1-7・絶滅危惧種


私はこの森から出たことがない。

ここはとても美しく豊かな場所で、この100年、私たちは【『田舎暮らし』】を満喫していた。


(『本当に空気が美味しいよね~。

【排気ガス】もないし、騒音も無いし。

日本は田舎でも何だかんだ完全に人の手が入ってない所って少ないからな~。

便利なんだけどね、ちいさな町とか村でも自然のものじゃない埃っぽい匂いっていうか…まぁあれも当たり前になっちゃうと懐かしいんだけど』)


ハルカの言葉に合わせて、鼻の奥でツンとするような灰色の匂いを感じる。


母樹は大きい。他では見ないくらいに大きい。

(『きっと、634メートルはあるよ!』)とハルカが言っていた。

一度だけ昇った新しい電波塔が、ちょうど母樹と同じくらいの高さに見えるらしい。


母樹の根元からは、見えない頂のその先に昼の間でも消えることの無い星たちがいくつか輝いている。

夜は勿論、もの凄い数の降るような星がひしめきあいながら光を瞬かせる。怖いくらいの力強さに目をチカチカとさせながら、私たちはよく母樹の頂に近い枝に座って球状の地平線を、全てを包む空を朝に夕に眺めた。


(『昼間も月や星が見えるってロマンチックだよね。

夜になったら本当に【プラネタリウム】みたいだし!いや、実際はもっとスゴイんだけどさ。

日本のどこかでも、こんな空が見える場所があったのかな…?』)


(私はこっちの、プラネタリウム?も好きだよ?)


そう言って、意識をハルカのテレビに向ける。

じっと見つめていると、いつの間にかぷつんと音を鳴らしたテレビの中に自分がいる感覚になる。

ハルカの身体に乗り移るように私の意識が入り込み、まるで今そこにいるかのように感じられるのだ。

周りに視線を巡らせる。

実際にはハルカがそうしたという記憶の中の動きなんだけど、ここにいる私は、感情や感覚もハルカに溶け込んでいるのか、違和感は感じない。

背中が倒れる座席に座り、狭い空を模した天井に映る光の信号を無邪気に喜ぶ小さな子供たちの声を聞きながら、それを眺めた。


ハルカの記憶に入り込めるようになったのは最近のこと。

テレビに映る【ハルカが経験してきた世界】に入り込もうと思ったのは、魂の分離の練習をしている時だった。

…と言っても器が無いうちから本当に出ちゃって戻れなくなったら困るから、そこはイメージトレーニングという段階だったんだけど。

(『スルッと入れちゃったんだよね~?』)

(うん、びっくりした)

テレビの中のハルカの身体に入れたら、テレビの中のお祖父ちゃんお祖母ちゃんと話せるのかな?と思って(ム~~ン!)と身体を乗り出した、それだけでスポッとすり抜けて、中に入れてしまったのである。

漫画を読もうかな、と手に取ったらいつの間にか読み終わっていた、そんな感じ。ん?分かりにくい?


ポーン!と吸い込まれた先は、現実よりもほんの少し色の薄い、普通の世界だった。

私は自由に話せるわけでは無くて、テレビで見た会話を繰り返すだけだった。

だけど、それまで見ていたものが立体で、触れると触感があり匂いもするようになったことで、私はそれに夢中になった。


この森以外の場所を体験した私の意識が、現実世界でも森の外に向いたのはコレのせい、だったのかもしれない。



母樹を囲むように草花の野原が広がり、森は色とりどりの実りを豊かにつけている。

(『この森はすごいよ?四季折々、何を食べても美味しいからね!

一年中何かしらの果物食べ放題だし、ちょっとした【ホテルバイキング】よりすごいと思うよ、まじめに』)

(確かに。それにハルカの記憶の中で食べたどの果物よりも瑞々しいし、香りも甘みも強いんだよね)

(『そうなんだよ!

品種改良された日本の果物や野菜の美味しさは世界でもトップレベルだーって思ってたのに、全部が負けてるよ~!』)


私たちは森を一巡りするたびにその果実を齧りつつ、それを食べに来る動物たちをモフモフしている。

ハルカいわく、近付いてきたモフモフをモフモフするのは礼儀らしい。

様々な動物や魔獣が、みんな当たり前のように穏やかに共生している森は、天国そのものだと言いながら涎をすする音がする。

(『もっふもっふもっふもっふ!

