そしてその男は生まれ変わる

 試験週間も終わりが近づき、いよいよ明日が最後の試験日になった。俺は同じ試験を受けていたいつものメンバーと一緒に試験教室を出る。


「やっと明日で試験終わりかぁ~。長かったなぁ」


「お疲れ様。私は一足先に夏休みに入らせてもらうわね」


「えっ、千夏今日で試験終わりなのかよ? いいなぁ」


「私は明日も試験だよぉ~、しかも3つもある…」


 大学の講義はどの講義を履修するか自分で自由に選べるので、選んだ科目によっては試験が最終日までない事もある。千夏はどうやら今日で前期試験を全て受け終えたようだ。


 2週間近く続く試験週間に俺たちはヘロヘロになりながらもなんとか試験を受けていた。肉体的には別にそれほど疲れないのだが、2週間も試験が続くという緊張状態に精神的に疲労するのである。


「おい、氏政! 大丈夫か?」


 俺は魂が抜けたような状態になっている氏政の背中を叩いて活を入れる。彼は今回の試験のできが相当芳しくなかったようで、いつもの自信満々でウザったらしい顔つきとは打って変わり、まるでこの世が明日で終わるかの様な顔つきになっていた。


「…マイフレンド兼続、俺はもうダメかも知らん。お前らと一緒に卒業できないかもしれねぇ」


「同志氏政、あきらめるのはまだ早いですな。教授に頼み込めば課外授業を受ける代わりに単位をくれる可能性もありますぞ」


「俺の屍を越えて行け…。ガクッ」


「同志氏政!? 氏政ぁー!? 誰かぁ、誰か衛生兵を呼ぶですな!?」


 氏政はそう言って心臓を押さえながら校舎の廊下にバタリと倒れた。それを見た朝信が慌てて彼に駆け寄る。


「またずいぶんと古いネタを…」


 衛生兵を呼ぶネタなんて久々に聞いた。確か10年ぐらい前に流行ったよな。当時俺は小学生だったが、何故か俺のクラスで大流行りしていて休み時間になるとそこら中でみんなが衛生兵を呼ぶものだから保険の先生がキレていた覚えがある。


「そこに寝てると他の生徒の邪魔だからとっとと立て!」


 ナンパの時のような諦めの悪さを勉学の方でも見せればいいのに…。俺は呆れながら倒れた彼の体を持ち上げて無理やり立たせた。


「ほら、しっかりしろ! 明日を乗り切れば明後日からは楽しい夏休みだ。それに例え単位を落としたって3回生の時にまた頑張ればいいじゃないか。そうすれば俺らと一緒に卒業できるぞ」


 俺はなんとか彼を元気づけようと励ましの言葉をかける。そしてそれを聞いた彼の体はムクリと起き上がった。


「そうだよな! 明後日からは夏休みだ! 海で水着の女の子たちが俺を待ってるんだ! 兼続、さっそく海に行ってナンパしようぜ」


 うーん…、そっち方面に解釈しちゃったか…。まぁ彼に元気に戻ったからそれで良いか。先ほどとは打って変わって生き生きとスキップしながら移動する彼を見て俺は苦笑した。



○○〇


 秋乃と朝信はこの後も試験があるというので2人とは別れ、俺と氏政と千夏は3人で帰路につく。俺と千夏は女子寮に、氏政は自分の下宿先に帰るべく移動するが3人とも大学の裏門から出た方が近いのでそちらの方へ向かっていった。


 そして3人で談笑しながら大学の裏門の近くまで来た時、俺たちの目にまるで亡霊のような雰囲気をまとってゆらゆらと歩いている白髪の男の姿が映った。


 何だあれは…? 


 俺たちは町中に現れたゾンビでも見るかのような目でその男を観察する。


「警備員さん呼んだ方が良いかしら?」


 千夏はその男を不審者だと判断したのか警備員を呼ぼうとしている。俺もそれに賛同しようとしたが、良く良く見てみるとくだんの男はどこかで見たような風貌をしていた。はて、誰だったかな? 


