第25話 彼に会いたい

土曜日


臼倉大志がダンジョンタラバガニの依頼を受けた日の朝。


秋月グループ本社


 ここは東京駅近くにある秋月グループの本社である。


 午前7時ではあるが、職員たちが忙しなく動いている。


 社長を迎えるためだ。


 やがて黒い高級車が姿を現した。


 そこから降りたのは


「「おはようございます!秋月社長!」」


 スーツ姿の社員らの挨拶を受け、視線で答える秋月一馬。


 秋月グループを束ねる存在であり、臼倉大志と同じクラスである秋月花凛の父である。


 紺色の髪に切れ長の目、そして整った目鼻立ちは踏み込めないオーラを漂わせる。


 そんな彼を見て、職員らは恐れ慄く。


 ただでさえ、血も涙もない冷たい男と呼ばれているのに、今の彼は何かを必死に我慢しているような感じだ。


会議室


「現在、上級マナ草の需要の急増により、調達状況がよろしくありません。このままだと秋月ダンジョン製薬株式会社の工場の生産ラインの一部を止める羽目になると考えられます」


 役員会議で各々の役員が集まり状況報告をプレゼンしている。


「ふん……そうですか」


 と言って、秋月一馬は深刻そうな表情を浮かべる。


 そんな彼を見て、役員たちは冷や汗をかいた。


 他の役員が口を開く。


「SSダンジョンの攻略の件ですが、現在、Aランクのエリート冒険者たちが頑張ってくれているところですが、レッドドラゴンの確保はまだできておりません……以前より強くなったとの報告がございまして……それと、ライバル会社による探索者争奪戦が激しくなっておりまして……」


 と、他の役員はブルブブ身震いしながら秋月社長の顔色を伺う。


 秋月社長はというと、


「上級マナ草はダンジョン攻略において絶対欠かせないアイテムの原料です。買取価格を一本あたり5000円か6000円にしても構わないので、確保してください。それと、探索者争奪戦のことですが、秋月グループはライバル社と比べても決して引けをとらないほどのいい条件を常に提示しています」

「そ、そうですが……ライバル会社が……」

「最近、秋月グループ所属の有能なエリート探索者がライバル社に移籍したという話を聞きました。理由を聞くと、探索者をなめるような態度を取る職員がいるとか」

「そ、それは……」

 

 言いあぐねる役員。


 秋月社長は彼を睨む。

 

 しかし、表情はいつものような鋭さや敵意は感じられない。


「札束でほっぺたを叩いて、あれやれこれやれと押し付けても何もなりません。もっと探索者の心に寄り添わなければなりませんから」


「「っ!」」


 役員全員は驚いた。


 理詰めで攻める彼だが、探索者の心に寄り添わなければという、感情的な表現を使ったのだ。


 会議が終わった。


「驚いた……まさか秋月社長があんな表現を使うなんて……」

「いつも数値と合理的な考えを重んじる社長とは思えない言葉でしたね」

「でも、あながち間違ってないんですよね。社長の性格だと探索者管理部門の人の総入れ替えもあり得るかと」

「うう……」


 役員たちが変わった社長について話しながら廊下を歩いていた。


 秋月社長は一人会議室に残っている。


 彼はまた何かを強く我慢する表情だ。


 自分の妻の癌が治ってから一日が経っている。


 いまだに信じられない。


 彼の存在は自分を大きく変えた。


 彼によって自分の人生を見つめ直すことができた。


 自分は秋月グループを継ぐべく、親からとても厳しく教育を受けてきた。


 努力は自分を裏切らない。

 

 父と母が口癖のように自分に言い聞かせた言葉だ。


 死に物狂いで努力すれば、自分の夢は叶う。


 欲しいものを手に入れられる。


 なんでもできる。

 

 努力して、秋月家の名に恥じない人間になれと。


 だから努力した。


 気が狂いそうになるほど努力した。


 親に虐待を受けながら。


 他人を蹴落として、いつも一位を目指して頑張ってきた。


 その結果、自分は輝かしい人生を味わうことができた。


 若い年で、この巨大な会社をもらい、会社は成長の一途を辿っている。


 周りの人間は自分を褒め称える。


 側からしてみれば自分は成功した人生を歩んでいるように見えるだろう。


 しかし、

 

 妻が癌に罹った。


 生存率が最も低い癌に罹った。

 

 初期だったらなんとか手の打ちようはあるものの、末期癌だった。


 最初はなぜ何も言わなかったのかと妻を責めた。

 

