第一章⑬ 『勇者■■の冒険』

 魔女様は語る。

 俺の知らない、これまでの軌跡を。


「――ある日森の中を歩いていると、見慣れないモノが落ちていました。

 強い衝撃を受けた様に酷く損傷をしていましたが、それが人間“だった”という事は見れば分かりました。


 わたしは、魔法でそれの記憶を覗き見ました。

 その記憶には、私の知らない事が沢山詰まっていました。

 わたしはすぐにそれがこの世界の物ではないのだと理解しました。

 そして、異世界の記憶を見た私はこう考えました。

 異世界の人間ならば、わたしの事を知らない人間ならば、わたしの事を愛してくれるのではないか、と。


 それを思いついてから、わたしは居ても立っても居られず『死者蘇生』の大魔法を使いました。


 でも、おかしいと思いませんでしたか? 違和感は有りませんでしたか?


 ――ええ、そうです。

 あなたは頭がいいですから、薄々勘付いてたと思います。


 国一つを覆う程の『永遠』の魔法にわたしの記憶と名前、その両方を必要として、たったあなた一人を蘇らせるだけの『死者蘇生』に同じだけの触媒を必要とするはずが有りません。


 その時の触媒は……あなたの“名前だけ”でした。

 

 あなたの記憶を奪ったのはわたしです。

 あなたから“元の世界に戻りたい”という意思を奪う為に、思い出せない様に魔法で記憶を滅茶苦茶にしたんです。


 あなたに好かれる為に、愛される為に――わたし、色々したんですよ。

 一緒にお風呂に入ったのも、一緒の布団で寝たのも。

 好きになって貰おうって、愛して貰おうって、頑張ったんです。


 初めて作ったポトフも、そうですね。

 あなたの記憶に有った、あなたの思い出の、家庭の味を再現してみました。

 男性の心を掴むにはまず胃袋を掴むところから、です。


 狙い通り、記憶を失い、わたしと寝食を共にしたあなたは、あの森の家を帰る場所として認識してくれたと思います。


 でも、それもこれも、わたしの仕組んだことです。

 全部まやかしです。


 あなたに言葉を教えなかったのもそうです。

 だって、言葉を喋れなければ、もしもあなたが外へ逃げ出しても、あなたは生きていく為に、わたしの元へ帰ってくるしかありません。


 最初にあなたを魔獣に襲わせたのだって、わたしなんです。

 森の外は魔獣が居て恐ろしい所だと思ってくれれば、恐怖を植え付ければ、諸から出て行きたくも無くなるでしょう?


 あの時助けに入る間も、我ながらばっちりだったと思います。

 自分の腕もわざとあの魔獣にくれてやりました。

 “一人で外へ行くとあなたはこうなるんですよ”というのを見せつける為です。


 ――でも、あなたはそれでも臆さず、私と森の外へ出ようとしました。

 世界を知ろうと、努力しました。


 本当は、今日のデートも来るつもりは無かったんですよ?

 条件だった魔獣との再戦も、叶えさせる気なんて無かったんです。

 探しても、全然魔獣と出会わなかったでしょう?

 わたしが予め森中の魔獣を全部追い払って、それで相手が居ないので諦めましょうって言うつもりでした。

 それでも、家の周りに一匹だけ居たのは誤算でしたね。

 駆除し損ねてたんでしょうか。


 でも、あなたが初めて見る魔獣だったので、死なない程度に負けてくれないかなって思ってました。


 でも、あなたの魔法の腕が何よりの誤算でした。

 本当にわたしは詰めが甘いです。

 あなたの魔力量も、魔法の才能も、まるでもう一人の私を見ているかの様でした。


 これでわたしは墓穴を掘った形で、自分で作った森の外へ行くのを拒む言い訳を奪われてしまいました。

 そして、森の外へ出てしまえばわたしの嘘は露見してしまいます。

 そうなれば、わたしたちの森での幸せな時間は終わってしまう。


 今日のデートは、退路を奪われて、全てを失う、わたしにとっては最後の思い出作りでした。

 付き合って貰って、ありがとうございました。


 わたしは嘘吐きです。

 わたしは自分の都合であなたを騙していました。

 でも、わたしは、あなたに愛されたかった……。

 いいえ、誰でも良かったんだと思います。

 誰かに、愛されたかった。

 ただ、出会ったが、あなただっただけ。


 ――だから、わたしには、あなたを繋ぎとめる資格は有りません。

 わたしは“災厄の魔女”ですから」



 嘘が露見し、取り繕うことが出来なくなり、全てを諦めた魔女様は、自らの罪を告白した。


 それはまるで「わたしはこんなに悪い魔女なんです、だからわたしを嫌ってください」と言っているかの様だった。


 一度言葉を紡ぎ終えた魔女様は、ローブの中から一本の剣を取り出した。


「この剣は……?」

 

