第4話 返事

――――朝礼後。


 まさかあの伊集院と一緒に日直に当たったことで、男子たちの鋭い視線にいたたまれなくなって教室を出た。額から流血した玉田の後ろ襟を掴んで引きずる担任が廊下におり、心配だったので訊ねた。


「桜ちゃん、そんなことやっても大丈夫なのかよ」

「ああ?」


 玉田は自業自得だから、露ほどの心配もしてない。しかし担任は別だ。生徒に暴力を振るってしまったら、それこそ大問題だろう。だが俺の問いに担任は怪訝けげんそうにしていた。


「このブァカ者か。心配するな、私が追いかけたら勝手に扉に頭をぶつけただけだ。いまから治療のため保健室に行ってくる」


 あれか、パトカーから逃げて自爆した車だ。


 ただ、どっからどう見ても担任が玉田をボコったようにしか見えないし、醸し出す雰囲気から向かう場所は焼却炉がぴったりなんだが、彼女がそう言うなら間違いないだろう。


「俺も手伝うよ」

「ん? それには及ばない。経世はちゃんと授業に出ろ。さもなくば、こいつみたいになってしまう」

「それはヤダ」

「だったら教室に戻れ」


 授業をエスケープする正当な理由が見つかったと思ったのだが、幼少のみぎりから付き合いがあり、因縁浅からぬ仲の担任には俺の意図がすぐに見透かされてしまってた。


「桜ちゃん……ひとつだけいいか?」

「なんだ、経世。もったいぶって」

「なんで俺と伊集院を日直にした?」


 こちらを向いていた担任は廊下の先に視線を移したのだが、俺は人差し指を立て質問すると向き直って、しれっと言ってのけた。


「私を捨てたおまえを困らしたかったと言ったら?」

「そんなことをいまだに言ってるから、桜ちゃんは結婚できないんだよ」


 担任は俺より一回りも上なのにねて人聞きの悪いことを言う。俺も売り言葉に買い言葉じゃないが応戦してしまっていた。


「私の気もしらないで……」


 なにかぼそぼそ歯切れの悪い声で言っていたが、声が小さく聞き取れなく、そのまま玉田を引きずって担任は保健室の方へと立ち去ってしまった。


 さらば我が黒歴史。


【その着せ替え人形ビスクドールは変にされる】


 小さくてよくわからなかった俺に女装させた上で、いたずらしようとしていたマジでヤバい人だ。まさかそんな桜ちゃんが聖職者になり、しかも俺の担任だなんて……。


 世の中狂ってる。


 危うく桜ちゃんのヤバい趣味の餌食になりそうになったが、俺はギリ踏み止まり多少痛いくらいのステージの進行具合で社会生活を送れている。


 廊下で数学教師の姿が見えたので教室に戻ると視界に入った伊集院が微笑んできたのでスルーして席についた。


「この二次方程式の解き方は、因数分解で……」


 一限目は数学Ⅰで、眼鏡をかけた三十路の教師が黒板にXとYとお馴染みの数式を説明している。


 大方の生徒は真面目に授業に耳を傾けているが、ずっと授業を聞いていると俺の脳がゲシュタルト分解しそう。


 崩壊の間違いだったか。


 なので俺は授業中にも拘らず、教科書シールドを展開して購買部で購入した遺書用の便箋びんせんを机に広げた。


 クソ親父からの唯一のプレゼントで、イリジウムなんかの貴金属でできたお高そうな万年筆を取り出し蓋を開けるときゅぽっと音がする。息を吸い込み集中力を高めたあと、罫線けいせんに沿って伊集院からのラブレターの返信を書き始めた。



