第一章⑫ 旧王都

「この先です」


 魔女様に手を引かれるまま、俺は付いて行く。


 先程の魔道具屋の有った裏路地から更に奥の先へ進み、入り組んだ薄暗い道を抜けると、気付けば新王都の外れまで来た。

 この辺りまで来れば、もう人っ子一人居ない。


 誰もいない事を確認してから、魔女様はフードを脱ぎ、その綺麗で長い黒髪を見せる。


「ここは……?」


「――旧王都です。大災厄の中心となった、今では誰も近寄らない、捨てられてた都市ですよ」


 旧王都。

どうやらそこが今日のデートの本当の目的であり、最後の目的地の様だ。

 

 旧王都の入り口の門は丸太を組み合わせて出来た高い柵で囲われていて、人を寄せ付けない。


 先程までの活気ある明るい街並みの空気とは打って変わって、柵の奥には暗く重い空気に包まれているのを感じる。

 おそらく、その嫌な空気のその正体は“瘴気”だろう。


 立て看板には“立ち入り禁止”に該当する文字が刻まれている。


「これ、入っても大丈夫なの?」


「大丈夫ですよ。この瘴気の源は魔力ですから、普通の人間ならともかく、あなたには毒になりません」


 瘴気の源は大災厄で魔女様から溢れ出た魔力だ。

 魔女様に匹敵する魔力を持つ俺には、濃い魔力が凝縮された瘴気も効果が無いという事なのだろう。


 一応言っておくと、さっきの「大丈夫なの?」は「立ち入り禁止だけど入っても問題ないのか」を問うたつもりだった。

 しかし、文字通り立ち入りを禁止されている区域にも、魔女様はお構いなしだ。


「こちらです」


 と、固く閉ざされた門を迂回する。


 そして、おそらく見て真似ろという事なのだろう。

 魔女様は俺にもそれが出来て当然だと言わんばかりの様子で、『物体浮遊』の魔法を自身に行使し、策を一瞬で飛び越えて先導して行く。


 俺はまだ自分自身にその魔法をかけた事は無いのだが、まあ難しい事でもない。

 俺もそれに倣って柵を越え、ついにその先に有る旧王都へと足を踏み入れた。



 旧王都。

 柵を越えた先は、世紀末や終焉という様な言葉がよく似合う、それはもう酷い光景だった。  

 漂う瘴気はまるで霧の様に辺りに立ち込め、周囲を包み込み、心なしかこのエリアだけまるで曇り空の様に重く苦しく感じる。

 瘴気が光を遮る所為か、常に真夜中の様な世界。


 建造物は新王都の物と建築方式は同じで既視感を感じる物だが、しかしその状態はまるで違う。

 経年での劣化だけでなく、瘴気の浸食により虫食いの様に崩壊し、悪い魔力を吸った蔦状の植物が異常な成長を遂げ、その根が建造物の壁を蝕んでいた。


 そんな旧王都の街並みを、魔女様と俺は言葉を交わす事無く、静かに歩いて、旧王都の奥へと進んで行く。


 普段からお互いにそれ程言葉数の多い方ではないだろう。

 家で過ごしている時に無言の間を苦だと感じた事は無い。

 むしろ、二人きりで静かに過ごす時間というのは落ち着くくらいなのだ。


 しかし、今日この時に限ってはその限りでも無く、今はその間に言い知れぬ緊張を感じた。



 道中、通りの端に何か動くものが見えた。

 魔女様がおもむろにそれに近づいて行くので、俺も後を付いて行った。


 そこに在った“何か”を視界に入れると、思わず眉を顰めてしまった。


「これは……」


「きっと、あなたは知っていますよね」


 知識では知っていた。

 だからこそ、瘴気で覆われたこの旧王都には居るかもしれないとは思っていた。


 だが、知っていても、予想していても、実際に見るのとでは話が違った。

 いざ目の前にそれが現れると、それのあまりの異質さに、少し身構えてしまう。


 それは形容するなら“黒い肉の塊”だ。

 もぞもぞと動きはするが、言葉を発する事も無く、ただそこに在るだけ。


 目らしき物は付いているが、その目も虚空を向いていて、実際に見えているのかどうか、怪しいところだ。

 こいつは――、


「――異形、か」


