1-5・反抗期☆

「おしりペロンは…ひいちゃうかな」


目の前にいるきれいな翡翠色の竜。

彼は私が赤ちゃんだった頃の汚れを舐め取っていたらしい。

どうやら【私】の身体が自分で色々できるようになるまでの、本当に最初の数年だけらしいのだが。

「え、だってそれってつまり…いいや、想像するの、やめとこ」

「ユーリカ…お前は何か良からぬ事を想像しとるな?」

「ぇえ…だって~。う…んちとか…ついてるよね?」

「ば、バカモンが!動物はそうやって子を育てるんだ!」

余裕と威厳を持って話していた翡翠が、私が本当に嫌そうな顔をしたのを見て焦ったような声を出す。

(『だって、オムツとか無いでしょ。排泄物か…オゥ。それは私でもさすがにちょっと無理だな~愛する子供のお尻ね……可愛いけど別問題だな』)

(うん、やだ)

(『え、もしかして、幼女趣味と…黄金系趣味のへんた』)

(『………』)

「え?翡翠はへんたい?」


「変態ではないからな!育ての親に向かって失礼な…」

(『そうだね、それはちょっと可哀そうかな~。手がほら、あれだし』)

鋭い爪が伸びる私の顔より大きな手。

「えっと、ハイ、スイマセンデシタ?」

(『えらいえらい~』)

(変態ってハルカが言ったのに~)

そう思いながらぺこぺこと頭を下げると、翡翠は私にフン!と鼻息を飛ばした。

突風とも言える風圧に、思わず母樹の根にしがみつく。

「しかし、記憶は思い出せておる。のであればそれでいいであろう?やはりお前は【ユーリカ】だ」

そう言った翡翠に顔を向けてから、母樹を見上げる。

「わたしはユーリカ、でいい?」

母樹はさわさわと葉を揺らし、生み出した精霊の光で私をやわらかく抱きしめる。


『ふふ、当り前よ』


知らないはずの存在。実際には初めて見るはずの存在。

それなのに私は、彼らのことをとてつもなく愛おしく感じている。

ユーリカの記憶に引きずられているのとは違う、自分から湧き上がるような感情。

(記憶が無くても)

(中身が違っても)

(私をユーリカと同じように大切に思ってくれるの…?)


触れたかった。

手が届く場所に大切だと思ってくれる存在がいることが、その人に触れられることが幸せだと思った。

そっと手を伸ばすと、カサカサとした樹皮が、つるりとした葉が、温かな体温をもってそこに存在している。

『…大好きよ、ユーリカ』

母樹の言葉と感情が胸の奥に響くように伝わってくる。

【ユーリカ】の心が震えるのがわかった。


頭の中に響く母樹の声は優しくて【お母さん】っていう感じだ。

母樹と話せるのは『念話』という力があるかららしい。

頭の中でやり取りができる。すごい。

地球でもこの世界でも普通は木は喋らない。これはハルカと【ユーリカ】に教わった。

記憶は探せるけど、私が翡翠と母樹のことをちゃんとは覚えていないと言った時の彼らは、やっぱりどこか寂しそうに見えた。

それは精霊たちも同じで、私のまわりにフヨフヨと浮かんでいた大きな精霊たちは青白い光を纏って点滅していた。

私もそれを見て悲しい気持ちになる気がした。

心の中のどこかに【ユーリカ】と私が繋がっている糸みたいなものがあって

【ユーリカ】が悲しいと感じることを、私も同じように感じているのかもしれない。

「私は、どんな風に育つの?」

そう翡翠に聞いてみる。

「さっきも言ったが、お前が話し始めるのはいつも2歳になってからだ。

その頃には今と同じか少し小さいくらいの背丈になっている。」

「2歳で今と同じくらい…?」

私が頬を膨らませると、翡翠は首を傾げて口を開く。

「そしていつの間にか我の世話を拒否し始める。反抗期だな」

「反抗期…」

(『ハンコウキ…?』)

(『……』)

「ああ。そして暫く神樹の中に籠って神樹と二人きりで過ごすのだ。

何年かそうすると少し大人になって顔を見せるようになる。

完全に成体になればもう閉じこもることは無いな」

「そ、そうなんだ」

翡翠はやれやれと言いながら揺らしていた尻尾を下ろす。

(『何年か…?大人になるまでって、20年から100年ってこと?