 伊集院梨衣さまへ


 若草が萌えたち春深むころとあいなりましたが、伊集院梨衣さまにおかれましては一層ご健勝のことと存じます。


 お手紙いただき、誠にありがとうございました。たいへん良いお申し出ではございますが、当方その時間は外せない所用にてそちらへお伺いすることが叶いません。


 申し訳ございませんが、本日のお申し出につきましては丁重にお断りさせていただく所存です。


 なお他意はございません。これまで通り変わらぬお付き合いをいただけましたら、ありがたく存じます。


 これからの伊集院梨衣さまの益々のご活躍をお祈りして、当方のお返事とさせていただきます。


                   鈴城経世



 こういった固い文章を書くのは得意でないが、まあ伊集院に想いが伝わればいいわけだし、彼女ほどかわいい女の子と付き合おうとすれば、それなりのコストと労力がかかることだろう。


 ちょっと伊集院が俺に微笑んだだけで、周りの男子たちの反応は過剰にも思え、特に浜田なんて俺らみたいな陰キャで泡沫ほうまつ候補にすら食ってかかるくらいなんだから。


 告った玉田とかの話を聞いたら、お友だちでいましょうみたいな断り方だったみたいだし、保留とか棚上げ、有耶無耶うやむやみたいな便利な言葉が日本にはあるのでそれに従うのが、角が立たなくて済む!


 数学の教科書を開いて立てたシールドの効果は高く、数学教師に当てられることもなく無事返信も書き終え、一限目の授業が終了した。


 数学教師はとんとんと持ってきた教材の端を揃えてから、まとめると「すまん、日直の子。黒板消しといて」と言ってきたので、俺は慌てて頷く。伊集院は「はい」と優等生らしく返事しており、俺の慌てた仕草を見て、くすりと笑っていた。


 教師が教室のドアを閉めて、あとにすると俺たちは立ち上がり、黒板の前で合流してそれぞれ黒板消しを手に取る。


「伊集院、左半分頼む」

「あ、うん」


 順調に日直の仕事をこなしていたが、黒板の上下左右にびっちり書き込まれた無数の数式と解を淡々と白いチョークの粉が紺のブレザーに降りかかるのも厭わず俺は暗黒面へと回帰させていると、なにやら伊集院は少しむくれている様子だった。


 俺となんかと共同作業じゃ仕方ないのだろうと申し訳なく思っていると、伊集院は背伸びして高いところの文字を消そうとうんうん唸って頑張っていたのだが、あと少しのところで届かない。


「鈴城く~ん……」


 彼女は眉尻を落として震えるような声で俺に呼びかける。俺が伊集院のところに寄ると、伊集院は指差しており、彼女の指先の方向には数式の半分だけが消えているのが確認できた。


 何気にあの数学教師は長身かつ腕が長い。伊集院でもジャンプすれば届くと思うんだけど、彼女が履いているのは、なかなかに短いスカートなので、もしかしたら見えてしまいそうで実に危うい。


 選択肢は三つあった。


 まずは馬になって伊集院に乗ってもらう。


 二つ目は伊集院の腰を抱えて持ち上げる。


 最後は俺が代わりに消してやる。


 玉田なら間違いなく馬一択だろう。木崎なら腰を抱えたりするかも。太田なら伊集院がジャンプするまでディレイでおパンツ見えるまで待ってるはず。


「伊集院代われ。俺が消しておくから、もう戻って」

「ありがとう、鈴城くん!」


 俺は一番無難な選択肢を選んだ。


 そういえば伊集院からラブレターをもらったはずなのに、本人からなにもそれらしい主張がない。もしかしたら伊集院以外の……例えば浜田みたいな奴が俺をはめようとしていて、伊集院の名をかたり偽ラブレターが置かれていた線もありうる。


 そう思っていたときだった。


 耳元に気配を感じたかと思うと、


「鈴城くんって、もっと冷めた子かと思ったけど、キミって優しいね」


 伊集院がふーっと息を吹きかけるように小さな声でささやいてきていた。俺が彼女の方を振り向くと頬を赤らめて、もじもじしたあと恥ずかしいのか慌てて自分の席に戻ってしまう。


