第2話ブーン(前編)
「ブーン、ブーン、ブーン、ブーン」
チャーちゃんが両手を広げて『ブーン』と呟いていますね。これはいったい何を表しているのでしょうか? それにしても何をしていても可愛らしいお方です。
「ブーン、ブーン、ブーン、ブーン」
先刻よりも少しだけ声が大きくなりました。直接言わないと言う事は、俺に正解を当てさせるつもりなのでしょうね。しかし困りました。何を表現しているのか候補が沢山ありすぎて分かりません。そもそも虫なのか鳥なのかさえも分かりませんし。魔戦士ではないのは確実ですが。飛行する点に注目するのであれば、あるいは蝙蝠やムササビ、モモンガの可能性もありますね。
「ボクは今、見たままの存在だよ」
「すると天使ですね。こんなにも可愛いくて愛らしい、翼の生えた存在は天使以外には思いつきませんから。そうしますと、俺を迎えに来たんですね。つまり俺は死ぬんですか? 待って下さい、大切な愛する人が居るんです。その大事な彼女を残してあの世に向かう訳にはいかないんですよ。助けて下さい、出来る事ならばなんでもしますから」
否定表現の為、チャーちゃんは顔の前で手を振っている。
「違うよ、ボクは天使じゃないよ。うーん、でもその彼女がとても大切なんだね」
それはあなた自身の事ですよ。承知の上で確認してくる辺りがとても愛おしくて堪りません。
「ハイ、世界中のどんな存在よりも大切な方なのです。どんなに素晴らしい人物かを是非ともお聞かせしたい次第ですが。今はあなたの正体を当てるべき時間ですね。少しばかり難しいのでヒントを頂けますか?」
「いいよ、ブーン、ブーン、ブーン、ブーン、ヒントは虫さんだよ」
虫さんですか。虫酸でしたらムシズですけど、チャーちゃんは『虫酸が走る』とは対極の立場にいる存在ですからね。
「虫とは言いましても、昆虫は地球上に約百万種類生息している筈です。百万種類の内で飛べる虫を半数と想定しましても、五十万種類程ですか。うーむ、やはり難問ですね。匂いを嗅げば何か分かるかも知れませんね」
アメンボの由来は、飴の様な匂いがして、棒状の体だから、飴+棒=アメンボ、って説を前に見た事がありますが、『ン』は何処から持って来たのかが不明です。
「うん、それは構わないけど、匂いを嗅いでもヒントにはならないと思うブーン」
語尾がブーンになりましたね、なんて可愛らしい事をなさるのでしょう。カナブンと言う可能性が高くなったのは間違いありませんが。ヒントになるかどうかは問題ではありませんのでご心配なく、ただチャーちゃんの匂いが嗅ぎたいだけですから。
左頬、鼻、右頬、首筋、額、左耳、右耳、頭頂部、後頭部、うなじ、順番に匂いを堪能しました。照れくさそうな表情がこの上なく、可愛らしい。
チャーちゃんは同年代の女性よりも大分小柄なので、立った状態でも頭頂部の匂いをかぐ事が可能。
「うーん、困りましたね。匂いからでは何の虫なのかは判別できませんでした。はてさてどうしたものやら……飛ぶ虫の代表格と言えば、蝶ですか。確かに蝶のように可愛らしい存在ですね。蝶が舞う時の効果音としてはヒラヒラが適切でしょうから、蝶は違うと思われます」
「ボクは蝶じゃないよブーン」
「そうですか、トンボ、カブトムシ、クワガタムシ、カナブン、うーん、何でしょうか? カマキリだったら怖いですね」
「ブーン、ブーン、ブーン、ブーン」
カマキリの雌は、雄を食べてしまうので。栄養を卵に送るために必要な措置なのでしょうが、食べられてしまう雄の側からすると、理不尽ですよね。蠅ではないでしょうし、もしかして、『ブーン』がヒントになっているから、他にヒントは必要ないと判断なさっているかも知れませんね。ブーン、ブーン、ブーン、ブーン、縮めてブン、ブン、ブン、ブン、蜂でしょうか? 仮に蜂だとすれば最大の特徴である針を表現する物を持っている筈ですね。しかしながら、両手には何も持っていませんし。
チャーちゃんの背後に回り、お尻を凝視したが、針状の物は発見出来ず。
「なあに、ボクのお尻にヒントは無いよ。それとも単にお尻が見たかったのブン」
恥ずかしそうに両手でお尻を隠す姿も凄く良いです。
「両方ですよ」
生のお尻は何十回も見ている間柄ですけど。語尾が『ブーン』から『ブン』に変わりましたね。ブン。ブンは分、或いは文。虫偏に文で蚊。あー、成程、そういう事ですか、やっと合点が行きました。
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