴こうとしていたのだ。その結果、周りの全員が斜め上な勘違いをしまくっていたせいで情報屋は勘違いしてしまい、それを聞いたリカも勘違いしたのだ。


 勘違いが勘違いを呼ぶ。まるで伝染病である。ミーム汚染、認識災害……荒宮流星はミーム系のSCPだった?


「か、隠し事はダメなんだからね。あーあ、安心したら眠くなってきちゃった。私もう寝るね、お稽古はいいけどあんまり無茶しちゃダメだよ?」(悔しいけど今日はもう無理ね。また明日、別の手段を考えなきゃ)


 そうして彼女は勘違いに気付く事なく部屋を後にする。今夜中に情報屋からの頼み事を終わらせるつもりだったリカは厄介な依頼を受けてしまったと若干後悔していた。


……だが、彼女の不運はこれだけじゃなかった。


「……虫」


「っ!?」


 ポツリと、唐突に呟いた虫の一言。不本意ながらも『寄生"虫"』の異名を持つ彼女はそれをスルーする事は出来なかった。


 一見脈絡の無いこの発言。先に言っておくと流星はリカの正体に気付いていない。その証拠に彼の目線の先には一匹のチャバネゴキブリがあった。


 つまりさっきの呟きは"あ、ゴキブリ"という意味なのだが、不運な事にゴキブリは扉の隅。リカはドアを開けていたせいで丁度死角となっていたのだ。


「お兄ちゃん、何か言った?」(ま、まさか)


「……ううん、なんでも無いよ」(理華は虫嫌いだからなあ。わざわざ教えて怖がらせるのも悪いし、後でコッソリ駆除しとこ)


 更にここで記憶の補完の弊害が現れた。


 流星の中で妹のリカは虫が嫌いという認識を持っていた。そのせいで流星はリカの事を気遣い見て見ぬふりをする。


 自身の二つ名に関連する言葉を呟き、更にそれについて尋ねたらあからさまにはぐらかすときた。それも異能の正体を探ろうとした次の瞬間に、だ。


……まあ何が言いたいのかというと、


(ば、バレてる!?)


 勘違いが起きた。


(ど、どういう事? いつ? いつから気付いた? そもそも能力は効いてたの? いや記憶の改竄は確かに起きてる)


 予想外の展開にリカは立ち尽くす。目を見開き、呼吸は乱れ、思わず擬態を解いてしまうほどだった。


「理華? なんか汗凄いけど大丈夫?」


「っ! な、なんでも無い。私もう行くね」(くっ、分かり切ってる癖に白々しい。目的は何? 私の正体に気付いてるのに何もしないのは何故?)


 このままボロを出し続ける訳にも行かないと、リカは急いで部屋から飛び出す。


(逃げる? いや駄目ね。彼の目的は分からないけど、少しでも逃げようとすればその時は容赦なく攻撃するでしょう)


 今まで正体がバレた事のなかったリカは一瞬錯乱したものの、咄嗟のハプニングには慣れっこな彼女は思考を回すにつれて冷静さを取り戻す。


(……目的は全く分からないけど、気付いた上で何もして来ないという事は今すぐ排除する気は無いと見て良いわね)


 布団の中でリカは絶えず考える。


(逃走ルートは確保してる。明日……いえ数日してから逃げましょう)


 その為にどうするべきか、相手をどう出し抜くか、リカは日の出を迎えるまで考えるのをやめなかった。


───しかし、その後も流星は狙ってやってんのかというほどに意味深なワードや行動を連発しまくり、そこから更なる勘違いの沼にハマってしまったリカは一ヶ月以上経っても抜け出す事が出来なかった。


 次第に彼女は全ての行動を監視されてるのだと思い込み、死にたくない彼女は流星に従順であろうと心改め、荒宮理華としての振る舞いを徹底するようになるのだった。






……これは余談になるのだが、日本の戸籍に荒宮理華という人物がいつの間にか追加されていたらしい。

 それを知ったリカは大層戦慄し、その日を切っ掛けに流星には絶対逆らわない事を誓ったそうな。


 ちなみにそれを行ったのはとある財閥グループであり、それを行う切っ掛けとなった人物は後にこう語る。


『放火魔に続き、あの寄生虫まで……しかも今度は首輪を繋げるときた』


『寄生中のような輩が接触した時に逃がさないよう敢えて私の監視の目を無視して利用したのだとしたら……』


『まったく、本当に末恐ろしい子だわ』

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