1-3・ 100年目の朝。☆
(朝だ)
光を見て、それが太陽のものだと分かったのは、私がそれを覚えていたからなんだと思う。
黒い部屋でハルカと過ごす時間に夢中だった私は、目の前で突然開かれた扉の外から差し込んだ強い光に包まれた
(眩しい)
そう思って急いで目を瞑る。
今まで光だと感じていたものは何だったのかと疑問に思う程の強い太陽の光。
閉じたままの瞼を開けることができない。
久しぶりに重力に晒されたかのように、身体そのものがズン、と重くなったように感じられて手足が竦んだ。
目の前に巨大な影が落ちる。
そのおかげで、光に少しずつ目が慣れていった。
近づいてきた影に包まれて思わずほぅっと息を吐くと、影を生み出す大きな動く物が私の鼻の先で止まったのが分かった。
小さな瞬きを何度か繰り返してから少しずつ目を開ける。
目の端に映るのは、大きな木、鮮やかでふっくらとした沢山の葉、キラキラとした魔力の粒、精霊たち。
そして目の焦点が合うのと同時に中心に据えられた、大きな大きな生き物。
(これ…ハルカの祖父ちゃん家に入らないよねぇ…)
(『寝そべっても入らないね!』)
視界の半分以上を支配する、吸い込まれそうに深い緑色の…まるで全身に滑らかな宝石を纏ったように美しい竜。
ひゅうっ、と息を吸い込んで、思わず叫びそうになる喉を微かに鳴らして息を止め、唇を噛み締めた。
(『そうそう、叫んだら逆効果だからね!ゆっくり、目を合わせたまま後退りで逃げ道を確保だよ!映画で見たからね!熊の対策はバッチリお任せよ!』)
(映画は人生のバイブル!だよね?…熊じゃないけど?)
(『似たようなもんっ、て!やば、逃げて逃げて〜!』)
視界いっぱいに映る大きな竜の口が、私に向かって開かれているのを見て、ハルカの慌てた声が聞こえた。
私の足でずりずりと後退る程度では、どうやら逃げ切ることはできなかったようだ…竜の一歩で、その距離が一気に縮まっている。
(私、食べられちゃう…?)
竜の口の中で真っ赤な舌がペロリと蠢くのが見えた。
「ユーリカ、食事の時間だ」
「…ユーリカ?あれ、、竜がしゃべった。私を食べるって宣言した?」
私がそう言った瞬間、竜は大きな目を見開いてもう一度口を開けた。
目を合わせたまま動かない竜の顔は、やっぱり今にも私を食べてしまうんじゃないかと思うほどの恐ろしさだったのだと思うんだけど…
なぜか私は、怖いなんて少しも感じていなかった。
「…ユーリカ?」
竜がもう一度そう言いながら私の目を覗き込む。
「えっと、ユーリカって、私のこと?」
私がそう言うと、
「自分の名前がわからないのか?」と竜は聞いた。
それに私がこくりと頷くと、竜は戸惑ったように口を閉じた。
(『うん、これは良い竜だね。仲間なのかも。食べないみたいだし』)
(仲間…?)
(『ゲームとか映画とかだと、序盤に出てくる竜とか特殊な生き物は、大体が仲間だよ』)
(そうなの?)
(『そうだよ~。仲良くなったら背中に乗せてくれるはず。遠い町でもひとっ飛び!』)
『ユーリカ』
ハルカと話しながら竜を見つめる私と困惑した風の竜がしばらく顔を見合わせていると、その2つの頭のずっと上から声が降ってきた。
(『大きな木が話してる!?ゲームの世界みたい!まるで異世界…って、え?』)
(木が、喋ってるね…、ハルカ)
私にもハルカにも、口も目も無いこの大樹が声を放っているのだという事がすぐに、なぜかちゃんと理解できた。
(『まるで異世界ってことは、えっ?これって、異世界転生なの…?確かに私はあの時…』)
ハルカがぶつぶつと何かを言っているけど、私はこの大樹から目が離せなかった。
大きくて、まるでどこまでも伸びていきそうな幹は、太く力強いだけではなく美しい。
『あなたの名前は、ユーリカ。私は世界神樹、この竜の名前は翡翠よ。
…覚えているかしら?』
「竜の名前が翡翠、大きな木が世界神樹…。ううんと、思い出せない…」
私がそう言って頭を振ると、優しい声がゆっくりとおりてくる。
『そう…。いいのよ。
あなたは私を母樹と呼んでいた。
だけど気にせずに好きに呼んでちょうだいね』
「ははじゅ」
そう口に出してみると、胸がふんわりと温かくなるのが分かった。
『ユーリカ、あなたともう一度話せて嬉しいわ』
「私も、うれしいデス、はい…」
母樹は葉を揺らしながら少し笑った。
…植物が喋っているのは、普通なのだろうか。
ハルカの世界で見た様々な物は当たり前のように魔法のようなことを引き起こしていたし、子供番組でもこんな風に木が喋っていたのを思い出す。
(ねぇねぇハルカ、木って会話ができるの?)
