絹子という少女


 僕も彼女もまだ十八でした。誰もが顔見知りという小さな町です。本当は子供の頃から心惹かれていたのでしょう。しかし僕は非常に奥手な青年でした。内気な彼女に想いなど告げて、あの控えめで優しい笑顔を向けられなくなるのは嫌だと、このままそっと黙っていようと、そう考えていたくらいなのです。

 寒い時分です。隣町の映画館に、巷で流行りの映画フィルムがやってきました。ええ、そうです、当時は入れ替えなしの二本立て上映でしたね。今日のようなことはなかったと思うと懐かしいものです。

「僕は地元で冬過ごすんも最後やで、せっかくやし観たい。けんど一人は格好つかん。お前、行かんか」

 お恥ずかしいことにそれが精一杯の言葉でした。別にお前でなくてもいいが、今そこにいるので、どうだ。なんて失礼な誘い文句だったのでしょうか。家の手伝いで表に出ていたところを捕まえて突然言ったものだから、彼女もやや戸惑っているように見受けられました。

「……明日なら、ええよ」

 俯いて返された小さな小さな了承に、舞い上がる心を抑えるのが大変だったと覚えています。まともに顔を見ることも出来ないまま踵を返しました。ただ、断るのが苦手な彼女の本心を、表情から読み取りたくなかったのかもしれません。

 翌日、噂になるのは嫌だからとうそぶいて、劇場の中で待ち合わせました。もちろん地元民はたくさんいましたが、こうも多ければ「たまたま隣り合っただけ」といくらでも言い訳できます。でも本当は、この狭い土地に残る彼女に迷惑を掛けたくなかっただけだったのです。一人で行くのは格好よくないなどと言っておきながら、まったく可笑しな話ですよ。

 貴女のワンピース、とても綺麗な色ですね。彼女も萌黄色が好きだったんです。あの日の上着も同じ色で、あまりに似合っているものですから、僕はジッと見つめてしまいました。まあ、服をですけどね。素敵だよだなんてとても言えません。情けないと笑ってやってください。

「どないしたん。私、なんか変?」

「……別に。いつも通りや」

 実につまらない嘘です。いつも以上に可愛らしかったのに。そこから映画が始まるまで、僕は何も喋れませんでした。上映中に喋れないのは当然ですね。つまり、ずっと無言だったのです。気のきいた話が出来ないのは若い頃からでした。

 幼馴染みのような彼女とは時折言葉を交わす仲でしたが、これまででわかるように、僕も彼女も口数の少ない子供でして。そういう意味では普段と変わらないのですが、普段に増して俯きがちな彼女にどう話し掛けたら良かったのでしょうか。

 すぐ隣に彼女が座っていること。映画が終われば何か話さなければならないこと。様々な緊張と心配で内容はほとんどわかりません。そのまま二本とも上映が終わり、僕らは席を立ちました。映画を放って考えていたにも関わらず、結局何も言えませんでした。

「あ……」

 劇場前で別れようとした時、彼女が何かを見つけたようでした。すぐそばの甘味処です。甘いものが大好きな子でしたので、思わず気になったのでしょうね。

 僕は一世一代の勇気を振り絞って言いました。食べていくか、と。ですが彼女はお下げ髪を揺らして首を左右に振るのです。やはり僕と二人で出掛けるのは好ましいことではなかったのだと、よくよくわかりました。申し訳なく、思いました。

 春、僕は東京に行きました。彼女とはそれきりでしたが、何年もしてから、どこかへお嫁に行ったのだと実家からの便りで知りました。

 今までこの話をしたのは家内くらいだったんですがね。あのどんと構えた家内が、僕の失恋話にだけ妬いてくれるものですから、大変不思議なものでした。まあ、それは置いておくことにしましょう。


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