時は流れて
時は流れてレグルスのギルドの業績は右肩上がりだった。俺がこのギルドに雇われてから12か月、すなわち1年が過ぎたころのことだ。
「ライラさん、本部から書状が来ています」
「あら、何かしら」
そう言いつつも口元は緩んでいる。これまでの功績を認められ、この1年で2等級の昇進を果たしていた。
ギルドマスターにも等級があり、ライラさんは上級マスターになっていた。ちなみに史上最年少である。年齢は……トップシークレットである。
魔石の買取件数はひと月当たり1年前の3倍近くにもなっていた。
レグルスの新領域はいまだすべて踏破されていない。そのことも魔石の採掘量の増大に寄与している。それも踏まえ、今後どのようにギルド運営をして行くべきか、などと考えていた。
「なん、ですって……?」
ギリッと歯を噛みしめ、書状を握りつぶさんばかりに力が入っている。目は血走り、普段の柔和な表情はどこか消え去り、かぶっていた猫の毛皮は群れを成して逃走していた。
思わずスッと踵を返して部屋から出ようとした瞬間、ガシッと肩をつかまれた。おかしいな、俺とライラさんの間には大きなデスクがあり、それこそそのデスクを飛び越えない限り一足飛びに俺に触れることはできないはずだ。
半ば現実逃避しつつ振り向くとライラさんは再び膨大な量のネコの毛皮をかぶって俺に微笑みを向けてきた。
「ベルツさん、ちょっといいかしら?」
「いえすまむ!」
ハイかイエス意外に返答がない時点で選択肢という言葉は意味を失う。などと益体もないことを考え、どんな厄介ごとを押し付けられるのかと身構えてしまう。
「いつもお仕事ご苦労様、ベルツさんには感謝しかありませんわ」
きゅっと俺の手を包み込むように握られる。顔も近い。なんかいい匂いがする。頭に血が上りもやがかかったような思考で答えた。
「い、いえ。当然のことです」
「そう、それでね。困ったことが起きているの」
「はい、なんなりとおっしゃってください!」
「うれしいわ。ベルツさんは本当に頼りになります」
素晴らしくいい笑顔でライラさんは俺の腕にしがみついてきた。その素晴らしい感触に俺は首を縦に振るだけのマシーンと化していた。
「うーん、これは……」
レグルスのダンジョンがある地方にはほかにもいくつかのダンジョンがある。そしてこの書状の内容は、レグルスに坊っ権者が集中しすぎて他のダンジョンの経営を妨害しているという陳情が上がっているとの知らせだった。
「ふむ……」
「ね、困ったものでしょう?」
ギルド本部としては一つのギルドに力が集中することは避けたいのだろう。そして……書状の最後になんかすごいことが書かれていた。
「え? ライラさん、ここ……」
「はあ!?」
そこにはギルドの均衡を図るためと称して、なんかえらいことが書かれていた。すなわち……ラオさんを始め、リー一族の本部への所属転換であった。
「ふざけんじゃないわよ!」
再び毛皮をかなぐり捨ててライラさんが吠える。ちなみに、ギルド職員はこの本性について知ったうえでスルーしている。実に見事な処世術である。
「アイリーンを本部へ派遣。交渉と同時に揺さぶりをかけて」
「あ、それですが、アイリーンさんは故郷の魔国でトラブルがあったそうで休暇をとっています」
「なんですってええええええええええええええええ!?」
「ラオさんはいまミマスのギルドに救援に行ってます。どうも大規模な遭難事故が発生したようで」
「……匂うわね」
「え? すいません、シャワー浴びてきます!」
ボケたふりをしてこの話から逃げようとするが、今度は背中にしがみつかれた。
「ふふ、ベルツさんは臭くないですよ。いいですから話の続きをしましょうね」
背中に当たる感触に抵抗の意思を根こそぎへし折られる。なんか最近こうやって負けていることが多い気がしていた。まさかライラさんが俺なんかにって思うしなあ。
「あ、ちなみに、わたしのタイプは仕事ができる人です。もちろんイケメンとかは好きですけど無能だったら論外ですね」
「そそそそうなんですか!?」
まるで俺の心を読んだかのような一言にどきんと心臓が跳ねる。
「さて、話を戻しますね」
いつの間にか応接用のソファーになぜか並んで座っている。本来は対面で座るものじゃないんだろうか?
「は、はい」
「仕組まれましたね」
「……やはり、ですか」
「ええ、ギルドも一枚岩じゃありません。当然足の引っ張り合いなんて普通にありますよ」
「うわ、聞きたくなかった。そういうどろどろしたの苦手なんですよ」
「ふふ、そういうのはわたしの得意分野なのでお任せください。ベルツさんは……今まで通りギルドの運営に力を入れてください。もちろんわたしは貴方を手放す気はありませんからね。ずっと一緒です」
もはや告白じゃないかこれ? もちろん有能な部下を手放す気は無いという意味なんだろう。それでも誤解をわざとさせるというか、ミスリードを誘うというか、何ならハニートラップとも思える様な言動に思い切り惑わされる。
「まあ、あれね。差出人は…‥やっぱり」
ライラさんはため息とともに差出人を確認していた。そこにはとあるギルド幹部の名前がある。
「この方をご存じで?」
「ええ、というのもうちの実家の寄り親なのよ」
ライラさんの実家はとある男爵家だそうで、上に兄弟がいるので自活の道を探ってギルドに入ったそうだ。
「ここで一旗揚げてやろうってね」
「なるほど。ご立派です」
「ふふ、ありがとう」
そうして話を聞くと、ギルドは一部の門閥貴族の影響下にあり、女性が出世するのは相応に大変なことだったという。
「アタマかったい老害ども相手に何度キレかけたか……うふふふふふふ」
「ライラさん、落ち着いてください」
「それでね。この書状をよこしてきた奴なんだけど」
「はい」
「わたしを妾にしようとしてるのよ」
「はい!?」
「だからね。一つ手があるの。聞いてくれる?」
ライラさんは美人だ。こんな人を嫁さんにできるならすごく幸せなことだろう。それだけに権力をかさに着てしかも妾とかふざけたことを言うやつには怒りを覚えた。
「はい、何なりと!」
「うん、じゃあ……」
ライラさんの顔が少し赤い。風邪でも引いたんだろうか?
「わたしと結婚してくれる?」
「はい! ……はい??」
まったくの予想外の一言に俺は思考停止した。
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