「最初に読み聞かせた絵本、覚えていますか? あの絵本に出てくる魔王を討った“不死殺しの魔剣”です。わたしは不老不死の呪いを解く為に、ずっとこの魔法を研究していました。この剣はまだ未完成ですが、後はそこの王の命を触媒として、それで完成です」



 魔女様の言う絵本、それは『勇者■■の冒険』。

 それは俺が最初に文字を勉強する為に、魔女様が読み聞かせてくれた絵本だ。


 勇者と魔女が共に冒険をして、ラストは魔女が勇者の剣に魔法をかけ、“不死殺しの魔剣”で不死の魔王を討つという物語。


 勿論そんな剣や魔法はおとぎ話で、実在するはずがないだろう。

 しかし、おとぎ話だったはずのその魔剣を、魔女様は二〇〇年をかけて、その手で作り上げた。


 今日ここへ来た理由は“不死殺しの魔剣”の完成の為でも有った。

 つまりは、魔女様の研究の集大成という事だ。


 彼女がデートの期日を伸ばしていた理由も、準備をしていると言っていたのも、この剣にかける『不死殺し』の魔法の研究を急ぎ進めていた為だろう。


「わたしはこの剣で、わたしと、そして異形となった民たちを、この呪いから解放します」


「でも、その剣で呪いを解くって事は――」

 

 絵本の物語の最後のシーンをなぞるのならば、不死の王を魔剣で刺し殺す。

 つまりは心臓を貫き――、


「ええ、死ぬことになります。異形の民も、そして、わたしも、です。……元々、いつかはこうするつもりでした。本当は、もう少し先のつもりだったんですけどね」


 魔女様は俺と一度視線を合わせた後、小さく微笑んだ。

 そして振り返ると、そのままゆっくりと、玉座へ向かって歩を進めて行く。


 その手には“不死殺しの魔剣”が携えられ、魔女様の視線は、真っ直ぐとそこへ座す異形の王へと向いていた。


 “王の命を触媒として魔法を完成させる”――つまり、その剣先が異形の王へと届いた時、それは同時に魔女様の死をも意味する。


 その前に、俺は魔女様に伝えなくてはならない。


 魔女様は“誰でも良かった”とそう言った。

 果たして、本当にそうだろうか。


 そして、俺はどうなのだろうか、俺にとって魔女様はなんなのだろうか。


 俺は異世界の森で目覚めて、行くところも無く、生きていく手段も持ち合わせていなかった。


 そこに都合よく居た、寂しい独りぼっちの魔女様。

 俺はそんな魔女様の寂しさに付け込んで、その優しさに甘えて、今日までこの世界で生きてきた。


 “誰でも良かった”なら、元は俺だってそうだ。

 偶々異世界に転移して、偶々魔女様に出会った。

 元々そこに魔女様である理由はどこにもなかった。

 俺だって、この世界で生きていく為に魔女様を利用していたのだ。


 俺と魔女様は価値観も、生きてきた時間も違う。

 魔女様は俺の記憶を奪った、俺を騙していた、魔獣に襲わせて、一つ間違えれば俺は殺されていたかもしれない。


 今の俺の記憶には家族も、友人も、恋人も居ない。

 もしかすると、無くした記憶の中には元々それが有ったのかもしれないが、もはや分かりようも無い。

 過去を振り返っても、そこには何も無い。


 でも今、この異世界で、魔女様と共に過ごした時間は本物で、一緒に食べた食事も、布団の温かさも、その全てが、胸の中で光り輝いていた。

 俺は魔女様と共に過ごしたこの時間に、確かに幸せを感じていた。


 もし本当に、俺に、魔女様に匹敵する魔法の才能が有るのなら。

 ――俺は、この幸せを永遠の物としたい。


 奇しくもあの王と同じ事を望む自分を、心の中で自嘲する。


「――魔女様、俺が」


 俺は玉座へ歩を進める魔女様を静止して、手を差し出す。


 魔女様は少し驚いた様な表情を見せたが、すぐに俺の意図を理解して目を伏せる。

 そして小さくこくんと頷くと、俺の下へと戻って来てくれた。

 