もふもふ王国!ムツゴ〇ウさんも吃驚!』)


ハルカが涎を垂らしっぱなしにしながらニヤニヤするのを背中で感じつつ感覚を共有する。初代も同じように感触があるはずだけど、彼女の反応はよく分からないままだ。ハルカ程ではないけど、私もモフモフが好きだ。

モフモフで興奮しないなんて、やっぱり初代ってクールキャラだなぁ、と思う。いい子だし優しいけどね。


森の奥にはいくつかの湧き水を湛える大きな湖がたくさんの生命を育んでいて、そこから川が伸び、北に進めば海につながっている。


(『キラキラで、なんだか神秘的な湖なんだよね…水、湧きすぎだし、聖水だし』)

(聖水だねぇ)

そう、これは聖水なのだ。


森の奥の湖にお散歩に来て、途中であまりにも美味しい湧き水に騒いでいた私たちに初代は『聖水』だからかもしれないと言ったのだ。鑑定してみればわかる、とも。

だから私は鑑定をした。

動き出して初めての鑑定。


「鑑定」と私が言うと、対象物の周りに光が舞ってぱちんと消える。それと同時に透明な板が現れ、そこを滑るように光る文字が浮かび上がった。

『聖水:世界神樹の力で聖水になった湧き水

 美味しい。傷病が癒える』

「ふぅ~」

私はかいてもいない額の汗をぬぐう。ハルカの祖父ちゃんのクセだ。

少しドキドキしたのだ。鑑定魔法についての知識はあったんだけどね。だって、ハルカが興奮してカンテーカンテー騒ぐから。


私は、ほとんどの物が初代の記憶の中にあるから、この時まで何かを鑑定しようという思いに至らなかった。

すべてが『あって当たり前のもの』で、つまり珍しさがなくて。

初めて見るのに『これは知っている』と思っていたし。


初代の言葉を聞いてハルカは

(『鑑定!?鑑定ってできるんだ!?えっと、読ませてもらった異世界転生モノで、鑑定最強説っていうのがあってね………!』)という興奮した声を出した。

それにつられて私もそわそわしちゃって、湖の水を鑑定したら、『聖水』という結果が出て、なんだか更に興奮して…(ハルカと、つられて私も)というわけ。


(あ、この湖、主もいるみたいだよ。こんど釣りでもしようか?)

(『いいねいいね~!』)

ハルカの祖父母は釣りが上手い。他にもたくさんのことを生活の中で教えてくれていた。


あの二人は元気だろうか。

人間だもの、もう死んでしまっているかもしれない。人間は、あっという間に死んでしまうもののようだから…。


翡翠と一緒に、小川沿いを海までのんびりお散歩して、魚や貝類を取りに行くこともある。年中なんやかんや獲れるから楽しくてついつい獲りすぎるから、貝やタコ、イカ、海藻なんかは、干して加工して、いつでも食べられるおやつにしてある。


(『モグモグ…星、、みっっ、つです!

 似てた?ねぇねぇ、マチャに似てた??』)

(似てな~い)


秋には紅葉が燃え、冬には雪で輝く緩やかな連山が守るこの土地はとても安全だ。


(『うんうん、安全第一だよね~。

安全第一と言えば【ホームセキュリティ】かな。憧れだったなー。

みんなでCMの真似して砂浜を走ったのよね~。懐かしい!』)

(『ぶっっ!……ちょっと、この前見たハルカの記憶よね、思い出させないで…!!』)


この頃は初代が意外と笑い上戸だっていうことが分かってきている。うん。

初代はクーデレってやつなのかなぁ?


(でも、そもそも山沿いからこちら側には『樹竜王』だという翡翠と『世界神樹』の母樹が別々に張った結界があって、空気ですら自由に出入りすることはできないんだよね?)


許されなければ誰も、何も一切近寄れないというスゴイ結界なのだ。

…この二人がいさえすればどんな場所だってそこが一番安全なんじゃないかな?

草原の真ん中で周りに遮蔽物やら身を守る物が何もなくても安心安全。


(平和や安全がどれだけありがたいことかは、ハルカの記憶のおかげでとってもよくわかっている…気がする。…んだけどね)


(『ここに閉じこもっていても、まぁ不足はないんだよね~』)


むしろ満ち足りていて、誰かに分け与えても溢れるほどだ。


(『でも!』)


(…でも、だねぇ)


(『ねぇねぇ、ちょっと初代も聞いて?そろそろ暇だわ。

いや、100年、200年?私的にはもっと長いんだけど。

私、よくもった方よ?

限界すぎる!!うろうろしたい!

暇だし人恋しいしで、さみしすぎて死んでしまうわっていう感じだよ~!』)


(そうだよねぇ)



