マダムの涙


「彼女がどこかで幸せに暮らしていればいいなと、僕は思います。……マダム? これはいけない、どうされたんです」

 ミスターは驚いた。長い思い出を語り終えた途端、マダムの頬を涙が一筋伝っていったからだ。ごめんなさいと微笑むと、ミスターが届けた大切なハンカチで、そっと目元を押えた。やはり優雅な仕草であった。

 マダムは一度珈琲を口にしてから、とても穏やかな声音で「ミスター」と呼び掛けた。ミスターは静かに頷いた。

「お時間が許すならどうか、私の話も聞いてくださらないかしら。娘時代のささやかな恋を」

「ええ、もちろん。もちろんですマダム」

 ミスターの快諾を受け、胸に秘めた小さな宝物を愛でるように、マダムは優しく語り出した。

「──私には兄と姉がおりますの」

 スラリと背の高い初恋の影を思い描く。名を隆次りゅうじといった。


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