「不死殺しの魔剣が完成すれば、次はわたしの番です。お願い、できますか?」


 そう言って、俺に魔剣を手渡した。


 次はわたしの番、か。

 俺のこの手で魔女様を殺せだなんて、災厄の魔女様はなんて残酷なのだろうか。

 

 俺は魔女様と入れ違いに玉座へ歩を進め、彼女から受け取った魔剣を手に、そこへ座す異形の王と向き合った。


 俺は独断と偏見でこの異形の王を汚いと断じた。

 これの命を奪う事に躊躇いは無い。


 何よりそれが、この“不死殺しの魔剣”を完成させる事が魔女様の――いや、これは俺の為だ。

 俺にはもう触媒と出来る物が何も残っていない。だからこそ、俺にも“完成した魔剣”が必要だ。


 この異形の王にはもはや理性も、知性すらも無いだろう。

 痛みを感じる事も無いのだろう。


 俺は剣をその肉塊の中心へ突き立て、体重を乗せ、真っ直ぐと貫いた。

 貫かれた異形の王は静かに、声を発する事も無く、ぴくりと痙攣した後、動かなくなった。


 そして、それは肉塊の形すら保てなくなり、少しずつ崩れ、塵となる。

 その塵は剣の刀身に、ゆっくりと吸い込まれて行った。


 異形の王の死、つまりは魔剣の完成を見届け、振り向くと魔女様は静かにこちらを見上げ、穏やかに微笑んでいた。


 魔女様は一度魔剣に目を落としその完成を確認すると、小さく深呼吸をして、目を伏せ、手を広げ、俺の剣を受け入れる体勢を取った。


「さあ、お願いします」


 しかし、魔女様が望む結末にはならないかもしれない。

 俺は今から、魔女様を裏切る事になる。


 魔女様はなんて言うだろうか。

 怒るかな、拒絶されたら嫌だな。

 ああ、緊張する。



 俺は魔女様に剣を突き立てる事無く、その剣を鞘に納めた。

 そして、手を広げて待つ魔女様の身体を、強く、強く、抱きしめた。


「えっ、えっと、あの……」


「俺に魔女様を殺す事なんて、出来ない」


「そんな事、駄目ですよ――」


「俺は魔女様、君が大好きだ、愛している」


 そして、俺は手に持つ魔剣を触媒として、大魔法『永遠の魔法』を発動させた。


 名前や記憶、命、人の人生に直接関わる“大切な物”を触媒として発動する大魔法。


 俺は魔女様の人生のターニングポイントたる大切な“完成した不死殺しの魔剣”を触媒とする。

 そして、俺自身も不老不死となり、魔女様と二人の、この幸せを永遠の物とする為に『永遠』の魔法を行使する。


 俺は魔女様の書いた魔導書の全てを覚えている。

 魔女様が使える魔法は俺にも使うことが出来る。

 ならば、それは強力な大魔法であっても同じ事だ。


「駄目です、駄目ですよ……! わたしは、あなたに愛される資格なんて……」


「あれだけやって、人を惚れさせておいて、今更突き放さないでくれよ、殺してくれだなんて、そんな悲しい事言わないでくれよ……」


「でも、そんな事したら、あなたまで……!」


「いいや。これでいいんだ」


 俺の行使した魔法が何なのか、それを知っている魔女様は狼狽え、抱きしめていた俺を突き飛ばそうと腕の中で悶える。

 当然だ。

 不老不死の、永遠の時間を過ごす辛さを、苦しさを、魔女様はよく知っている。


 しかし、俺は魔女様を決して離さない。

 俺はそこまで悲観しない。

 何故なら、俺の未来設計は、魔女様の経験した孤独の二〇〇年間とは違う。


 俺の未来設計には最愛の魔女様が、いつも隣に、一緒に居る予定なのだから。


 俺の身体と、そして手にしていた魔剣は淡い魔法の光に包み込まれる。

 そして、触媒となった“不死殺しの魔剣”は光の粒子となり、俺の中へと消え去った。


 これで魔女様が呪いを解く唯一の手段は、俺の身勝手によってこの世から消えてしまった。


 これで魔女様は死ぬことは出来ない。

 そして、これが俺の覚悟の証だ。


