1-2・ハルカと話す。
女の人は私の声に一瞬驚いたように息を呑んだ。
(『えっ!?だれ?どこにいるの?子供の声…だよね。
そっちも暗い?恐くない?大丈夫?
すぐ、そっちに行くからね…!
…って、だから出口が無いんだってば~、このくだり何回やってるんだろ、もうぅ!』)
私を心配しながらパタパタと動き回る音がして、思わず私も立ち上がる。声はすぐ近くで聞こえたり、遠くで聞こえたりして不安定だ。
伝わるように、聞こえるように大きく口を開く。
「私は、大丈夫」
私がそう言った瞬間、地面が揺れて床が抜け、私は開いた穴に吸い込まれた。
(『わっ?え? 何これ…?ふわっ?ぅきゃぁっ!?』)
私一人が通れるくらいの幅しかないのに、すぐ耳元から女の人の声が聞こえる。
(近くにいる…?)
首を回せども人影は無い。
私は彼女を探すのを諦めて前を向く。黒い穴状の滑り台をスルっと抜けて、視界が開けたと同時に身体がフワリと空中に浮かんだ。少しの浮遊感があった後、ゆっくりと落ちていくのがわかった。
ふわふわと辿り着いた床は、ポヨンと柔らかい。
落とされた衝撃は無く、ただそこに置かれた。そんな感じ。
(『いや~、この年齢になって滑り台で「キャァッ」なんてかわゆい声が出ちゃうとはね~』)
あっはっはという笑い声が右の後ろ側から聞こえて、床の柔らかさを確かめていた手の平を離し、そちらの方を見る。
そこでは大きな光の塊がゆらゆらと揺れていて、光の塊は手らしきものを顔の口の辺りに持っていってそこをおさえている。
(『びっくりしたね〜!
私はいま、上からここに落とされた?みたいなんだけど…
あなた、さっき話した子だよね?
あなたも落ちて来たの?
怪我はしてない?!一人なの?』)
光の人は、さっき聞こえた女の人の声でたたみかけるように話しかけてくる。
「ダイ…大丈夫。」
(『そう?良かった!あれ?このテレビはあなたのテレビ?
私のは…ああ、あったあった。
あれ、画面が消えてる…壊れちゃったのかな?お~い。
わ、ついたついた。ふ〜、良かった〜』)
飛び跳ねるように舞い踊る光の人を横目で観察しながら、私は【テレビ】という箱の前に座る。
さっきの部屋で私の側にあった黒い箱は、私と一緒に落ちてきたはずはないのに、何故かここにある。
何事も無かったかのように、私の目の前でおとなしく佇んでいる。
光の人は、私の箱と同じに見える黒い箱をぎゅっと抱きしめてから、その箱を念入りに調べてから、(『おお、前は無かったのにボコってなってるじゃん!』)と言いながら下の方に指を伸ばし。付いているボタンをぱちんと押し込み、箱の一面を覆うガラスのような表面を違う光の色に変えてみせた。
(『私の目の前にもずっと、そのあなたのと同じこのテレビがあったんだ。
でも、今までずっと映らなかったの。本当に長い間よ?ず―――――――っと。
もう、ヒマでヒマで、筋トレしかできなかったよ。
だからさっき急に光って、その途端あなたの声が聞こえて本当に吃驚しちゃった。』)
光の人はそう言いながら楽しそうにこちらへ近づいてきた。
(『私はハルカっていうの。あなたの名前は?』)
(ナマエ…?)
「名前って何?」
(『え?え~と、誰かに呼ばれる時とかは?なんて呼ばれていた?』)
「呼ばれたこと…無い、かも。分からない」
(『呼ばれたことがない…?
そうなの…もしかして、覚えていないのかもしれないよね…記憶喪失とか?
こんな不思議な状況なんだもん、何が起こったって変じゃない気がしちゃうよね』)
私が首を傾けると、ハルカと名乗った光はウンウン、と、頷いた。
(『あ、ねえねえ、見てみて?