 すんげえ破壊力だなぁ……。


 確かに玉田たちを始めとする男子たちが熱を上げて、伊集院、伊集院って連呼する理由が分かった。


 それに……。


 伊集院の天使パワーを持ってしても、浄化しきれないくらいドス黒い空気で教室中が淀みに淀みきってる。


 最低限の会話と軽く耳打ちされただけでこれだ。


 クラスの男子のほぼ全員から向けられる嫉妬と憎悪ってのは、正直キツい。浜田よりも木崎の方が俺を睨んでるのが、それだけあいつの本気度が違うってことなのかもしれないな。


 そういや「彼女と別れるから、俺と付き合ってくれ!」が木崎の殺し文句だったとか噂で聞いた。イケメンはなかなかの屑発言が許されるけど、俺には一生、吐くことないだろうな、そんなの。


 ま、俺は本気もなにもたとえ伊集院がマジ告白であっても、とても関係を維持できるような相手じゃないと思ってるから。


 だが伊集院のアプローチはすごくて、二限と三限の授業間の休憩では、


「私が黒板消し片づけておくね」


 と俺の手の上から黒板消しを掴んで微笑んでいた。今日だけで授業間の休憩ごとにソフトにボディタッチしてして、昼休み前までに認識してるだけで七回も触れられてる。


 男女問わずこんなスキンシップをされたらほとんど伊集院のとりこにされ、俺たち陰キャがまともに話しかけられないような狂犬じみた水上ですら、彼女の前では猫みたいに従順になるのも納得だ。


 三限の授業が終わると担任が教室に顔を出して、伊集院になにか話しかけており、用が済むと担任はそのままどこかへ消える。話し終えた伊集院はすぐに俺の席に歩み寄ってきて頼みごとをした。


「鈴城くん、寿先生が次の授業の資料を運んでほしいんだって!」

「じゃあ、俺が取ってくる」

「私も一緒に……」

「いや俺一人でいいだろう」


 どうせ担任のことだ。二人でいくほどの量もないし、男子の反感も買いたくないから伊集院の申し出を断ったのだが、それが悪手であったことを知る。


「うっ、うっ……」


 伊集院はまぶたにうっすらと滴を浮かべて、祈りのように手を組んで俺にすがっていた。


「私も一緒に……鈴城くんと行きたいの……」


 とどめに上目遣いでおねだりされて、始末に困る。なぜなら後ろの席の太田が「うらやまじぃぃぃぃ」と恨みの言葉を放ったかと思うと闘牛のように赤くなってフー、フーと唸っていたし、他の男子、特に浜田の視線がナイフのように突き刺さって痛いのなんの。


 選択肢ないのかよ。


 断っても刺されそうだし、一緒に行っても刺されそうだ。


 俺は、はあ~っと深いため息をついた。


 女の子を泣かせてしまったら、男子だけじゃなく、女子まで敵に回してしまいかねない。


 静かに息を潜めて、日陰に生きようとする計画が伊集院の分かりやすいアプローチによって、頓挫とんざしようとしていたのだから。


「分かった、伊集院。一緒に取りにいこうか」

「うん!」


 俺が伊集院の申し出を受け入れると、さっきまでの泣き顔が、ぱあっとまぶしいほど輝きを放つ笑顔に変わっていた。


 職員室に向かう廊下で俺の隣を歩く伊集院。


 ――――あの子、めちゃくちゃかわいい!


 ――――誰よ、誰?


 ――――一年の伊集院梨衣だよ。


 ――――顔ちっさ!


