発令「緊急招集」

 7月月初のとある平日の夜、寮生のreinグループにいきなり寮長から「緊急招集」とのメッセージが入った。


 「緊急招集」とは寮長が急ぎで寮生に伝えなければならないことがある時に発令される寮のシークレットメッセージである。当然だが余程のことが無いと発令されない。


 例で言うと…俺はまだその頃大学にいなかったのだが、近年では某新型ウィルス蔓延初期に発令されたという話を聞いたことがある。つまり、それくらいの事態でないと発令されないものなのだ。俺たちは「緊急招集」が発令されるとは何事かと急ぎ食堂に集まった。


 食堂に入るとそこにはすでに寮長が両手を口の前で合わせ、真剣な顔をして待機していた。ここまで真面目な寮長の顔は初めて見る。いつもはふざけた顔をしてアホな事を真っ先に発言する人だけあって、そんな人がする真面目な顔に俺たちは「何かとんでもなくヤバい問題が起こったに違いない」と察せざるを得なかった。


 一体どんな緊急事態が起こったのだろうか? 食堂に集まった俺達5人は緊張しながら各々の席に座った。


 俺達5人が席に着席すると寮長が俺達を一瞥して見回し、言葉を発した。


「みんな集まったわね?」


 声もいつもの甲高い声とは違い、低く重圧を感じるものだ。俺たちは今まで聞いたことのない寮長の声に息を飲んだ。


 いつもなら気軽に「一体何があったんだ?」と口を開くところだが、あまりにも重い空気に俺は口を開けなかった。いや、本当に何があったんだよ…?


 思考を逆転させてみる。寮長がこれほど真面目になる事といえば何があるのだろうか? 俺は必死に考えるが思いつかない。今日TVで見た最近の国内ニュースを思い返してみても某新型ウイルス級の国難が起きているという話も聞かないし…。

 

 あっ…もしかして寮が取り壊されるとかそういう話だろうか? 寮の経営がヤバいという話は昔男子寮の高広先輩から聞いたことがある。うちの大学も不景気による経営難で切れる部分は切っていこうという話になっているらしく、その切られる部分の上位に挙がっているのがうちの寮らしいのである。


 クッ…せめて俺が卒業するまではもって欲しかった。俺は覚悟を決めると寮長が口を開くのを待った。


「実はね…」


 再び寮長の重い口が開かれる。寮生全員が固唾かたずを呑んで寮長の言葉の続きを待った。


「わたしね。Vtuberとして食っていこうと思ってるの」


「………」


「は?」


 俺は最初聞き間違いかと思って自分の耳を疑った。この人今なんて言った? Vtuberがどうのこうの聞こえたけど…。


「だからVtuberとして食っていこうと思ってるっていったのよ!」


 どうやら俺の聞き間違いではなかったらしい。先ほどの真面目な顔や重苦しい空気はどこへやら…。今はいつもの寮長に戻っている。やっぱり寮長は寮長だった、頭のおかしい婚期逃したアラサーのオバハンだわ。


 当然だが寮長のその言葉に寮生全員が困惑した。

 

「寮長…、まさかそれを伝えるために『緊急招集』を発令したんですか?」


 千夏が唖然とした表情で寮長を見つめる。


「今世紀最大の美女であるわたしが今をときめくVtuberになるのよ? 緊急事態に決まってるじゃない?」


「あ、そうですか…。私、頭痛いんでもう部屋に戻ってもいいですか?」


「大丈夫? 緊急箱に頭痛薬あったとも思うから使いなさいな」


「いえ、結構です…。おそらく薬では治らない奴だと思うので…」


 千夏の頭痛の原因は寮長の先ほどの発言によるストレスだと思う。本来緊急の案件を伝えるために存在する「緊急招集」がこんなしょうもない事のために使われたらそりゃ呆れて頭痛が起きてもしょうがない。心労が原因なので普通の頭痛薬では治らないだろう。


 千夏は右手で頭を押さえながらゾンビのような足取りでフラフラと食堂を去っていった。口では「めんどくさい」と言いながら裏では寮の色々な仕事をちゃんとやってくれている苦労人の千夏。キャラが濃ゆい4女神の中でもなんだかんだ1番の常識人なのである。彼女には強く生きて欲しい…。

 