ここには、人がいない。


ずーーーーっと、


ずーーーーー




ーーーっといない。




現実の世界で、私はなんとなく聞けなかったことを口に出す。


胸がドキドキとワクワクで控えめに波打つのがわかった。


「ねえ翡翠、他の人とかエルフはどこにいるの?」


初代ユーリカの記憶には、他のエルフの姿があった。この森や、他の場所で暮らすエルフもいた。


エルフだけじゃない。他にもたくさんの人型の生き物がこの世界で生きているのを見た。


記憶の中で、初代ユーリカは、ドワーフや人間や獣人たちが暮らす町や村を訪れていた。

初代と直接会話ができるのは少しの人だけだったみたいだけど、それでもそこにはハルカの記憶で見たのと同じ、人と人との繋がりがあって、暮らしが成り立っていた。

記憶の中で初代は、その人たちの営みを感じるのがとっても好きだと感じていたのを、私は感じていた。


「私とはちがうエルフは、別の場所で暮らしてるの?町とか?」


何回か、他のエルフは今、どこにいるのかと思って記憶を探してみたりはしていた。一人で。私が記憶を探すとき、初代は部屋に籠ってしまうから。

だけど、記憶の中にその答えは無かった。

あるのは昔の、遠くぼやけた映像だけ。


翡翠は口を閉じたまま、私の背中を超えて何かを見通すように目を細めた。まるで、私じゃない誰かを探すみたいに。

私はなんだか怖くなって、翡翠と母樹の間で視線を泳がせる。


「それとも、ここみたいにやっぱり似たような場所で母樹と精霊と翡翠みたいな竜がいて、そのエルフを育てている、とか?」


「いいや」


(いいや?)


「いない」


「いない?」


「この世界にはもう200年以上他の世界樹は無い。一本も。だからエルフも生まれていない」


「ぇっ」


「世界樹には3種類あると教えたであろう?

 精霊だけを生む世界樹

 エルフと精霊を生む世界樹

 そして世界神樹」


「…うん」


「お前は生まれる時に世界神樹の実の中に身体を宿す。

 世界神樹からは魔力の塊である精霊と、お前しか生まれない。

 生まれたての精霊は実体を伴わないからな。神樹から身体をもって生まれるのはお前だけだ。他のエルフは生まれない」


「私だけ…」


「そうだ。そしてその根元を我が…歴代の樹竜王が守ってきた。

世界樹の神樹に付き従い、守るのはその時代に生きる樹竜王の役目だ」

「あれ、樹竜王って本当に一匹しかいないの?孤高?孤高の王様?」

「樹竜族の王は我だけだ…一匹じゃない、一頭…否、むむ、数え方はちょっと考えさせろ。

 樹竜族はまだまだたくさんおる。

 ここに近づかないのは許しておらんからだ。ここは神聖な場所だからな。

我が神樹から離れねばならん時にはちゃんと代わりを呼んでいる。

 …他にいないから勝手に王を名乗っとるとかじゃないからな!

 ニヤニヤするな、ニヤニヤ!」

私は口元を指で押さえる。

…ハルカが翡翠が喋ってるのと同時に色々言うんだもん…孤高の王?じゃんぐるのおうとか…ンババ?とか…


「んんん、でも、それなら200年より前に生まれた他のエルフは生きてるかもね?」


「この森の他には、竜神に繋がる神殿にだけエルフを生む世界樹を植えることができる。

その世界樹は100年に一つ、お前の魔力で実をつけ、その実からエルフが生まれる…生まれていた、だな」


「私の魔力…でも、世界樹はもう無い…?」


「ああ。世界樹はもう無い。エルフの生き死には分からん。

お前の魔力で生まれたエルフだ。お前の魂に繋がっている。だから、生きていればわかるはずだがな」


(んん、ん、分からない…ってことは、いないの…?)

(『…』)

初代が頷いて、目を閉じた。

「分からないみたい。…ってことは、この世界に、エルフは私一人ってこと、なんだね…」

私が眉を下げると、翡翠は爪で顎を掻いた。


「純粋でない混血のエルフであれば他の地で生きている可能性はある。魔力の繋がりも途切れるから分からないだけかもしれん。

 森の外に行ったエルフは他の種族と番になることもあったからな。その方が子が生りやすいと知っていて、出ていった者も多い。

 だが自分の母樹である世界樹が無くなればエルフは加護を失う。その子供も同じだ。血が薄れれば、ユーリカの加護も無くなる。

…長齢種のエルフの血をもってしても、もって100年か、200年。しかも結界の外では、人や魔の物や獣がいつだって争っておる。生きるための奪い合い、弱肉強食の世界だ。

 まあ…いても死にかけであろうな」

「し、死にかけ…」


(『争い…弱肉強食…恐竜いそうだな…あ、ドラゴンが恐竜枠か~?』)

(うん、結界の外に出るのはやっぱりちょっと怖いかな…?

もうちょっとこう…逃げ足を鍛えてからにしよう?)

(『そうだね!賛成~』)

(でもこれってテレビで見た、ほら、アレだよね…ゼツメイキグ種?)

(『絶滅危惧種ね』)


ゼツメツ…恐ろしい響きだ。


「翡翠、私が死んだらエルフ族、絶滅する?」

「そうであろうな!ガハハハハハハ!」


(『わ、わろとる、わろとる……』)

(ん、死んでも脱皮して生まれ変わるから、絶滅危惧種でもないのかな?)

(『まぁ、そこんところはもう麻痺しちゃってるのかもね~。

でもさ、それって、本当に永遠に続くの?』)


私たちは何となく直接聞いてはいけない気がして、初代の方にそっと意識を向けた。

(『………』)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る