第19話 両手打ち

――――試合前。


 一人になった教室でジャージに着替えながら、俺は思い出していた。テニススクールでのことを。


 スクール内の対抗戦で格上の相手と対戦し、劣勢に陥っていると、重蔵先生がやってきて俺のコートの横で励ましてくれたのだ。


『経世! なんで本気出さないんだ。キミには無限大のポテンシャルを秘めているっ! こんなところで足踏みしている暇なんてないっ! もっと熱くなれよ!!!』


 そんな依怙贔屓えこひいきしてもいいのかと思ったが、先生は劣勢に立っている選手をひたすら励まして、長い試合時間でも最後まで声が枯れるまで応援するほどハートが熱い。


 上級生がぽんぽんぽんとボールを地面に打ちつけてはキャッチするルーティン中に言い放った。


『まだ経世が俺に勝つのは早いっ!』


 上級生のサーブが決まると俺はセットを落とし、負けを覚悟したときだった。


『経世っ! いまがチャンスだ! ここをしのげば希望が見えてくる、がけっぷちを越えてみろっ!!!』


 先生の叱咤激励しったげきれいにより俺は……、



 ――――ゲームセット! マッチウォンバイ九重。 3ゲームトュー2。



 先生の言う通り、崖っぷちだった上級生のサービスゲームをブレイクしたことにより、その後はまさか、俺が上級生の得意とするサーブを捉えられるとは思ってなかったのだろう、上級生は完全にリズムを乱してしまい、俺は二つ年上の彼に辛勝していた。


『よくやった経世。やればできるじゃないか!』


 俺の頭に大きな手を置いて、先生は破顔一笑はがんいっしょうして俺を誉める。試合が終わり上級生は俺に負けてよほど悔しかったのか、俺と握手しながらも片手は目を覆い隠していた。


 先生は上級生のコートへと移り、俺に負け泣いてしまって、コート上でがっくりと膝をついて立ち上がれない上級生へと駆け寄る。


『気にするな! おまえは米の苗だ! 台風の強い風にあおられても立っていられるようにしろ!』

『はいぃぃ……はいぃぃ、ありがとうございます、重蔵先生ぇぇ、経世にリベンジします……』

『よし、その意気だ!』


 先生は慰めの声をかけ、上級生の肩を抱いて励ましていた光景が特に印象的だった。


 重蔵先生はいい先生だった。


 俺とは合わなかったけど……。


 俺の無気力が加速してしまったのは重蔵先生の暑苦しさも多少影響してると思う。



 放課後、俺は木崎にテニス部のコートへ呼び出され向かっていると、伊集院が声をかけてくる。


「鈴城くん! 私、戻らないから……」


 彼女が近づいてきたかと思うと、とんと俺の背中が揺れていた。腰を捻ってみると伊集院はバックハグしてきて、返事するまで離してくれそうにない。


「俺は試合を受けると言ったけど、伊集院を賭けるとは一切言ってないから、好きにすればいい」

「うん!」


 俺の言葉に頷き伊集院が離してくれたことで、ようやくコートへ向かえそう。


 選ぶのは伊集院なんだから、強制されるようなことがあってはならないんだ。



 伊集院と並んでテニスコートに到着するとコートを囲むフェンスの周りには多くの女子たちが集まり、木崎をねんどいろっぽくしたイラスト入りのうちわを持って、さながら目当ての推しの入り待ちを思わせる。


「がんばって!」

「もちろんだ」


 勝ってと言わないところが伊集院でも現実を把握してることが分かる。そりゃ、俺みたいな陰キャモブが木崎に勝ったら、それこそ奇跡か、まぐれだ。



 俺が伊集院を待たせて、フェンスに内に入った瞬間木崎ファンの女子たちから、ぶーぶーっというブーイングが巻き起こる。


 こりゃ完全アウェーだな。

 

 なんとなく分かってたことだが、ベンチに座っていると敵陣に乗りこんできたはずなのに俺に優しげな声がかかる。


「こちらを使ってくださいね」


 声優の能登麻美子エルザ・グランヒルテ系癒やしボイスの佐竹先輩が俺にラケットを渡してくれたのだが、俺は顔を正面から彼女に見られたくなかったので、失礼にも彼女から顔を背けながら、


「ども、ありがと、ございます」


 購買部のお姉さんばりになまらなまった感じでお礼を告げる。すると佐竹先輩は人差し指と親指を口に当ててくすりと笑っていた。


「勇騎のわがままにつき合わせちゃって、ごめんなさい。あとでちゃんと叱っておくわね」


 おしりが真っ赤になるほどペンペンしてやってください。そんなところだ。


 ただ気になったんだが、先輩はなにも聞かされていないのだろうか?