 気になった俺は記憶の中を遡り検索していく。


 んー………。あっ! 思い出した。


「緑川! 緑川じゃないか!」


 その幽霊のような男はかつて千夏に告白し、無残にもフラれた男緑川義重であった。千夏から最近見てないだの、休学しているだの言う噂は聞いていたが…まさかこんなことになっていたとは…。


 以前の彼はキチッとセットされた髪とパリッとアイロンがけされた服を着て、自信満々の顔で歩いていたのだが…。


 今の彼はその時の姿はどこへやら。黒かった髪は白髪になりボサボサでまるで乞食のようだ。服は何日も洗っていないのか異臭がして周りにハエが飛び交っている。顔に至ってはしわしわのおじいさんの様になっていた。


 こんな姿をしていれば誰も彼を緑川だと認識しないのは当たり前である。そりゃ休学しただの最近見ないだの言われるわ。


 好きだった女の人に彼氏がいると分かってショックを受けたのは分かるが…、あの堅物委員長のような男がここまで変わるものなのか。


 緑川は俺が声をかけると若干顔を上げてこちらの方を見て来た。


「お、おまえは東阪兼続!」


「やっぱりお前緑川だったのか」


「えっ? あなた緑川君なの?」


「マジかよ!? 浮浪者のじいさんかと思ったぜ」


 俺の後ろにいた2人も驚いている様だ。俺は緑川に何があったのか聞こうとしたが、彼はビクッと小動物のように体を震わせて後ずさりした。


「お、俺に近づかないでくれ! 東坂、お前を見ていると嫌な光景が頭の中に溢れてくるんだ!」


「嫌な光景…?」 


「お前と千夏君が付き合っていると知ったあの日から、俺は『お前など絶対認めない。千夏君にふさわしくない』と必死に自分を納得させようとしてきた。しかし…いくらお前たちが付き合っている事実を否定しようとしても頭の中に東坂と千夏君がイチャついている姿が溢れてくるんだ」


 あー…要するに脳を破壊されちゃったって事ね。緑川を千夏から遠ざけるために即興でついた嘘がまさかここまで効果てきめんだったとは…。


「何度も何度も何度も否定しようとした。でもその度にお前らがあんな事をしたり、こんな事をしたりという光景が頭の中に再生されるんだ。この気持ちがお前に分かるか? 見たくもない物を強制的に見さされている俺の気持ちが!」


 緑川は泣きながらそう訴えてくる。そう言われてもな…。


「ちょっと、勝手に人で変な妄想しないでくれる/// 私と兼続は健全な仲よ」


 千夏が緑川に講義を申し立てる。自分で変な妄想されたらいい気分にはならんよな。


「ちなみにどんな妄想したんだ? ん、言ってみ?」


「おい、氏政! 余計な事言うんじゃねえ」


 そこで氏政が言わなくても良いことを緑川に尋ねる。こいつは本当に…。


「2人はもう手を繋いだのかなぁ…とか。一緒に買い物に行ったのかなぁ…とか。ああああああああああああ! 俺にその光景を思い出させるな!!!」


「…意外とピュアだな」


 考えが汚れていたのはどうやら俺たちの方だったらしい。とりあえず邪な妄想はされていないようで安心した。


「あ、ああ、ああああ。俺はもうダメだ…。生きていく希望が無い…」


 緑川は地べたに寝転がり、両手で頭を押さえて芋虫の様にゴロゴロと動き回る。


 うーん…通常時の彼もめんどくさかったが、これはこれでめんどくさいな…。このまま放置しとくと他の人の迷惑になりそうだし…、どうしたらいいだろうか?


「マイフレンド兼続、ここは俺に任せろ!」


 そこで氏政が意気揚々と一歩前に出る。氏政はそのまま地べたでバタバタしている緑川に近寄ると、彼の肩にポンと手を置いてこう言った。


「緑川、お前…素質あるよ」


「あああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!! 嫌だ嫌だ嫌だぁ! NTRねとられの素質なんて嫌だぁ!!!」


 緑川はムンクの『叫び』のような表情になってそれまで以上に絶叫ながら地べたで回転し始める。というかこの場合はNTRじゃなくてBSS僕が先に好きだったのにじゃないのか? ってそんなツッコミは今はどうでもいい。


 やっぱり更に悪化したじゃないか、めんどくせぇなぁ…。


「どうするのこれ?」


 千夏が呆れた表情で芋虫のように転がる緑川を見る。そんな事言われても俺だって分からん。


「氏政、お前が緑川にとどめを刺したんだから責任取れよ」


「分かった」


 氏政は俺の言葉を承諾すると、再び緑川に近寄っていく。そして大声で緑川をしかりつけた。


「しっかりしろ緑川! お前男だろ? 今のお前の情けない姿を見て誰がお前の事を好きになるというんだ?」


 その言葉を聞いた緑川の動作がピタリと止まる。


「一回フラれたぐらいで情けねぇ。俺なんて何回ナンパに失敗してもくじけてないぞ! もちろん成功するまで何度もやるつもりだ。それに引き換えお前は何だ? 1回フラれたぐらいで全てが終わったような顔しやがって…。そんなんで人生が終わるなら俺なんて100回以上人生が終わって異世界転生してるぜ!」