 俺は千夏を見送ると寮長の方に向き直り彼女に質問する。


「で? またどうしてVtuberになろうと思ったんだ?」


「それなんだけど…。寮長としての給料だけじゃちょっとこの先やっていけないと思ってね。副業を始めることにしたの」


「でも寮長、うちの大学の職員の給料って結構良かったと記憶しているんだけど…。少なくとも30代後半の平均年収よりは余裕で上のはずよ?」


 美春先輩が口に指を当てながら不思議そうな顔をして寮長に尋ねる。


 へぇ~、ウチの大学の職員の給料って結構いいんだ。初めて知った。そういえば先輩は今年から就活か。出来るだけ給料の高い職場に就職できるように色々調べているんだろううな。ご苦労な事だ。まぁ…俺も来年同じことをしなくてはならないわけだが。


「全然足りないわ! あんなちょっとの給料じゃアンチエイジングの化粧品も買えないし、婚活の資金も足りないし、ギャンブルも出来ないのよ!」


「いやギャンブルやめろよ!?」


 婚活資金と、婚活のために自分を良く見せようとする化粧品は兎も角として、ギャンブルに使う金は全く持って不要な金だと思う。そこを削ればいいのに…。そういえばこの前もパチンコで5万負けたとか言ってたな。


「それに加えて最近は秋乃がご飯を作ってくれないから自腹で飯代を払ってるのよ!」


「それはアンタの自業自得だろ…」


 今現在寮長はこの前のチーズケーキ事件でブチ切れた秋乃から1カ月の兵糧攻めを食らっている。1日中秋乃の部屋の前で土下座をしてなんとか無期限を1カ月にまけて貰ったのだ。後にこの事件は『アキッノの屈辱』として寮の歴史に刻まれることとなる。


 まぁそう言う話はさておいて…基本的に寮の食費は俺らから徴収された寮費から出ている。ちなみに寮長は「寮長」の職業特権として食費はタダだったらしい。つまり俺たちが共同で出した食費の中に寮長の分の食費も含まれているという感じだ。


 そして寮長はその食費を寮の台所事情を支配している秋乃にすべて預けていた。秋乃は料理上手の上、買い物も上手く、限られた食費で安い食材を買い沢山の美味しい料理を作るので寮長としても重宝していたらしい。そして寮長はその秋乃を怒らせてしまった。後はご覧の通りである。


 秋乃にご飯を作ってもらえなくなった寮長は自腹でスーパーの弁当などを買って飢えをしのいでいるらしいが、それが思いのほか寮長の財布に重くのしかかっているという事だ。


「何か…文句でもあるんですか寮長?」


「ヒッ…何でもないわ。秋乃」


 秋乃は寮長の方をむいて低い声を出しながらニッコリと微笑む。あの寮長をも怯ませるとは…流石うちの寮最恐さいきょうの女。これから寮長が粗相をしたら秋乃にすべて任せた方が良いのかもしれない。


「事情はわかったがVtuberを始める前に節約できるところを節約した方がいいんじゃないか?」


「どこを削るって言うのよ?」


「だからまずはギャンブルをやめろよ。あと酒もちょっと控えればいいだろ。それで月数万は浮くと思うぞ」


「嫌よ! 酒とギャンブルはわたしの心の清涼剤よ。それを辞めるなんてとんでもないわ!」


「完全にクズの発言じゃねえか…」


 寮長って本来人の模範になるべき人がなるもんじゃなかったっけ…? ここまで模範にしたくない人も珍しい。もしかすると寮長を反面教師にして将来こういう風になるなよという事なのかもしれないが。


「…冬梨、寮長がお金を節約できて尚且つギャンブルも出来る方法を知ってる」


 そこで冬梨が俺達の会話に混ざって来た。


「そんな方法があるの!? 冬梨、教えて頂戴?」


 寮長は冬梨の言葉に飛びあがって食いつく。節約もできてギャンブルも出来る…? そんな神のような方法があるんですか冬梨さん? 