 あまりにあっさりとした先輩の振る舞いだったので疑問が湧いたが、木崎から先輩を奪うつもりなど毛頭なかったので特に彼女に訊ねることはしなかった。


 ありきたりの漫画みたいに不正はしていないだろうが、借り物のラケットなので隅々を見ながらチェックとガットの調整をしていると、


「すみれ! 鈴城のような底辺に優しくする必要などない。それにこいつは俺に負けて生き恥をかき、今日限りで不登校になるだろう」


 木崎はぐいっと佐竹先輩の腕を掴んで俺の目の前から乱暴に引き剥がし、「おまえはあっちに行ってろ」と命令、彼女をフェンスの外へ出してしまう。


 いや俺負けても普通に学校来るよ!


 佐竹先輩は俺に申し訳なさそうにしていたが、木崎は俺に無遠慮極まりない。


「ボクが鈴城程度の相手に不正でもするとでも思っているのか? そんなつまらない勝ち方をしても伊集院を寝取られたボクの気持ちが晴れることはない! 貴様を立てなくなるまで完膚なきまでに叩き潰してやるから、覚悟しておけ!」


「あ、いや借り物だから壊したら、申し訳ないなと思ってさ」 

「ふん、どうせ高校で競争に敗れ去り、テニスを辞めた負け犬どもが残していった遺品に過ぎない。いまとなっては体験入部の貸し出し用だ」


 なるほど負け犬の俺が、いろんな思いを残していった負け犬たちのラケットを使って戦うってか。


「なら俺に先輩たちの無念が乗り移って力を貸してくれるかもな」

「ぬかせっ! 鈴城の勝つなど万にひとつもない」


 まあ重蔵先生なら「勝てないなら、一万一回やって勝つんだ!」とか言いそう。


 昔を思い出して、思わず笑いがこみ上げた。


 テニスをやめた俺がまたコートに立とうだなんて思ってもみなかった。佐竹先輩をまるで賭け事の賞品のように扱う木崎にイラッときてしまったというのが本音だが。



 コートに立った木崎はブランド物のマイウェアにマイラケットとばっちり決まっており、さらさらの髪をかき上げるだけで……。


 ――――きゃあぁぁぁぁーーっ!


 ――――木崎くんカッコイいいーーっ!


 なんて黄色い声援がフェンスの外側から飛んでいた。


 一方の俺はというと臙脂えんじ色のダサジャージが俺のモブキャラ臭を際立たせてくれている。


 俺がラケットを持って、ベンチから立ち上がると、


 ――――ぶーっ! ぶーっ!


 ――――やっちゃえ、あんなモブ!


 女の子たちからブーイングとともにサムダウンされてしまっていた。


 だが……。


「鈴城く~ん! がんばって~!!!」

「鈴城ぉぉぉーーーっ! 絶対勝ってくれ。そしてあたしの無念を晴らしてくれ」


 無念?


 よくは分からなかったが、そう聞き取れた。水上は木崎とは因縁ありそうだからな。


 伊集院と水上が声をあげ、俺を応援してくれており、中村、玉田、太田まで見にきてくれている。



 審判台に座るテニス部員から呼ばれ、俺と木崎が寄ると、


「コインでサーブを決める。それでいいか?」

「どっちでもいい」


 木崎は俺に提案してきたので、それに同意した。


 木崎はプロ気取りか?


 ラケット回して決めることが多いが、木崎はコイントスを選び、


 ――――ザベストオブ3セットマッチ、木崎サービス、トュープレイ。


 奴からのサーブで、


 ――――ラブオール!