 魔法の光が消え、俺の身体が異形へと変質する事も無く、『永遠』の魔法の成功を確認した後。


 俺は改めて魔女様に向き直り、そして――。



―――



 魔王を討伐した勇者は魔女に向き直り、跪き、手を差し出し、こう言いました。


「今までありがとう。そして、これからもずっと一緒に、同じ時を過ごしてほしい」


 それは愛の告白だった。



―――



 顔を上げると、魔女様はその紫紺の瞳から涙を溢れさせ、綺麗な顔をぐしゃぐしゃにしていた。


「こんな私で、いいんですか、私は嘘吐きです、あなたの記憶を奪って、騙して……」


「もうそんな事どうでもいい。俺は魔女様がいい。俺は魔女様を愛している」


 有無を言わせる気なんて元々無かった。

 俺は改めて、もう一度、愛の言葉を口にする。


 もしかすると、俺にも元の世界に帰る理由が、帰る場所が有ったのかもしれない。


 だが、それも失った今はもう分からない。

 今の俺の心に有るのは、魔女様との森の中での幸せだった時間だけだ。


 例えそれが魔女様に記憶を奪われた事で産まれた物だったとしても、過程は仕組まれていた物だったとしても、結果として今の俺の胸に残った、この気持ちに嘘は無い。


 始まりは互いの弱みに付け込み合った歪な物だったとしても、一緒に食事をして、一緒の布団で眠って、二人で共に時間を過ごしたその時間だけは、紛れもない本物だ。


 その積み重ねてきた時間が、魔女様が求め、作ろうとした偽りだったはずの愛を、本物にした。


「答えを、聞かせて欲しい」



―――



 魔女は涙を流し、勇者の手を取り、こう言いました。


「はい、わたしと、ずっと一緒に、いてください」



―――



 俺は持っていた元居た世界の貨幣に『形状変化』の魔法をかけて指輪の形を作り、俺の手を取ってくれた魔女様の左手の薬指に、そっとはめた。


 今の俺に出来るのはこれくらいだ。

 でも、そんな有り合わせの指輪でも、魔女様は涙に濡らした顔で微笑み、喜んでくれた。


 そして、俺はもう一度彼女を抱き寄せて、強く、強く抱きしめた。

 取りこぼさない様に、どこかへ行ってしまわない様に。


 俺たちはこの日、初めての口付けを交わした。

 一緒にお風呂に入ったことだって有るし、毎日同じ布団で寝ていたというのに、おかしな話だ。


 それでも、これが俺たちの新しいスタートラインだ。

 今度こそ、本当の夫婦としての。



・・・



 これが俺たちの、私たちの選んだ道。


 最初はこの世界で生きる為に、迫害された魔女様の寂しさに付け込んで。


 最初は寂しさを紛らわす為に、異世界人であるあなたの境遇に付け込んで。


 でも、一緒に食事をして、一緒の布団で眠って、一緒の時間を過ごして、少しずつ、その気持ちは本当の愛になっていって――。


 まだお互いの全てを知っている訳でも無い。

 過ごした時間もそれほど長くは無い。

 それでも、何も焦る事はない。


 これからの長く、永遠の人生を共に歩んで、少しずつ、ゆっくりと、お互いを知って、もっと仲を深めていこう。


 そうだ、まずは名前を付けよう。

 俺たち二人の、新しい名前を。


 絵本出てくる勇者と魔女、その二人の名前を貰って――。


「俺は勇者、アルの名を」


「私は魔女、エルの名を」


 そして、落ち着いたら、二人で森を出て、果てしなく広がる外の世界を見に行こう。


 この広い世界のどこかには、きっと災厄の魔女を――二人を受け入れてくれる場所があるはずだ。


 旅をして、色んなものを見て、経験して、二人だけの、永遠の幸せを紡いでいこう――。


 本のタイトルにはこう書かれていた――『勇者アルの冒険』と。

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