 生徒とすれ違うだけで、通り過ぎた伊集院を賞賛する声が後ろから聞こえてくる。伊集院は恥ずかしくなったのか、俺の腕に触れるくらいに距離を縮めてきていた。


 モブ陰キャと学校一の美少女の組み合わせは目立って仕方なかったが、職員室前ともなると廊下に出ていた生徒は少なくなる。


 職員室に入室しようとドアをノックしようとするとクッと身体が止まった。


「ん?」


 俺はおかしいなと思い、振り返ると伊集院が俺のブレザーの裾を掴んで、頬を赤らめながら告げていた。


「放課後、待ってるから……」


 それだけ告げると伊集院は慌てたように踵を返して、教室の方向へと帰っていってしまう。


「えっ?」


 ぽかんと伊集院の後ろ姿を眺める俺。結局俺だけで教材を運ぶことになってんじゃん……。そのつもりで来たからいいんだけど。


 ふぁぁぁ~。


 午前中の授業も消化し、大きな欠伸あくびがでてしまう。とりあえず、あのラブレターを入れたのは伊集院本人ってことが確定したことで俺は昼休みにこっそり伊集院の靴箱へとしたためた手紙を入れておいた。


 これで万象一切灰燼かいじんと為すことなく万象お繰り合わせの上で、上手くはまってうちのクラスの平和は保たれるに違いない。


 ――――マジたるかったわ!


 ――――いまから部活で暴れてくっか!


 実に青春味にあふれた教室だろうか。


 底辺の俺たちには血と汗と涙しかないけどな。


 すべて授業を終え、なんとか伊集院の攻めを耐えしのぎ、刺されることなく今日のデスゲームを乗り切った。


 俺が一日の生を貪れたことに安堵していると陽キャグループがかしましい。


「梨衣、俺とこのあと遊びにいかないか?」

「ごめん、木崎くん。私、このあと大事な約束があるの」


 木崎が伊集院の長い髪の先に触れ、アフターファイブならぬ、アフターフォーに誘うが見事に彼女に袖にされ、陰キャグループがぷっと吹き出し溜飲が下がってる模様。


 すぐさま木崎が睨みを利かしたので彼らはうつむいたり木崎から視線を反らしている。


 案外、ちっちぇえ器だな。それくらいしか楽しみないんだから、許してもらいたいもんだ。


「木崎。なら、あたしが付き合ってやんよ」

「いや、遠慮しておく」


 水上が木崎に声をかけるが、手をあげ彼は立ち去ると水上は盛大に舌打ちしていた。


 鞄に教科書やら、えちい表紙のラノベやらをしまい込む間に起こった教室内での人間観察もそこそこに、俺はすべての授業が終わると同時にベルサッサを決める。


 プリキュアシリーズの再放送があったからだ!


 伊集院には申し訳なかったが、録画し忘れて今日はどうしても早く帰らねばならなかった。リビングのソファーに腰掛けて観る再放送はこれまた格別。


 

 ――――自分を大切にして、何が……。



 いいところでさっき学校から帰ってきたばかりの愛菜から声がかかる。


「お兄ちゃん! お客さん来てるよ!」

「なんだよ、俺にか?」


 玉田か? 太田か?


 あいつらの顔を見るのは学校だけで十分過ぎるんだが。


「あっ、早く出てあげて。女の子だから!」

「えっ!?」


 俺が居留守を決め込もうか迷っていると愛菜が意外なことを告げていた。


「伊集院って言ってたよ。モニター越しでも、分かるくらいかわいい人。お兄ちゃんに訪ねくるなんて絶対、弱味を握って脅したんでしょ!」


 俺をゲス不倫した芸能人のようにジト目で見てくる愛菜。しかも四股レベルの嫌がり方で。


「違うわっ!」


 即座に否定し、インターホンのモニターを見て本当に驚いた。


 伊集院が家に訪ねてきただと?


 制服姿に両手で鞄を下げて、どこかキョロキョロと辺りを見回し不安そうな表情を浮かべていたからだった。


―――――――――――――――――――――――

次回、元陰キャの陽キャ美少女VS厨二陰キャの戦いの火蓋が切って落とされる(CV:千葉繁)。


いいぞ、もっとやれという読者さまがいらっしゃればフォロー、ご評価よろしくお願いいたします。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る