諏訪信野という女性

 俺が教科書を買った日の午後。午後からはのんびりしようと思っていた俺であるが、氏政から突如「履修相談にのってくれ!」と言われたので再び大学にやって来ていた。大学内のカフェで待っているというので俺はそこへ向かう。


「よっす! 待ってたぜ兼続!」


「おう」


 氏政はカフェ内のテーブル席に座っていた。俺は適当に挨拶を済ませると彼が座っているテーブル席の対面に座る。そして店員さんにアイスコーヒーを注文した。


「で、何に悩んでるんだ?」


「ヌル単を教えてくれ! この通り!」


 氏政はテーブルの上で土下座する勢いで頭を下げて来る。俺は彼の言葉を聞いて深いため息をはいた。


 「ヌル単」とは「取得が位」の略である。例を挙げるとテストもレポートの提出も必要なく、出席するだけで単位がとれる科目などが挙げられる。要するに苦せずして簡単に取れる単位の情報を彼は聞きたいらしい。


「お前なぁ…そんな科目ばっかりとってると自分のためにならんぞ」


 簡単にとれる…というと聞こえはいいが、当然ながらそんな簡単にとれる科目というのは将来就職する上で何の役にも立たない科目が多いし、簡単にとれるので自分の力にもならない。


 例を挙げると男子寮の中山寮長が臨時講師をやってる「マッスル理論」とかな。あれは講義中に筋トレとかやらされるらしいが。


 氏政みたいな怠慢な人間以外の真面目な人間は卒業までにどうしても単位が足りない場合に仕方なくそれをとる場合がほとんどだ。もちろん俺も全然とっていない。


「頼むよぉ…。前期結構単位落としちゃって、このままだとお前らと一緒に卒業できるかすら危ういんだよぉ…」


 氏政は涙目になりながら懇願してくる。俺は彼のその顔を見てもう一度ため息を吐いた。…ここで彼を甘やかすのは簡単である。しかしそれは彼のためにならないであろう。本当の友達なら…彼が成長できる方向に導くべきだ。俺は心を鬼にして言った。


「ダメだ。ちゃんとした科目をとれ! もっと勉強しろよ! お前は何のために大学に通ってるんだ?」


「彼女を作るため」


「おい!」


 氏政は悪びれる様子もなくそう言った。彼のその返答を聞いて俺は呆れ果てた。こいつは学費を払ってる親御さんに申し訳ないと思わんのか…。


「そもそもmetubeの企画なんてやってるから勉強する時間が無くなるんだよ。もうあれ止めようぜ。ネタも切れて来たしな」


「ハッ…そうか! metuberで食っていけるほど稼げば就職する必要ないし、そもそも学歴なんていらないじゃん! となると…もっとmetube活動の方に力を入れないとな。ありがとう兼続! 俺の将来は決まった。という事でヌル単教えてくれ!」


「………」


 どうやら俺の説得は彼を悪い方へと導いてしまったらしい。何故そういう発想になるんだ。あー…頭が痛い。俺はストレス緩和のために注文したアイスコーヒーを一口飲んだ。


「まぁそう言わずにヌル単以外も取れよ。分からない所があれば俺が教えてやるからさ。metuberになっても大学の専門的な知識っていうのは役に立つかもしれないぜ?」


 特に法律系なんかはmetuberをする上でも知っておいた方が良いはずだ。俺は彼を正しい方向に導くべくそう言った。彼はそれを聞いて腐った刺身を食べた時のような顔をしていたが、やがて口を開いた。


「兼続がそこまで言うなら…。ちなみにお前は何をとったんだ?」


「俺か? ほい」


 俺は自分の時間割を彼に見せる。


「また難しそうな科目ばっかりとってるなぁ」


「これが普通だ!」


「おっ、閃いた! 兼続と一緒な科目をとっておけば俺が寝坊した時に出席に〇書いててもらえるし、分からない所は教えて貰えるじゃん!」


 こいつは…完全に思考が楽をする方向にばかり向かってるな。でもちゃんとした科目をとるだけまだマシか。こんなんでも一応は友達なのだ。友達には悪い方向には行って欲しくない。俺と一緒な科目をとれば最低限の勉強はするだろう。


 彼はスマホを操作し、俺がとっている科目と同じ科目を履修登録したようだ。


「これで兼続君と…一緒だね♡」


「キモイからやめろ…」


 氏政は裏声を出し、顔を赤らめ上目遣いで俺の方を見つめてそう言った。鳥肌が立ったんだが…。彼は自分が頼んだウーロン茶を一口飲むとまた口を開いた。


「そういえば今日朝信は? reinしても返信来ないんだが。あいつにも色々聞こうと思ったのに」


「あー、朝信は確か今日例のメイド喫茶に行くって言ってたな。今頃メイドさんとよろしくやってるんじゃない?」


「またかよ!? あいつも好きだなぁ」


「もう完全にハマったらしいぜ。自分が絵を描いて稼いだ分を全部メイド喫茶につぎ込んでるみたいだ」


 朝信は絵師として活動しており、月数万円の収入を得ているらしいが、今やそれを全てメイドさんにつぎ込んでいる様である。朝信も朝信である意味ダメ人間なんだよな。彼の場合は単位の方はちゃんととってるらしいけれども。