(『ぶつぶつ………ぇっ?!
あ~、私は植物と話せます!っていう人は地球にたまにいたけどね、大半はウソ、大げさ、紛らわしい、ってやつかな~。
さっきも言ったけど、テレビゲームとかでは普通にあったよ?そう言う設定。映画よりゲームの方が多いかな。』)
(テレビゲーム…オセロみたいなの?)
私たちは今まで、ハルカのテレビに出てきたものを自由に作って遊んでいた。
オセロや将棋、トランプにカルタ。ハルカが映し出したものを私が空間をこねて作るとそれが出来上がるということに気づいた私たちは、様々な物を作って遊んだ。
だけど、テレビゲームという物は無かったと思う。
(『映画の中みたいな世界で遊ぶんだよ。
現実とは違う世界の登場人物を、テレビみたいな画面で見ながら、自分で操って遊ぶんだ。面白いけど、さすがにあれは作れないかなー複雑すぎて。頭の中でこうなったらこうっていうのが細かく決まってるから。
ほら、定義づけができないとテーブルゲームも作れなかったからね…。よく覚えてないのはなんか不思議な物体になっちゃったし。
とにかく、テレビゲームの中に出てくる話せる植物って大体は世界樹かな。世界に一本しかないすごい木だったりするんだけど…。』)
(世界神樹だって)
(『世界神樹か…なんか世界樹の更に上っぽい?すごい木?』)
(そっか、母樹、すごいんだね)
(『この世界の植物が全部話せるってわけじゃ…無さそうだもんね。ふむ。これは屍のようだ…』)
しゃがみこんで周りの草花をじっと眺めてみる。うん、話さない。
(でも草は屍じゃないよ?草も花も生きてるよ?『世界の植物観察旅行記』でミノムシさんが言ってたよ?)
(『向田実(ムコウダミノル)』街ブラ系タレントね。いつの間にミノムシになった…!?』)
私がしゃがんだり立ち上がったりしている間に、目の前の竜、翡翠が口を開く。
「この100年の記憶も無いのか?」
「100年…?」
「ああ、昨日の事やその前の記憶は無いのか?」
「昨日…」
私は何日か前から黒い部屋…心の中で【ハルカ】と話していたのだ、と何となく思っていた。
でも、昨日と言われると、昨日について思い出そうとすると、分からない。もっとずっと昔から話しをしていたような気がする。
(最初にハルカと話して、テレビをたくさん見たのは…)
二人で過ごした時間がどのくらいの間だったのかが、わからない。
数日間だった気もするし、数年だった気もする。
それが100年だったと言われたらそうなのかもしれないと思うくらいには、時間の感覚が曖昧。翡翠に聞かれてはじめてそれに気が付いた。
指を開いて、握ってみる。
自分の身体に触れてみる。
「少なくとも、さっきまで今動かしている身体の感覚は無かったんだけど」
(『冬眠していたとか?
