第二章 旅の物語

外の世界へ

 もっと遠くの、世界の果てまでだって、一緒に――。


 これは記憶を失った異世界人アルと、災厄の魔女エル。

 永遠を生きる二人の旅路の物語。



―――



 本当は森の外へあなたが出ていくのを止められなかった時点で、もう駄目だと、二人でのこの生活は終わってしまうのだと思っていました。


 やろうと思えば、もう一度記憶を消して、何度でも消して、ずっと森の名に閉じ込めておく事も出来たと思います。

 どうしてわたしはその選択を取らなかったのか、自分でもちゃんとは分かりません。


 でも、あなたは――アルさんはわたしを愛していると言ってくれました。


 二〇〇年前に多くの人の命を奪った“災厄の魔女”であるわたしを。

 あなたの記憶を奪い、魔獣に襲わせ、森の中へ閉じ込めようとしていた嘘吐きで汚いわたしを。


 わたしは、わたしの事が好きではありません。

 でも、アルさんの事は大好きです。

 わたしを愛してくれるあなたを、わたしは愛しています。

 わたしの好きなあなたがわたしを好きでいてくれるのなら、少しは自分の事も好きになれるかもしれません。


 わたしは相手の精神に干渉し、頭の中を覗く『読心』の魔法で相手の心を、思考を読む事が出来ます。

 アルさんの記憶を奪い消し去った魔法もこれの応用です。


 でも、これは記憶を完全に根元から消してしまう事は出来ません。

 もしかするといつか、何かのきっかけであなたが失った記憶を思い出さない事を、わたしは願っています。

 それは、とても悲しい事ですから。


 今まで何度もあなたの心を読んで、何をしてほしいか、何を求めているのかを知って、それを叶える事で愛されようとしてきました。


 それでも、あなたがわたしの事を本当はどう思っているのか、好きでいてくれているのか、それだけは直接知るのが怖くて、わたしには最後まで出来ませんでした。

 そしてこれからも、それをする事は無いでしょう。


 ――だってわたしは今、あなたに愛されている事をこの身で実感出来ているのですから。



―――



 旧王都での一件で二人は新たな名を、そして俺は『永遠の魔法』によって不死性を獲得し、エルと同じ時を過ごす資格を得た。


 それから一月ほど経っただろうか。

 正確な日数の感覚は森の中で暮らしていては麻痺してくるのだが、毎日の食事をエルが作ってくれているので、それによってある程度の生活リズムが保たれている。


 基本的な生活には今までと何ら変わりはないが、変化があった点と言えば、お互いに新たに付けた名前で呼び合うようになった事。


 そして、俺がこの世界の言語を修得し、食事の買い出しなんかも一人で担当する様になった事だ。


 以前のエルだったならば俺が一人で森の外へ出かける事に拒否反応を示しただろうが、今では笑顔で送り出してくれるようになった。


 今思えば以前のエルは少し固かった、というか仮面を被っていた、肩を張っていたんだなというのが分かる。

 今の彼女は以前によく有った少し違和感の有るスキンシップも減って、自然体になった気がする。


 かく言う俺の方はと言うと、『永遠の魔法』によって不老不死を得たものの、体感できる事は何も無かった。

 不死の恩恵を受ける程の致死性の怪我を負う機会なんてそうそう有る訳でもなく、不老も長期的に見ないと体感出来ないだろう。


 しかし、自分で大魔法を使ってみて分かった事が有る。

 魔女様が過去に行った『永遠の魔法』、あれは失敗ではなかった。


 国を覆う程に強力な大魔法。

 その膨大な魔力に人間が耐えられなかった、その結果起こったアレルギー反応の様な物が“異形化”現象であるではないか、と俺は結論付けた。

 実際のところは確認のしようも無いが、異形となった民が実際に不死性を得ていた事からも、大魔法自体は成功していた事が分かる。


「だから、エルの所為じゃない。分不相応な永遠を求めた、あの国が、王が、悪かったんだ」


 エルは「そう、ですか」と、俺の腕の中で小さく呟くだけだった。

 しかし、その表情は柔らかく、どこかほっとしている様に見えた。



・・・



「いらっしゃい。いつもありがとねえ」


 八百屋の店主が陽気な挨拶を投げかけてきた。


 一々姿を隠す『認識阻害のローブ』を必要とするエルに代わって、俺が王都へ買い出しに来るようになり、ここの店主にも顔を覚えられるくらいになってしまった。


 俺はいつもの様にエルに貰ったメモ通りに注文をして、店主は「あいよ」と慣れた手つきでひょいひょいと野菜を袋に詰めて行ってくれる。


「前に一緒に来てた娘は、もう来ないのかねえ?」


 野菜の詰まった袋を手渡しながら、店主はそんな事を口走る。