「…婚活を止めればいい。寮長はどうせ結婚出来ないから婚活に使うお金はドブに捨てるようなもの。同じドブに捨てるならまだ勝てる見込みのあるギャンブルの方が良い…」


 冬梨の言葉に寮長はへなへなと机の上に突っ伏す。…そんなことだろうとは思っていたけど。


「…却下よ。この絶世の美女であるわたしが結婚出来ないなんて失礼しちゃうわ! 見てなさい! そのうちイケメンの石油王と結婚して見せるからね!」


 まぁ理想を言うのは個人の自由だからね。例えそれがとんでもない高望みであってもな。


「はぁ…、でも何でVtuberを選んだんだ?」


「わたしに向いてると思ったからよ。兼続、忘れたの? わたしは大学時代に約50人もの男を手玉に取った日本史上最高の美女よ? 男どもを手のひらの上で踊らせるなんて朝飯前…。沢山のガチ恋信者を作ってスパチャを貢がせてガッポガッポ儲けるのよ」


「そういう理由かい…」


 というか寮長って沢山の男を手玉に取ったというよりは沢山の男に手玉に取られてヤリ捨てにされた側じゃなかったっけ…? どうやら彼女の頭の中では都合よく事実が脳内変換されているようだ。


「…機材とかはどうするの? それにまずは絵師にアバターの絵を描いて貰わないと始まらない」


 そこで再び冬梨が口を開く。


 確かに今人気絶頂とも言えるVtuberだが…、Vtuberになるのも簡単ではない。まず配信機材などを揃えるのに数十万は軽くかかるし、人気の絵師にアバターを描いて貰うのならさらにそれに加えて数十万飛んでいく計算になる。


 とても金に困っている人ができるような職業ではないと思う。どこかの事務所に所属するならそこら辺は出してくれそうだが、こんな無茶苦茶な人を採用してくれる事務所なんてあるのか疑問だ。というかそもそもこの大学は副業OKなのか?


「それに関しては問題無いわ。配信機材は景虎ちゃん(※中山寮長)から貸してもらえることになったし、絵は男子寮のオタクに描いて貰う事にしたから」


「なんで中山寮長が配信機材持ってんだよ!?」


「どうも『バ身肉』して自分もVtuberになろうと計画してたみたいよ? めんどくさくなったからやめたらしいけど」


「あいつそんなこと計画してたのか!?」


 バ身肉とは「バーチャル美少女受肉」の略で、男性がネット上で美少女のアバターを被って活動することである。


 最近ではバ身肉Vtuberも増えてきているという話は聞いていたが…。まさかあの筋肉の事しか頭にないような男にそんな知能があったなんて驚きである。あんな渋くて低い声をした美少女なんて生理的になんか嫌だ。


「で、アバターの絵は朝信に描いて貰うって?」


「そうそう、あいつなんか絵描けるらしいじゃない? だからわたしのために一肌脱いで貰ったわ」


 実は朝信はネット上でそこそこ人気の絵師『ニャンダトォ・モノブ』として活動している。主にアニメキャラのエッチな絵をtwitternやpexivなどに上げており、個人から絵を描いて欲しいという依頼などもちょくちょく来ているようだ。それで月に数万程稼いでいるらしい。


 しかし朝信が寮長のために協力ねぇ…。あいつなら「3次元の女に協力するなんてゴメンですな」とか言って断りそうなものだが、どういう風の吹き回しだろうか?


「絵を描く報酬としてわたしのパンツを1枚あげるって言ったら喜んで承諾してくれたわ」


「おい!? 何やってんだ!?」


 あいつ「3次元の女には全く興味ないですな。2次元の女の子最高ですぞ!(キリッ)」とか言ってた癖に寮長のパンツ如きにつられたのかよ…。相手は30代後半のアラサーだぞ…、本当にそれでいいのか朝信…? 


 俺は朝信にドン引きした。


「分かってないわね兼続。ああいう『3次元はクソ、2次元最高』とか言ってる奴に限って現実の女への未練があるのよ。そこを刺激してやればチョチョイのチョイよ。ま、世界最高の美女であるわたしにしてみればあんなオタクを篭絡ろうらくすることぐらい赤子の手をひねるより簡単だわねぇ♪ この調子で世界中の男を魅了しちゃうわよぉ~」


 まぁ…俺達寮生に迷惑が掛からない範囲でやってくれるのなら全然かまわないんだが、この人のことだから後々迷惑かけてきそうだよなぁ…。


 俺はため息を吐きながら、頼むからめんどくさい事が起こらないでくれよと神様に懇願した。俺の周りはなんでこんな変人しかいないんだ…。



○○〇



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