 ちなみに氏政はこの前の一件でメイド喫茶を出禁になっている。


「よし、これで履修登録完了! …っと。後期も彼女作りに頑張らなきゃな!」


「おい!? 彼女作るなとは言わんが、勉強もちゃんとやれよ!?」


「あのなぁ兼続、世の中には勉強よりも大切な事もあるんだぜ?」


「それはそうだがお前は勉強の方をおろそかにしすぎだ。勉強もしっかりやった上でそれを言うなら分かるが」


「そういえば兼続知ってるか? 大学生のうちに彼女が出来ないとそのまま一生出来ない確率が高くなるらしいぜ?」


「う゛っ…」


 その話は俺も聞いたことがある。おそらく大学生までに女性を口説くスキルを身につけないと、そのままスキルのレベルが上がらないまま女性に相手にされなくなる確率が高くなるからだろう。


 男性も女性も大学生ぐらいから異性と付き合った事があるという割合が高くなるらしい。ようするにスキルレベル1のままでも異性に相手にされる期間というのは男女ともに大学生の間が最後なのだ。社会人になるとみんな対異性用のスキルのレベルが上がるため、スキルレベル1のままの人間は相手にされなくなるのだろう。


 俺も現在女子寮で勉強中ではあるが…そういう話をされると焦りが出て来る。自分はこのまま一生童貞として死ぬんじゃないかという不安が襲う。


「兼続も俺と一緒に彼女作ろうぜ。大学生の内が最後のチャンスなんだぞ? 勉強していい会社に入れたとしても兼続は一生童貞! 周りが結婚して行く中で兼続だけが童貞! 同僚に子供が生まれても兼続だけが自分の股間についてる息子をまだ使った事のない童貞! これはどうかと思うけどなぁ…」 


「何回童貞って言うんだよ…」


 氏政が悪い顔で俺に微笑みかける。しかし俺は以前決意したのだ。自分が彼女を作るのは女子寮の4人の問題を解決してからだと。俺は悪魔の誘いを舌を噛んで断った。


「遠慮しとく…。俺は自分のペースでやるよ」


 しかし俺の心に不安が生まれたのも事実である。俺は12月の女子寮にいられる期限いっぱいまでに4人の問題を解決できればいいと思っていた。かくなる上は4人の問題解決を早めようと思う。早急に4人の問題を解決して、自分も彼女を作るべく行動するのだ。あっ、秋乃はもう大丈夫っぽいから残り3人か。


 俺はそう決意するとアイスコーヒーの残りを一気に飲み干した。それと同時になんとなく窓の外を見る。カフェの外の大学の広場を見知った人物が歩いているのが見えた。


「あれは…」


「ん? ああ、諏訪信野さんか」


 俺たちの目に入ったのは本を抱えて校内を移動している諏訪さんだった。


「どうしたんだ兼続? もしかしてお前諏訪さんに興味あるのか?」


「いや、この前の合コンにいたからちょっと気になっただけだ」


 こいつに諏訪さんのreinIDを教えて貰った事を言うとめんどくさい事になるのでそれは黙っておいた。


「諏訪信野、地域経済学部の2回生、俺らとタメだな。背は150後半、胸はDカップ。黒髪のミディアムヘアが似合う控えめ小動物系の美少女だ。もちろんその可憐さから大学内での人気は高く、4女神には及ばないが美少女ランキングでは常にTOP10に入っている。よく図書館にいるので『図書館の天使』とも呼ばれているらしい。ちなみに男性が苦手で彼氏はいたことが無いそうだ」


 氏政は聞いてもいないのに諏訪さんの情報をぺらぺらとしゃべってくる。身長はともかく胸の大きさの情報はどこから出て来るんだよ…。


「性格もいい娘でさぁ。俺なんかにも嫌な顔せず話しかけてくれたし…それになんというか…こう…守ってあげたくなる感じが良いんだよなぁ…」


 氏政は諏訪さんの方を向いて恍惚といった感じの表情をする。キモイからやめろ。


「諏訪さんも大概人気だからなぁ…。童貞の兼続が狙うには荷の重い相手だと思うぜ?」


「狙わねぇよ。俺なんか最初ハナっから相手にされるわけないだろ!」


「へぇ~。俺は親友の兼続君が彼女を狙うなら協力してもいいけどなぁ~?」


 諏訪さんと付き合うねぇ…。でも彼女は俺の事を「話しやすい」って言ってくれたし…。童貞の俺の心は物事を都合よく解釈しようとする。


 いやいや、あんなん社交辞令に決まってるだろ! 真に受けてどうするんだ! 俺は頭を振ってその雑念を振り払った。


 それに氏政に恋愛の協力を要請するというのがそもそもの間違いである。失敗率100%なのだから。


「いいよ別に」


「あれ~? 兼続君嘘はいけないなぁ~。下手、実に下手。心の欲望を開放するのが下手くそ! 自分が心ときめく相手に行かないで誰にその想いをぶつけるんだ?」


 氏政は俺の心を見透かしたようにゲス顔で詰め寄って来る。確かに少しだけ…ほんの少しだけ…気にはなっているがそれだけだ。


「別にそんなんじゃないって言ってるだろ!」


「まぁお前がそう言うならいいけどよ」


 俺は氏政の誘いをきっぱりと断り、カフェを後にした。



○○〇



次の更新は10/30(月)です


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