 今思えばとても自己中心的な発言だった。


 男を産めない我が妻を責め立てる両親のことだ。


 もし体に異常があることが分かれば両親は彼女をもっと責めたるであろう。


 いつも、俺に合わせてくれて、式典やイベントなどでもそばにいてくれる我が妻。


 不平不満を言うことなく、俺に従ってくれる妻。


 俺を支える妻。


 俺は悪くない。


 俺は頑張った。


 頑張って稼いだ。


 死に物狂いで努力して先代の名に恥じない働きを見せた。


 そう自分に言い聞かせてきた。


 だけど、


 やつれて行く妻。


 俺は妻を救おうと躍起になって動いた。


 天文学的なお金を使い、体にいい物を妻に与え、手術も受けさせた。


 きっと努力したら妻は良くなる。


 癌は治る。

 

 そんな盲信にも似た考えが俺が動く理由であり源だった。


 そこに妻への愛はなく、自分のやせ我慢しかなかった。


 妻の様子は日を追うごとに悪化していく。


 死へとだんだん近づく彼女と、嘆き悲しむ愛する我が娘・花凛。


 あんなに明るい花凛が絶望に打ちひしがれて嘆き悲しんでいた。


 その瞬間、自分は真実に気がついた。


 自分は努力、合理的考え、論理などという格好いい言葉を盾に逃げていた無能な男にすぎないと。


 妻を道具のように認識してきた醜い自分。

 

 妻の内面を見ようとせず、妻の心を察することができなかった不器用な自分。


 妻と娘にどう接すればいいのかわからなくて、仕事にかこつけて家庭を疎かにした無能な自分。


 医者から余命が近いと言われた時は、妻に跪いて謝罪した。

 

 やつれ果てた妻は笑いながら大丈夫と言った。


 いっそのこと呪の言葉を吐いても良かろうに。


 自分は無能だ。


 無能中の無能だ。


 俺が殺したのだ。


 俺が妻を殺したのだ。


 俺が花凛に悲しい思いをさせたのだ。


 そんな罪悪感に打ちひしがれていると、


 臼倉くんが現れた。


 彼が持ってきてくれた花を食べて妻の病気は治った。

 

 奇跡が起こった。


 これまで自分が掲げてきた正義は跡形もなく壊れてしまった。


 努力は大事だが、自分の努力は大切な人を助けることもできない取るに足りぬもの。


 合理的な考えでは解明できない事象は山ほどある。


 それを彼から学んだ。


「臼倉くん……」


 彼のことを思い出すたびに心が締め付けられるように痛い。


 昨日、花凛から臼倉くんがどんな子なのか詳に話してもらった。


 入学するときに親を失って、ひどいいじめを受けている子。


 勉学に励む傍ら、金を稼ぎながら生計を立てている可哀想ふで貧乏な子。


 彼は自分の妻を救ってから潔く去った。


 なんの対価を要求せずにいなくなった。


 そして、娘との通話で彼が放った言葉。


『家族と楽しい思い出、いっぱい作ってね!』


「本当に……本当にいい子だ……自分の両親が死んだのにあんな優しい言葉がかけるとは……」


 自分は大人で臼倉くんは高校生だ。

 

 立場も経済力も自分が上だ。


 けど、


 彼のような優しい人間になりたい。


 彼を見習いたい。


 そんな気持ちが芽生えてきた。


 この気持ちは仕事中にも無くなってくれなかった。


 むしろ自分をもどかしい気分にさせた。


 いつもは土曜日でもゴルフやら会食やら仕事やらで夜遅く家に帰るが、決済業務だけ済ませて早速妻のいる病院へ向かった。


 エレベーターに乗って妻がいる個室の扉を開けた。


 そしたら、そこには


 楽しく談話を交わす母娘がいる。


「パパ!!」

「あなた……」


 俺は手を振ってから妻のいるベッドに行って、口を開く。


「彩音、退院したら何が一番したい?」


 俺のぎこちない問いに妻である彩音は目をパチパチさせたのち頬を緩める。


「そうね。体重が増えて元気になって退院したら、臼倉くんの顔が見たいわ。私の元気な姿をあの子に早く見てもらいたいの」

「そうか……なら、お、俺も一緒に……」

「ふふ、いいわよ」


 と言って、彩音は俺をじっと見つめる。


 俺が戸惑っていると、上半身だけ起こした状態で彩音が両手を伸ばした。


 俺は申し訳ない気持ちを感じつつ、彩音を優しく抱きしめた。


 そんな俺たちを見ている花凛は優しく微笑む。


 臼倉大志。


 彼は、歪んだ俺の価値観によってボロボロになった俺の家庭に命を与えた子だ。


 いまだに彼のことを思い出すと心が熱くなり、切なくなる。


 謎の黄色いスライム抱えていた不思議な男、臼倉大志。


 俺も彼に会いたい。



追記


次回は可愛いぷるんくんが登場します!

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