長いな~、初代ユーリカの反抗期!あっはっは』)


ハルカは【ユーリカ】のことを初代ユーリカと呼ぶことにしたみたいだ。

(『………ッ…』)

(えっと、反抗期は、ハルカが黒歴史になるって言ってたやつのこと…?)

(『あ~、そうそう!誰にでもあるんだから気にしない気にしない。』)

(誰にでも…?)

(『あるある』)

私が聞くと、ハルカは初代の肩をポンポンと叩いた。

「はんこうき、やってみたい」

反抗期の話をしている翡翠もハルカも楽しそうに見える。

(誰にでもあるなら…私にもいつか黒歴史が…?)

わくわく。

私に見せてくれた初代の記憶にはそんな【黒歴史な映像】は無かったと思うんだけど、もしかしたら初代の記憶は一部分を意図的に隠すことができるのかもしれない。こう…見せたり、見せなかったり、みたいなことが。

ユーリカの記憶は、まるでハルカのテレビで見たエジプトの大きな川の水量みたいに膨大だった。実際には海の方が水量は多いはずなのに、ハルカの目を通してみたあの記憶の川は、静かなのに恐ろしく見えるほどだった。

大きな大きな川の中心を、すいすいと泳ぐユーリカ。その後ろからついて行く小さな魚。それが私だ。

泳いだと言っても知り尽くしたなどと言えるわけがないあの大河の中に、ほんの一筋黒歴史があったところで私に見つけることなどできるわけがない、とも思う。


(だから私が反抗期を上手くできてなかったら教えてね?)

私がそう言うと初代ユーリカが顔を隠してしまった。


黒歴史は他人には忘れて欲しいものだとハルカが言った。

そうか、と思って私は忘れる努力をする。初代の反抗期、知らないよ、うん。


「えっと、100歳になって喋りだしたけど、いつもは2歳で喋り出すから、つまり私は2歳の時期と同じで、これから反抗期に入る?じゃあ、今から私は反抗期に入ればいいのかな…?」

私がそう言うと、ハルカの(『ありゃりゃ、初代が地面に埋まってしまった』)という声がした。えぇっ、なんで?

目の前の翡翠も、嫌そうに顎を地面につけている。

「…もう反抗期は良いのではないか?

お前はいつもとは違い、いつまでも幼子のようであったのであるから、

今期はもうそれで反抗期も込みで終わりということでよいではないか!!」

「ほえ…」

『まぁ…翡翠ったら』

(『…………。』)

(『うわぁ、初代の沈黙が重い。これは受験と反抗期が一気に来たレベル』)


「あれ?翡翠は、私が反抗期が無い方が嬉しい?今までのまま、無意識に動くだけの存在だった方が良かったってこと…??」

「そそそそそそそぉ、そんなことは、言っとらん」

(『………チィッ!…クソ・ジジイ』)

(『でたーー!反抗期語録のド定番、クソジジイ!あっ、ちょ、テレビに穴は開けないで?せめて壁にしてね?できればフスマか障子でお願い』)


「無意識に、立って、歩いて、食べて、寝て、歩いて、って…うん?」

私は自分のその姿を頭の中で再生(想像)してみる。

(…なにこれ、ホラー?)

(『ぷふー!確かに!ゾンビっぽいかも』)

ハルカの記憶の中で見たゾンビ映画の背景の中を、ズルリズルリと動く私。

何かにつまずいた拍子に、顔から落ちるドロドロに溶けた眼球を自分で踏み潰してしまって涙目なゾンビの私。ぅう。


目の前では、翡翠が得意そうな顔で「ほれみろ、その目は反抗期の頃の目である。間違いない」と言ってにやにやと笑っている。

(クソジジイって言いたくなる気持ちが何となく分かっちゃった。反抗期ってこういう感じかぁ。)

(『まぁ、反抗期=成長期って言うからねぇ。必要な黒歴史だよ?』)

成長期か~。

背が伸びるといいな、後は、おムネも大きいのがくっつくと良いです。


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