身体が眠ってて、頭だけ覚醒してた、みたいな映画、見たことあったな~。あれは事故にあった人の話だったかな』)
(冬眠…眠っていた。そう言われればそうかもしれない)
「えっと、眠ってたのかも?」
何となくそう思ったまま言うと、翡翠は目を瞬かせて母樹を見た。
『起きていたわよ?身体はちゃんと動いていたわね、毎日。食べて、寝て、起きていたわ』
「起きて、動いてた?私が」
そんな感覚は私には無い。
翡翠は深く頷いて腕を組んだ。
「話し出す瞬間まで、お前はまるで人形のようであったが、動いてはいた」と言ってから、彼は考え込むように目を閉じた。
それまでの私は、彼らに言われるがままに寝て、食べて【新しい身体】に慣れさせるために魔力操作をさせればするし、魔法を使うように言えば使ったらしい。
だけど目を合わせても反応は無く、話すことも無く、頷くことも泣くことも笑うこともしなかったそうだ。
私に身体の感覚が戻ったのは、さっき。
私がこうやって【考える】ことが出来るようになったのは、ハルカの声が聞こえる直前からだった。
私の【思考】が目覚めたから、ハルカの声が聞こえたんだろう。
彼女と話したり記憶や映像を見せてもらうことで、頭の中がどんどんクリアになっていった。
(ハルカのテレビみたいに、記憶が記録されている場所があるなら、身体を動かしていた記憶が身体に残っているかもしれない)
目が繋がる神経に意識を向ける。頭の中に身体と繋がっている場所があるはずだ。
しばらく探すと、目の奥にちらちらと映り込んでくる映像があった。
(あ、これ…かな)
身体が目を開けて動いていた時に目に映っていたもの。
まるで防犯カメラの映像を見ているみたいに画像だけが淡々と映し出される。
【見ていたもの】を引っ張り出せても、身体を動かしていた感覚は思い出せない。
でも視界の記憶にはある。
何も聞こえていなかったし、何も感じていなかった…というよりは、
「身体と心が繋がっていなかった?」
思わず声に出してそう言う。
でも、今は繋がっている。声を出して話すのも、手や足を動かしているのは私の意志だ。
(自分に意思が無いのに、指示を理解して身体って動くのかな…?100年も??)
(『異世界ならあるのかな~?私も【異世界転生もの】はそんなに詳しくないんだよね…2種類くらいで…』)
(【異世界転生モノ】…?
えっと、ハルカと話したり、記憶を見せて貰ったりしてた間に身体が勝手に動いていたなら、身体と心が繋がっていなかったことになるんじゃないかな?と思うんだけど異世界転生モノだとそうじゃないの?????)
(『う~ん、わかんないけど
深く精神世界に入り浸ってると何かを感じる能力が無くなっちゃうのかも?とは思うよ。集中してると、耳元で大きな音がしても気にならないし。
薄まっちゃうというか…外の世界からまた一枚分よけいに暖簾をくぐったみたいな。
ほら、私とあなたも繋がったのは最近でしょ?その前は全然お互いの存在に気づかなかった。
遮断されてたところから扉を開けてこんにちは…っていうよりは、突然床に落とし穴が開いて同じ場所に落ちて来た、って感じだったけど』)
(うん)
(『で、あなた…ユーリカは今は私と話しながら身体を動かせてる。私もうっすら感じてるけど、外の世界の感覚もあるよね?』)
(うん)
(『出会ってから今までは、私とずっと話していたし、言語能力はしっかりしてたよね…それまではどうだった?
この前、ほら、テレビの話をした時よりも前の記憶はある?』)
(う~ん…う~ん………)
(『あはは、まぁ、今無理に思い出すことは無いと思うよ。徐々にね、徐々に』)
(うん)
『生き物によっては、身体が生まれて成長しても心が上手く身体と繋がらないという事も無いことではないわ』
「うむ…」
母樹の言葉に翡翠が頷く。
とにかく、何かをしている感覚は無かったのに動いていた、そしてそれが100年続いていたというのは確かなようだ。
(『でも、新しい身体ね~、なんだかどこかで聞いたような…なんだっけな~?
私もテレビがつくまで、しばーらくボンヤリしていたからな…』)
どうやらハルカも詳しくは分からないが、新しい身体という部分が気になるらしい。
「あの、その新しい身体っていうのはどういうこと?」
私がそう聞くと、翡翠は「そのままの意味だ」と答えた。
母樹は『脱皮のようなものよ』と教えてくれた。
うん、全然わからない。
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