 審判から試合開始のコールがかかった。


「ボクのサーブを見て驚け! 貴様は一歩も動けず終わるっ!」


 木崎は自信まんまんに語りながら、地面にボールを打ちつけたあと、空中に高くトスするとラケットで思い切り打ち抜いたように見えた。

 

 えっ!?


 木崎の一本目のサーブに俺は驚く。


 ボールはサービスコートの中でダンッと音を立て、俺の後ろへ逸れていってしまった。木崎のファンたちから木崎を称える拍手が湧き起こる。


 俺は見間違いじゃないかと思い、ジャージの袖でごしごしと目を拭っていた。もう一度確認のため、じっくり木崎のサーブを見ることにした。


 同じだった……。


 ――――サーティラブ。


「ぎゃはははははっ、見ろよ。鈴城の奴、手も足も出ねえでやんの」


 木崎のファンに混じり、浜田が俺を指差してあざ笑っており、見にきた観衆も木崎の圧勝を確信し「モブが敵うわけないわよね~」とはやし立てていた。


 俺はモーションに入る前の木崎に声をかける。公式戦ならあり得ないが、まあそこは余興みたいなものだから。


「木崎、調子悪いのなら今日の試合はやめておこう。日を改めたほうがいいって」


「ふざけるなっ! 貴様はボクに負けるのが嫌だから戯言を言っているのだろう。だがその手には乗らんぞ! 今日ここで貴様を叩きのめして、梨衣を俺の手元へと取り返す!」


 俺の心配は木崎に無用と思われてしまった。


「分かったよ……そこまで言うなら、続行しよう。だけど俺は忠告したから恨みっこなしだぞ」

「貴様ごときに心配される木崎勇騎ではないっ!」

「ああ、そう」


 俺みたいなへんてこな名前と違い、いかにも異世界に行ったら無双しそうな名前の木崎は試合続行を望んだ。


 もう俺はどうなっても知らん!


 木崎のサーブって、本気出しても蝿が止まるくらいクソ遅いんだから……。


 あまりの自信ありげな木崎の様子に俺はもっと奴が強いものだと思っていた。


 ただそれでも本気出したら、木崎のプライドをずたずたにしかねないし、ハンデもくれちゃったしどうしよう?


 仕方ない、俺のハンデはあれでいこうか。


「ヤァーーーッ!」


 俺が決断したその刹那に蝿ボールが放たれたので俺はラケットを両手で握った。ボールを打ち返すためにフォアハンドのフォームを取る。


「ぎゃははははっ! テニスは野球じゃねえぞ、ありゃホームラン打つぜ!」

「素人から見てもあり得なえねえって!」


 すると浜田と江川が顔見合わせ、俺のスタイルを馬鹿にし始めたのだが……。



 ぬんっ!



 パッシーーーン!



 ひさびさのテニスだったので気合一閃、振り抜いた打球は打ち返そうと構えた木崎の手から離れラケットごと後ろへ転がっていった。


 なにが起こったのか、木崎と試合を見に集まった観衆はぽかんと口を開け、目を丸くして呆然と立っていた。


 数秒のタイムラグを経て、審判のコールだけが静まり返ったコートに響いた。


 ――――サーティ、フィフティーン!


 やっぱりひさびさだから、いろいろ感覚が鈍ってるかも。でも、早く家に帰ってメガニケしたいから、ここからぜんぶ俺のターンにしてもいいのかな?


―――――――――――――――――――――――

あれだけ警告してあげたのに、眠れるモンスター経世を叩き起こし地雷を全力で踏み抜く木崎きゅん♡


フルボッコにされてざまぁされる彼をご希望の読者さまはフォロー、ご評価よろしくお願いいたします。いっぱいいただけるとすみれ先輩がたくさん登場するかも。


経世が桜ちゃんに自宅にお呼ばれしたシーンをSSで書きました。(第18.5話 裸婦【桜目線】)


近況ノートへ置いておりましたが、性描写で運営からお叱りを受けないためにnoteへ移しました。

※現状、警告等はいただいておりません。

外部リンクは規約で貼れません。閲覧ご希望の読者さまは【note 東夷】で検索お願いいたします。

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