このテレビね、私が見たことがあるものが映るみたいなの。
チャンネルも変えられてね、テレビとかドラマとかバラエティとかドキュメンタリーとか…とにかくたくさん見られるんだ。
凄くない?あなたにも見えてる?』)
「見える、変な生き物」
(『そう、良かった!世界の動物っていうドキュメンタリーだよ。
ここに映ったもので、もし見覚えがあったら言ってね。
気になった物が何なのか、知ってる限り教えるから~』)
そう言って、ハルカはその光る箱を私の方に向けた。私がぺたりと座り込んでテレビを見る横にちょこんと座る。
小さな箱の中で小さな人たちが話している様子は、とても不思議だった。
箱の中の海や空、木々、自然は、小さいのに大きく見えた。
チャンネルを変えると、光の人の生きていた世界での生活の記憶が映し出された。
夫、子供、祖父母、ハルカの父と母、古い家、
大きな…大きな木…。優しく揺れる、水の底。
知らない世界なのに、なんだかとても懐かしい気がした。
(…)
かなり長い間、私はその四角い世界に見入っていた。お尻の形が変わるほど、じっと座って眺めていたと思う。
その間、ハルカは私のテレビや、この部屋の中を何度も調べていたみたいだ。
(『ふう。やっぱり出口は無いや。
色々してみたけど、あなたのテレビは壊れたままみたい。
でも大丈夫。きっといつか見えるようになるからね。そうしたらきっと、記憶も戻るよ!』)
ハルカは、優しくそう言って笑った。
―――――――――――――――
(『あなたは何歳くらいなのかな?』)
「分からない…」
ハルカによれば赤ん坊の時の記憶があると言う人もいるらしいが、私には無い。
「…生まれてどれくらいなのか、数えていなかったから。
数えていれば答えられたけど。
記憶が無いというのは、不便なものだね」
(『いやいや、普通は数えてないから大丈夫だよ!あはは、面白いなぁ。
じゃあ…大人と一緒にいた記憶も無いのかな?』)
「大人?」
(『う~ん、近くに来てみて分かったんだけど、あなたは見たところエルフだと思うんだよね。』)
「エルフ」私が首を傾げると、
(『設定的にはエルフって確か長生きだから、見た目じゃ年齢は分からない…。
せめて周りに大人がいれば分かったかもしれないんだけどなぁ。親御さんとか、心配してなければ良いんだけど…』)
ハルカはポワポワと光を揺らして頭の部分をゆっくりと横に振った。
ハルカいわく、私はエルフという存在らしく、見た目から【人間】という存在とは違うらしい。
(人間ってどんな生き物だろう)
「気になる。見てみたい」
私がそう思った瞬間に、ハルカに私の身体から伸びた光が絡みついた。
(『わ』)
ハルカの姿がポワポワとした輪郭の無い楕円の中からはっきりと浮き上がっていく。
髪、首、肩、腕…と光が上から下に降りていき、最後に足を包んで床にぶつかった光の輪がぱちんと弾けて消えていった。
(『わ〜、しまった、メイクアップ的なポーズとセリフを完全に忘れていたようだ』)
そう言いながらハルカがチェッと言いながら手を振った拍子に、跳ねて頬に当たった髪が光を放つ。
顎にそってまっすぐ落ちる肩までのつやつやとした黒髪と瞳には思わず見惚れてしまった。
不思議な光を湛えた黒は神秘的で、儚げで…聞こえてきていた明るくハキハキとした女の人の声がその人のものだと、すぐには結び付かない程だった。
触れようと手を伸ばせば触れられる距離。
「触っても良い…?」
私はハルカにそう聞いてから、笑って頷いた彼女の髪に触れた。
まっすぐな黒い髪は、持ち上げるとサラサラと落ちた。そこから覗く耳は確かに私のものとは違う。
指は5本、手足は2本ずつ。頬はやわらかい。
「ほとんど私と同じ」
背は私より高い。
私の顔がハルカのおムネの上、肩に頭を乗せるとちょうどいいくらい。
私が見上げると、ハルカはニコっと笑ってくれた。
(『背は人によるよ?』)
「背は、人による…」
(『成長期にたくさん食べて、たくさん寝ると背が伸びるからね』)
(成長期…?)
「【成長期】って何…?」
〈成長期とは、生き物が成長する時期の事。成体になるまでの不安定な時期。骨が痛くなる〉
私がその言葉に意識を向けた瞬間、そう書かれた光る文字が頭の中に浮かび、空間に声が響いた。
目の前のハルカは喋っていないのに、ハルカの声だ。
(『私の声…私の記憶から情報を引き出した、ってことかな』)
「ごめんなさい…?」
(『ぜんぜん良いよ?別に隠すことなんて何も無いしね。不思議な空間にいるのは分かっていたけど、面白いな〜』)
(面白い?)
(『うん、私からしたらね。
映画の中みたい。SFとかファンタジー物とか好きだったから楽しいよ。イラストの参考にもなるし、よく見てたんだよね。
でも知りたいって思えばわかるのってすごくない?
この説明の感じだと、どうやら私の知ってる範囲なら、って感じみたいだけど。
以心伝心ってやつだね!』)
ハルカが私の知らない単語を出すたびに、目の前に【SF】や【ファンタジー】というモノたちが現れては消えていく。
それぞれに【タイトル】という名前が決められているらしい。
その中の一つに目を奪われて、私は、思わず自分の身体を見る。
「エルフ…?」
ハルカが出してくれた映像の中の【ファンタジー】というやつに出て来た【エルフ】と自分を見比べる。
まず、耳が尖っている。そして白い。肌が。ハルカは少し茶色?黄色?っぽい。
(『日焼けって言うんだよ。まぁ、子供と遊んでるとどうしてもね~』)
ハルカは子供がいた、だから日焼けをする。子供を産むと生き物は日に焼けやすくなるのだろうか。
私の肌は太陽に当たっても日焼けをすることは無いと、ハルカの記憶にあるファンタジーの知識が教えてくれる。人間は日焼けというモノをする、エルフは日焼けをしない。この二つはセットで覚えよう。…うん覚えた。
肌の色と同じで、私の髪は白っぽい。ファンタジーのエルフも同じ感じだ。白に金の混じった色。髪の毛は柔らかでサラサラ。
ハルカのまっすぐな髪が落ちるようには落ちない。
フワッと浮かんでファスッと落ちる。ちょっとうねっているのか、予想をしない動きをする。生き物みたいで面白い。
そして、ハルカの言うように私の身体はたくさん食べていると思うのだが、背は伸びない。おムネも無い。
ハルカにはポヨンとしたものがくっついている。おムネというものだ。
丸くてぷるんとしていて、やわらかくて温かい。私の頬に似てる。でもちょっと違う。
あれはとても良いものだ、と思う。
ハルカに近づいて、自分の頬にハルカのおムネを当ててみる。気持ちがいい。
(『大人になったら大きくなるよ?』)
「成体になったら大人になる。私も成長期が終わったら…大きくなる?」
(『それは分からないけど、あなたはまだ子供に見えるからね、成長は見込めるかな~?』)
そう、まだ子供だから、おムネが無い。成体になるまで、あのポヨンとした気持ちの良いものはくっつかない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます