ブラジャーラプソティ

 7月最初の土曜日、俺は洗濯をしようと洗濯カゴに溜まった1週間分の洗濯物を持って1階の洗濯機がある部屋へと歩いていた。この寮の洗濯機は共用で、風呂場やトイレに続く部屋に置いてある。おそらく建築的な事情で水回りのものを一か所にまとめておきたかったのだろう。


 今年も猛暑が続いているだけあって今日も太陽が地上の水分を全て奪いつくすかの如く照り付けている。まさに絶好の洗濯日和と言っていいだろう。さて、今日はどれくらいで洗濯物が乾くのだろうか? 最近洗濯物RTAリアルタイムアタックにハマっていた俺は洗濯物が乾くまでの時間をスマホのアプリで計測しているのだ。


 千夏には「アホなことしてるわね」と言われたが、自分でもそう思う。だが何故かは分からないがやめられないのだ。でもこういうのは理屈じゃないと思う。本人が楽しければそれでいいのだ。


 俺は乾く時間を予想しながらウキウキで水回りが集まっている部屋へ入ると洗濯カゴを置き、洗濯機のフタを開けた。


「ん? なんだこれ?」 


 俺は洗濯機の中に何か見られないものが落ちていることに気が付いた。それを手でつかんで取り出し、広げてみる。


「こ、これは…!?」


 俺が取り出したもの…それはなんと女性用の下着だった。俗に『プラジャー』…縮めて『ブラ』と呼ばれている物である。別名『西洋乳当て』とも言うらしい。女性が胸部につけ、形が崩れるのを防ぐ目的で使用されるものだ。


 花柄の模様でベージュ色をしたそれはすでに洗濯済みのものらしく、洗剤のさわやかな香りと同時に、男性にはない未知の香りを漂わせていた。


 と、そこで俺はこのブラは女子寮の誰かが洗濯をした際に回収し忘れていったものだろうと推測した。


 忘れ物なら誰が忘れたのか聞けばいいじゃないか? …と思うかもしれないが、男性の俺が下着を持って「この下着誰のだよ?」と聞けば最後、女性陣全員からパッシングを浴びることは間違いないであろう。最悪の場合はそのまま警察に通報である。もちろん、ただ持っているところを見られるだけでもアウトだ。


 …これはひょっとしてかなり不味い状況なのではないか?


 寮に洗濯機は1つしかなく、俺が洗濯物を洗うためにはこのブラを洗濯機の外のどこか別の場所に置いておかなければならない。しかしこの部屋には机とかそういう類ものはなく、ブラを置いておけるスペースが無いのだ。流石に床に置いておくというのもアレだろう。


 つまり…洗濯中はこのブラを俺が持っておくか、俺の洗濯カゴの中に入れておかなければならないのだ。もしそこを女子寮の住人に見られたらどうなるか…。


 俺はそれを想像してストレスで脳がキューと縮み上がる。ヤバい…。1度彼女たちにセクハラをして許してもらっているのにもう1度は流石にないであろう。今度こそ警察のお世話になり、刑務所の中で臭い飯を食わなければならないのだ。


 氏〇『あー…あいつですか? なんか前から下着盗みそうな顔してたんですよねぇ…。なんというか…いつもは真面目そうな顔してるけど、その仮面の下には下心を隠し持ってるというか…。ああいう顔の奴ほどやるんだなってのを痛感しましたよ。何でしょう…性的なストレスでもたまってるんですかね? 誠実な僕からすると下着を盗むなんて考えられない事なので許せないですね』


 朝〇『フォカヌポウゥ…。残念ですな。我らの中にあのような不埒者がいたなんて…。ああいう犯罪行為は頭の中で想像はしても現実ではやらないと言うのが鉄則だと言うのに…。彼はよくエ〇ゲをやっていたので、頭の中がエ〇ゲに支配されていたんでしょうなぁ…』


 頭の中で俺が逮捕された際に流れるであろう目線にモザイクを入れた友人2人のインタビューが再生される。あいつらにダメだしされるなんてそんな屈辱的な事は絶対に阻止しなくてはならない。


 だがしかし、このブラをどこかに移動させないと俺も洗濯が出来ない。溜まった1週間分の洗濯物を今日一気に洗濯するつもりでいたので、もう明日の着替えが無いのだ。


 俺はもう1日同じ服を着ても平気だが、女子寮の住人はそうではない。「兼続君服洗ってないの? 臭ーい。アンモニアみたいな匂いがするー」と言われて嫌われかねない。


 洗濯しても地獄、しなくても地獄である。


 俺はどうするべきか必死に脳を回転させて考える。どうすれば俺はこの窮地を脱せられるだろうか?


「兼続ー? いるー?」


 そこで部屋の外から千夏の声が聞こえて来た。不味い。俺は手に持っていたブラを急いで洗濯機の中に放り込んで蓋をしめる。ふぅ…間一髪だ。


 ガラガラと扉を開け千夏が中に入って来た。俺に何の用だろうか?


「兼続、ちょっとお願いがあるんだけど…」


「な、なんだ千夏?」


 千夏は少し恥ずかしそうにしながら指をツンツンさせて俺の方を見てくる。千夏が恥ずかしがっているなんて珍しい。彼女がここまで恥ずかしそうにするとは何事だろうか…?


 ハッ、そうか! このブラは千夏の物なんだな。千夏は洗濯をした後に自分のブラが一枚足りないことに気が付いた。忘れ物を取りに行こうとしたが、洗濯機の前には俺がいた。流石にブラを忘れたとは異性の俺には言いづらいので恥ずかしそうに言いよどんでいる…。おそらくこうだろう。いやー良かった。問題解決じゃないか!


「あのぉ…言い辛いんだけど////」


「うん」


「また部屋の掃除手伝ってくれない?」


「は?」


 全然違った。部屋の掃除手伝ってくれって…。この前も千夏の部屋の掃除を手伝ったばかりの様な気がするが…。またあのゴミ屋敷みたいに散らかっているのだろうか? 普段から整理整頓する癖をつけておけよ…。


「この前やっただろ?」


「また散らかっちゃったのよねぇ////」


 千夏は頭をかきながら恥ずかしそうにそう言ってくる。


「嫌だ。俺は忙しい」


「忙しいって…洗濯するだけでしょ? 洗濯物いれて、洗剤いれて、洗濯機のスイッチ押せば終わりじゃない」


「自分の部屋の掃除ぐらい自分でやれよ」


「あー…なんだかスマホの110番押したくなって来ちゃったわぁ…。すいませーん、警察ですか? 東坂兼続君がこの前私の胸をガン見してたんですけどぉ~」


「それのみぞぎはもう済んだだろ!? 前に部屋の掃除手伝ってやったし、緑川を騙すための嘘にも付き合ってやったじゃないか?」


「兼続、良く思い出してみて。私は部屋の掃除を手伝ってくれとは言ったけど『1度だけ』とは一言も言ってないわよ」


 クッ…、また言葉遊びのようなことをしやがって…。でも千夏の胸を見たのは事故だったとはいえ悪いのはこっちだしな…。女性にとって裸体を見られるというのは最上級の羞恥のはずだ。それを掃除程度で許してくれているのだから安い方だろう。


「分かったよ、手伝う。ただし今日はダメだ。この後氏政と約束がある。だから明日手伝うよ。どうせ今日やっても明日やっても変わらんだろ?」


 嘘である。もちろん氏政との約束なんて無い。もし千夏の掃除を手伝う場合、この後すぐに千夏の部屋に連行されるだろう。そうなるとここから離れなければならなくなり、証拠の隠滅が出来なくなるのだ。それ故にこの場を離れたくが無いために俺は嘘をついた。


「分かったわ♪ 明日お願いね」


 千夏はそう言うと上機嫌で部屋から去っていった。はぁ…助かった。とりあえず難は逃れた。


 俺は再び洗濯機の中に放り込んだブラを取り出してどうしようかと考える。急がないと他の連中も来るかもしれない。


 そこでふと俺は気がつく。このブラ…カップの部分が結構大きい…。俺は童貞なので女性の胸のサイズの事は細かくは分からないが、少なくとも千夏のものでない事は確かである。彼女はびっくりするほどまな板だからだ。俺は直に見たことがあるからこそ分かる。彼女がこのブラを着用すればスカスカどころの話ではないだろう。


 冬梨…がつけるにしてもサイズが少し大きい気がする。彼女は小柄なため、このブラでは少々大きいだろう。という事は…このブラは美春先輩か秋乃のものか?


「兼続くーん。いるー?」


 俺がそこまで推察した所で今度は秋乃から声をかけられた。俺は急いでそのブラを再び洗濯機の中に投げ入れる。というか何で俺が洗濯室にいるのが分かったんだ?


 秋乃がドアがガラガラと空けてこちらをのぞき込んできた。


「な、何か用か秋乃?」


「今日のお夕飯のメニューに悩んでるんだけど…兼続君は何がいい? リクエストがあるなら聞くよ?」


 平常時ならそれを聞いてくれるのは嬉しい所だが、今はそれどころではない。下手をすると警察に捕まって秋乃の美味しい料理を食べられなく可能性すらあるのだ。


 しかもこの下着は秋乃のものかもしれないのである。普段は優しい彼女だが、その分怒るととても怖い。もし俺が彼女の下着を持っていることが知れたらと思うと…怖くてあまり想像したくない。とりあえず彼女には早々にここを去ってもらおう。


「何でもいいよ」


「んー…。何でもいいって答えが一番困るんだけどなぁ…」


「秋乃の料理は文字通り何でも美味しいからさ。何を作ってくれても美味しく食べるよ」


「ふえっ!?///// そ、そんな…兼続君褒めすぎだよぉ//// 私なんてまだまだ//// 分かった。今日は腕によりをかけて秋乃スペシャルメニューを作るね!!!」


 秋乃は俺のおべっかに気を良くしたのかルンルンと鼻歌を歌い、スキップしながら部屋を去っていった。まぁ秋乃の料理が上手いのは本当なので嘘は言ってない。


 俺は三度みたび、洗濯機の中のブラをどうするか考える。このままここでじっとしていても事態は進展するどころか悪化するだけだろう。


 …洗濯中はズボンのポケットの中に入れてやり過ごすか? いや、このブラは俺のポケットに入るほど小さくない。…でも無理やり押し込めば入りそうな大きさでもある。


 …それとも洗濯中は洗濯機の裏に隠しておくか? 洗濯機の裏は汚いので汚れることは確実だ。流石にそれは持ち主が可愛そうか。


 俺はブラを前にしてウンウンうなりながら考える。傍から見たら変質者そのものだろう。


「兼続ー? どこー?」


 今度は美春先輩かよ!? 今日はよく声をかけられるなぁ…。俺はまたもやブラを洗濯機の中に放り込む。


「な、なんですか先輩?」


「どうしたの兼続? なんだかすごい汗をかいているような気はするけど…」


「今日は熱いですからね。そりゃ汗もかきますよ」


「でも寮の中はエアコンが効いていて涼しいわよ?」


「エアコンが効いていても暑い時もあるんですよ。男性は女性に比べて基礎代謝が大きいですからね。だから汗をかくのも仕方が無いんです。アハハ…。そ、それより何か用ですか?」


「そうそう! 兼続、今日の午後から暇?」


「えっ? まぁ…暇ですけど」


「実はね…ちょっと付き合って欲しい事があるの。だから15時ぐらいに寮の食堂に来てくれないかしら?」


「わかりました。15時ですね」


「じゃ、お願いね」


 美春先輩はそう言うと俺にウィンクをしながら去っていった。今日の15時か。何に付き合わされるのだろうか? まぁいい、今はそれよりも目の前のブラだ。


 4度目の正直である。ええい、このまま悩んでいてもラチがあかない。決めた! 先輩とも午後から約束しちゃったし、このまま洗濯を続行だ! 


 ブラは洗濯中、俺の洗濯カゴの中に入れておけばいいだろう。なぁに30分だ。洗濯が終わるまでの30分、どうにかバレなければなんの問題も無いのだ。


 俺は洗濯機の中のブラを取り出し、自分の洗濯カゴの中に入っている洗濯物と洗剤を洗濯機に入れるとスイッチを入れて作動させる。


「ふぅ…これで後は洗濯が終わるまでの30分隠し通せれば俺の勝ちだ!」


「…何が勝ちなの?」


「うおっ!?」


 声のした方を見ると、いつの間にか冬梨が洗濯室に入ってきていた。俺はとっさに手に持っていたブラをズボンのケツポケットに押し込む。


「ふ、冬梨かぁ…びっくりした」


「…冬梨も洗濯しようと思ったのに、兼続に先を越された」


「残念だったな。30分待てば終わるからそれまで部屋で待ってな」


「…うん、そうする」


 ホッ…どうやら冬梨にくだんのブラは見られてなかったようだ。このまま俺の洗濯が済むまで部屋に戻っていてくれ。冬梨はそのまま部屋に帰るのかと思いきや、俺の顔を見つめてくる。


「どうした冬梨? 俺の顔に何かついてるか?」


「…兼続、さっき何を隠したの?」


「な、なななな何の事かな冬梨さん?」


「…嘘。兼続ポケットに何かを隠した」


 冬梨はジト目で俺を睨んでくる。まさか…先ほど俺が隠したブラが見られていたのか? ありえない。ル〇ン三世もびっくりの早業でポケットに突っ込んだはずなのに…。


 あっ、そうだ。そういえば左のポケットにアレを入れていたはず…。あれを使おう。


「しかたない、冬梨には見られていたか。実はな…ガムをポケットに隠したんだ。冬梨に見つかると欲しがるだろうと思ってな」


 俺は今朝食べていた板ガムの残りをズボンの左のポケットに突っ込んだままにしていたのを思い出した。それを取り出して冬梨に見せ、俺が隠したのはガムであると冬梨に納得させる。決して彼女にバレてはいけない。


「…なぁんだ残念」


「これで謎は解けたか? じゃあ部屋に戻ってな」


「…わかった。と見せかけて…」


「なっ!?」


 冬梨が俺の嘘に騙され、納得して自分の部屋に戻っていくと思われたその瞬間…彼女は非常に俊敏な動作で俺の後ろポケットに突っ込まれたブラをひったくった。冬梨の手の中でブランブランとブラが揺れる。


「…兼続、これは何?」


 冬梨は明らかに軽蔑の目線で俺を見てくる。


 あぁ…終わってしまった。ここまで来たら言い逃れは出来ないだろう。俺は土下座をしながら冬梨に許しを請うた。


「実は…かくかくしかじかで…」


「…最初から洗濯機の中にあった? 誰かの忘れ物? 兼続が取ろうとしたわけじゃない? 冬梨が来たからとっさに隠した?」


 俺は冬梨の言う事にコクコクと頷きながら、自分は無実であると泣きながら訴える。


「…どうしようかなぁ。冬梨は別に見て見ぬふりをしてもいいけど…」


「お願いします冬梨さん。このガムをさしあげますから許してください…」


「…兼続は100円のガム、しかも食べかけで冬梨を買収できると思ったの? あー…これを千夏や秋乃にバラしたらどうなるかなぁ」


「わかった。この前のデートの時に買った海外ブランドの3000円のクッキーでどうだ? あれ冬梨好きだったろ? だからどうか…」


「…2つ。それ以上はまけられない」


「…クッ。…分かった、それで手を打とう」


「流石兼続。話が分かる」


 俺と冬梨は握手を交わし、無事契約が成立した。合計で6000円の出費だが、背に腹は代えられない。警察に捕まるよりはマシであろう。こうして冬梨を買収することに成功した俺はなんとか変態の烙印を押されずに済み、事なきを得たのであった。



○○〇



 ちなみに…


「ねぇ、わたしのブラが1つ足りないんだけど誰か知らない?」


 あのブラは寮長のものであったらしい。冷静になって考えてみればベージュなんてオバサン臭い色の下着を付けるのは寮長ぐらいしかいないわな。



○○〇



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