 俺がエルと一緒にここへ来たのは初めて王都に訪れたあの一回きりだと言うのに、この店主はしっかりとそれを覚えていた様だ。


「よく覚えてましたね」


「そりゃあんたみたいに暗い色の髪はこの辺じゃ珍しいからねえ。それにあの娘も、魔法なのかねえ、毎回顔が違ったけど、多分常連さんだったからねえ」


 どうやら異世界人である俺の容姿も案外目立っていた様だが、それ以上に驚くことに八百屋の店主はエルの『認識阻害』を貫通する洞察力を見せた。


 以前一緒に来た時に貰っていたおまけはこの店主が誰に対してもサービス精神旺盛な人という訳では無く、常連だからこそのサービスだったのか。


「多分、ですか。違う人なのに、どうして同じ常連だって思うんですか?」


「そりゃ毎日の様に違う人が同じ物を買っていくからねえ。それに、旅の人でも無けりゃ、知らない客なんてそう毎日来ないよ」


 俺の初来店すら覚えていた店主だ、常連客の顔なんて大体覚えているだろう。

 この店主は“毎日同じ物を注文する一見”という存在を、ちゃんと同一人物だと認識していたのだ。


 それに、ここは元居た世界に有った様なスーパーマーケットとは違うのだ。

 不特定多数の客が毎日入れ替わり来店する様な事は無く、この小さな八百屋に、この狭い生活圏から、初めて見る顔が毎日来る方が違和感があるという訳か。


 エルも詰めが甘いというか、彼女もまさか自分のポトフ責めの所為で八百屋の店主に魔法がバレていたとは思うまい。


「彼女は自分の……妻、ですよ。いつかまた、連れてきますね」


「ああ。いつでも待っているよ」


 俺はエルの事を認識してくれていた人が居たという事に、嬉しさを感じた。

 彼女は独りではなかったのだ。


 きっと、この勘の良い店主は「魔女の森の近くのこの王都で、魔法で身分を隠している女性が居た」という事実から、ある程度正体の察しも付いているのかもしれない。

 それでも“正体不明の常連”を好意的に受け入れてくれているのだ。


 “災厄の魔女”の逸話が深く根付くこの王都にだって、こういう人が居るのだ。

 きっと、もっと遠くのどこかの国でなら、もっと多くの人との素敵な出会いが待っているはずだ。


 いつかまた、彼女と共にここへ来よう。

 ――この店主が寿命で亡くなる、その前に。



・・・



「――って事が有ったんだ」


 八百屋での一件をエルにも話してあげた。


 俺としては美談のつもりだったのだが、エル自身は完璧に偽装していたつもりで毎回初来店を装って店主と会話をしていたらしいので、どうやら恥ずかしかったらしい。


 今もロッキングチェアで腰当に使っていたクッションを前に抱きかかえて、少し顔を赤くして、分かりやすく拗ねていますよとアピールする様な仕草を見せていた。


「ごめんごめん。でも、そういう災厄の魔女とか関係無しに受け入れてくれる人も居るって事だよ」


「言いたい事は分かります。でも、わたしだってすぐには受け入れられませんよ」


 エル自身、二〇〇年もの間世界の全てに嫌われていると思って生きてきたのだ。

 無理もない。


 ただ、実際には大災厄の被害が及んだのは世界なんて広い範囲ではなく、対象は王都とその周辺国だというのは、俺が森の外に出てから改めて気づいた事だ。


 井の中の蛙何とやらだ。

 エルが生きてきた場所が旧王都であり、それが彼女とそこで暮らしていた人間にとっての狭い世界だったというだけの事だ。


 俺としては、エルと二人一緒ならどこだって、なんならこの森の中にずっと居たって構わない。

 でも、八百屋の店主の様に彼女を受け入れる人だってこの世界には居るのだ。


 それなのに、二〇〇年も前の事で一生エルの出会いの機会が、人と触れ合える機会が、奪われたままなのは勿体ないと思う。


「エルが嫌じゃ無かったら、森の外のもっと遠くまで行ってみない?」


「遠く、ですか」


「どうせ俺たち、時間だけは有るんだ。ゆっくり、少しずつ、色んな場所を巡って、行った事のない場所に行って、見た事の無い景色を見るんだ。――そう、それこそ新婚旅行だとでも思ってさ。……どうかな?」


 俺は、大好きな、愛する人に幸せになってもらいたい。

 エルを幸せにしたい。

 そして、その幸せは俺一人で作れるものではない事も理解している。

 だからこそ、エルとこの広い世界を巡って、共に幸せを見つけていきたいのだ。


 エルは少し迷って視線を泳がせた後、ゆっくりと顔を上げて、その紫紺の瞳を真っ直ぐと俺の瞳に合わせて、


「はい。アルさんとなら、どこへだって」

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