 言っている意味が良く分からんが…。とりあえず緑川に活を入れようとしている事は理解できた。


 緑川はムクリと起き上がると以前の様なキリッとした顔つきに戻り、両手で自分の顔をパンッと叩く。


「確かにそうだな…。男でも女でもウジウジしている奴を見て好きになる奴なんていないな。黄田、お前の言葉で目が覚めたよ。感謝する」


 とりあえず緑川はなんとか正気を取り戻してくれたようだ。あのままでいられると確実に他の生徒の迷惑になるだろうからな。元に戻ってくれてよかった。


 しかしそこでやめておけばいいものを…、ふいに氏政が緑川の肩を抱き、引き続き彼に言葉をかける。


「なぁ緑川…。お前童貞だろ?」


「ムッ、確かに俺はまだ童貞だが…。それがどうかしたのか?」


「ナンパの達人である俺がお前に女の子にモテる術を教えてやるぜ!」


 また氏政が良く分からん事をし始めたぞ…。偉そうなことを言っているがお前はナンパに1度も成功したことないし、まだ童貞だろ…。


「ほう、ぜひともご教授願おう」


 2人はヒソヒソ話をしている体で話しているのだが、声が大きいので俺たちの方にも丸聞こえである。何故だか分からんが緑川も乗り気だし…。氏政の恋愛論を聴いてもクソほどの役にも立たないと思うが…。


「まずさぁ…お前その堅苦しい委員長キャラ止めね? 今どきそんなの流行んねえぞ。女ってのはなぁ陽キャが好きなんだよ。だからお前ももっとハジケろ!」


「成程…。確かにああいった連中の方がモテているのは俺も知っている。千夏君もそうなのか?」


「ああ、間違いねえ」


「勝手に人の好みを決めないで貰いたいんだけど…。あぁ…、私頭が痛くなってきたから先に帰るわね」


 千夏は呆れて先に寮へと帰ってしまった。正直俺も帰りたかったが、2人が何をしでかすかわからないので一応最後まで見届けることにした。


 …緑川をたきつけて氏政は一体何がしたいんだ? また千夏の方に来られてもめんどうだからやめて欲しいんだが。


「だがハジケるとはどうすればいいんだ?」


「お前のその委員長の皮を脱ぎ捨ててみろよ。そうすれば自ずと答えが出て来るはずだ」


 緑川は少し考えるそぶりを見せたが、やがて何か閃いた顔になる。そして彼は何を思ったのかいきなり服を脱ぎ始めた。


 上のシャツを脱ぎ、ズボンを脱ぎ、そしてパンツ1枚になる。何をやっているんだあいつは…?


「今までの俺はもう止めだ! この服と一緒に俺は委員長という殻を脱ぎ捨てるぞ! うおおおおお! 俺は陽キャだ! 待っていろ千夏君、今行くぞ!」


「そうだ、その意気だ緑川」


「はい、師匠! ありがとうございます。なんだか開放的された気分です。今までの憂鬱な気分が嘘みたいに晴れやかだ」


 えぇ…。意味が分からないんだけど。何これ、俺がおかしいのか? 俺の脳が状況を理解するのを拒んでいる。というか師匠ってなんだよ。開放的なのは服脱いでるんだから当たり前だろ。


「そこの君、何やってるんだ!?」


「ちょっと待て、放せよ! 俺は陽キャになったんだ。今までの真面目委員長キャラは捨てたんだ。これからウェイウェイして生きていくんだよ!」


「何を訳のわからないことを言ってるんだね。ちょっとこっちに来なさい!」


 そこで誰かが通報したのか、警備員がこちらにやって来た。パンツ1丁の緑川はそのまま警備員に捕まってどこかへ連れ去られていった。


 そしてその場には俺と氏政の2人が残される。


「なぁ、氏政。結局お前何がしたかったんだ?」


「俺も良く分かんね」


「………」


「………」


「帰るか」


「ああ」


 願わくば、彼が2度と俺たちの前に出てこないことを祈ろう。



○○〇


※すいません。予約投稿にミスっていつも通り7時に更新されなかったようです。7時頃に見に来られた方には申し訳ないです。


本当は緑川君にはもっと派手にハジケてもらう予定だったのですが、諸般の事情で没になりました。急いで新しい展開を書き直したのであらが目立つかもしれません。すいません。


次の更新は6/20(火)です


※作者からのお願い


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