「ええ……。大災厄の犠牲者、彼らは魔力に耐性が無かったんです」


 異形となった民は食事を必要としない、傷を受けても再生する。

 異形の正体は、不死性を得た元人間だ。


 失敗に終わった『永遠』の魔法は、“不老不死の呪い”へと変質したと魔女様は言っていた。

 そして、その呪いは民を不死の異形へと変えた。


 ただ、魔女様の得た不死性と、異形となった民の得た不死性は、全く質が違う物だ。


 魔力への耐性を持たなかった民は瘴気に呑まれ、人の姿を保てなかった。

 彼らは『永遠』に生きるだけの、屍となってしまった。


「こいつらは、どうする事も出来ないのか」


「いいえ。わたしは、彼らを救う――いえ、殺すつもりです」


 それだけ言って、魔女様はその異形から視線を外し、また歩を進めて行った。


 その表情から本意は読めなかったが、魔女様は“殺す”と珍しく強い言葉を使った。

 それは彼女の決意の表れであり、それが大災厄を引き起こした魔女様なりの責任の取り方という事なのだろう。


 しかし、異形の民は不老不死だ。

 不老不死がどういう物か、俺は見て、知っている。


 腕が捥がれようと、どれだけ血を流そうと、まるでそれが無かった事になるかの様に、元に戻って行く。

 そんな存在を、殺す事なんて――。



 旧王都、王城跡。

 道中、瘴気が立ち込め視界の悪い中でも、遠くからちらりとその隙間から城の一部が見えていた。

 それが近づく事で、やっとその全容を見る事が出来た。


 元は綺麗で大きな王城だったのだろう。

 僅かにその片鱗を感じる事は出来るが、しかし既に崩壊してかつての姿はほとんど見る影も無い。


 壊れた壁には大きな穴が空き、外からでも城内を覗く事が出来てしまう程に崩れ、荒れ果てていた。

 この王城跡が大災厄の中心だったのだろう。


 ここは他の場所よりも濃い瘴気に包まれていて、崩壊した街を覆っていた蔦状の植物も、それを吸ってここでは更に歪に大きく成長していて、痛々しさすら感じる程だ。


 俺たちはもう閉じられる事も無い城の門を潜り、城内へ入る。


 門番も居ない、開け放たれた城だった場所。

 崩れかけている足場に気を揉みながら、少しずつを階段を上って行く。



 程なくして、俺たちは“玉座の間”まで来た。


 足元には元は綺麗だったであろうレッドカーペットだった物。

 左右の壁と柱には金銀豪華な装飾が施されていたであろうし、奥には豪華な王の威厳を象徴する玉座が置かれていたであろう場所。


 無論、全ては過去の事。

 今眼前に広がるこの場所の光景は、カーペットは破れ土埃を被り、壁と柱は崩れ、壁と柱の装飾だった物は砕け、辺りに瓦礫が散らばっている。


 しかし、他の場所よりもある程度当時の面影を残していたからか、何となく在りし日の光景を想像出来た気がした。

 

 そして、奥の玉座には――異形の姿。


「お久しぶりです、王様」


 魔女様はそう言って、玉座に座す異形の王へ向けてスカートの裾を持ち上げる様な、軽い形式だけのお辞儀のポーズをとった。


 かつて魔女様に『永遠』の魔法を求め、そして異形へ成り果てた王だった者。

 そして、魔女様が迫害されるに至った原因、その張本人だ。


 俺はこの王に良い印象が無い。

 元々どんな人間だったのかなんて知らないし、どういう大義の元『永遠』を求めたのかなんて知らない。


 でも、こいつの所為で魔女様は二〇〇年もの間悲しみ、苦しんだのだ。

 俺はその異形の見た目への嫌悪でなく、この胸の中でもやもやとしたこの感情に従って、この王を汚いと思った。


 欲に目が眩んだ、汚い王様。

 それが俺の目に映る、この異形の姿だった。


「魔女様は、これを俺に見せる為に?」


「いいえ。あなたも、気になっていたでしょう? 答え合わせ、ですよ」


 魔女様はそう言って、笑顔を向ける。

 そして、全てを語り始める。

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