美春先輩の腰巾着

 例の下着事件があった日の午後、俺は美春先輩との約束通り15時に食堂に向かった。そして食堂の扉を開けるとそこには先客としてすでに2人の人物が椅子に着席していた。1人は冬梨、そしてもう1人は…。


「えっと…板垣さんだっけ?」


 以前先輩と甘利さんの恋愛相談をした時に一緒にいた。先輩ラブの後輩クレイジーサイコレズこと板垣弥生さんであった。


「気軽に名前を呼ばないでいただけるかしら? あなたに弥生の神聖で高貴な名前を呼ばれると鳥肌が立つんだけど…」


 彼女は俺の方を見て嫌そうな顔をしながらそうのたまう。相変わらず俺は彼女に嫌われているらしく、顔を見るなり辛辣な言葉をかけられる。


「前にも事情は説明したと思うけど、5股の件は誤解だから」


「そもそもな話、美春お姉様と一緒に住むだけでなくデートもしたというのが気に食わないわ。弥生だって2人きりでしたことないのに…。しかもお姉様のお気に入りの場所フルコースに行ったんでしょ? 羨ましいったらありゃしない!」


 …ん? つまり彼女が俺を嫌っている原因って…。


「そうよ嫉妬よ!!!」


「えらくハッキリ言ったな!?」


 友人付き合いではよくある現象だ。自分と1番仲がいいと思っていた友達が他の人と仲良くしているのを見てしまうと「俺がお前の1番の友達じゃなかったのか?」と嫉妬してしまう事がある。


 おそらく彼女は自分が1番仲の良いと思っていた美春先輩との中にいきなり俺が割り込んできた気がして気に食わなかったのであろう。ここまで露骨に態度に出すのは珍しいが。


 しかし困ったな。俺もむやみに他人と敵対する気はないので、出来れば彼女とも良好な関係は築きたいのだが…。こうなっては難しいかもしれない。


「あなた…もしや美春お姉様と共同生活しているのを良いことにお姉様の下着なんか盗んでないでしょうね?」


「…ソンナコトスルワケナイダロ」


 俺は朝の出来事を思い出して冷や汗をかく、もしあの下着が美春先輩のものだったらと思うと若干震えてくる。彼女は躊躇なく俺を警察に突き出すだろう。


「…なんか怪しいわね。いいこと! そんな羨ましい事したらただじゃ置かないからね!!」


「羨ましいってなんだよ!?」


「おっと…失言だったわ。忘れて頂戴」


 この人…前々から思ってたけど結構ヤバい人なのかもしれない。


 今の時点では彼女の対処法を考えてもどうにもならないかと思った俺は、その問題を先送りにすることにしてとりあえず自分の席についた。


 しかし美春先輩は何の用があって俺を呼んだのだろう? それに板垣さんと冬梨も…。俺は隣に座っていた冬梨に尋ねてみた。


「冬梨は今日美春先輩に呼ばれた理由知ってる?」


「…知らない。部屋でゲームしてたら無理やり美春に引っ張りだされた」


「…そうか。他の面子はいないのか? 秋乃とかは?」


「…秋乃は夕食の買い物でいない。千夏は部屋に鍵をかけてお昼寝中、寮長はパチンコ」


「…あっ、そう」


 秋乃はともかくとして、あとの2人は完全にダメ人間の休日の過ごし方じゃないか…。


 そこで俺はふと気が付く、コミュ障の冬梨が面識のない人と一緒の空間にいるのは珍しい。彼女ならしゃべることが無い相手とは長時間一緒のスペースにいるのは耐えられなさそうだが。


「冬梨は板垣さんと面識はあるのか?」


 俺の問いに冬梨はコクリと頷く。そうか、面識はあったのか。意外だな、冬梨は基本寮の連中以外とは面識がないと思ってた。


「…美春を訪ねてよく寮に来る」


「ああ、なるほど」


 板垣さんが寮に頻繁に尋ねてくるから普段寮から出ない冬梨でも知っていたわけか、納得。確かにこの人キャラが濃ゆいから1度見たら忘れられないもんな。


「お待たせ! みんな集まってるわね♪」


 そこまで話した所で美春先輩が食堂にやって来る。先輩はキッチンの方に立つと俺達を1度見回したのち、話しを始めた。


「実はね。今日集まってもらったのはあたしの女子力をみんなに評価してもらいたいからなの」


「美春お姉様の女子力はもうすでに限界突破されてますぅ♡ 評価するまでもありませぇん♡」


 先輩の言葉に板垣さんが速攻反応しておべっかを言う。以前先輩が板垣さんの事を冗談で腰巾着とか言っていたが、あながち間違いでもないのかもしれない。


「ありがとう弥生。あなたがあたしを評価してくれているのは嬉しいわ。でも弥生だけじゃなくて兼続や冬梨の屈託のない意見も聞きたいのよ」


「あぁ…お姉様…。もったいないお言葉ですぅ…。弥生なんかにそのようなお言葉をかけて頂けるなんてぇ…。グスッグスッ…」


 板垣さんは泣きながら先輩の言葉に感謝を述べている。おいおい、いくら嬉しくても泣く事はないだろうに…。俺はそれに若干引いてしまう。


「…弥生がオーバーリアクションなのはいつもの事、気にしてたら禿げる」


 冬梨は板垣さんの言動に慣れているのか冷静な態度だった。


「それよりも先輩、女子力を評価するってどうするんですか?」


「フフン♪ 実はね…」


 先輩はそう言うと冷蔵庫の扉を開け、中から黒いプレートのようなものを取り出っして俺たちに見せた。先輩が取り出したプレートを見てみると、なんとそこにはプリンが乗っていた。


「この前読んだ大蒜醤油先生のコラムに『今の時代モテるには女子力が重要』って書いてあったのよ。で、女子力を気軽に測れるものと言ったらお菓子作りじゃない? だからネットに上がってたレシピを参考にしてプリンを作ってみたの!」


 また大蒜醬油先生か…。先輩をまともな道に歩んでもらうにはまずその大蒜醤油とかいういろんな意味で臭そうな人から引き剥がさなくてはならないのだが…。彼女は何故か大蒜醤油先生をかなり尊敬しているため、すぐには難しそうだ。


 だが…今回に至っては結構まともなアドバイスのように思われる。そもそもな話「女子力」という言葉の定義が曖昧過ぎて具体的に何のことを指しているのか良く分からないのではあるが、家事や料理が上手い人を女子力の高い人とするなら、女子力が高い人がモテるというのは合っているだろう。


 男というのはなんだかんだ言って女の子の作った手料理を食べてみたいものなのだ。下手であるよりは上手い方が好感度が上がることは間違いない。


 おそらく大蒜醤油先生という人は変なアドバイスもするが、たまにはまともなアドバイスをする人なのだろう。故に先輩も大蒜醬油先生をなかなか切れないのだと推測する。まるで寮長みたいな人だ。


 先輩はプレートの上に乗っていたプリンを俺たちの前に置いてくれる。初めて作ったとは思えないほど見事なプリンだ。市販のものと比べても遜色ないと思われる。プリンの制作難易度がどれくらいかは分からないが…。初めての制作でこんなに上手に作れるのなら、先輩の女子力はかなり高い方なのではないだろうか?


 皿の上でプルプルと震える柔らかそうなプリン、そしてその上には茶色いカラメルソースがトロリとその存在を主張している。


「凄いですね。こんな綺麗に作れるものなんだ」


「フフン♪ どう兼続、少しはあたしを見直したかしら? あなたにダメだしされて以来、あなたを見返そうと色々勉強したんだから!」


 先輩は褒められた子供の様に得意顔になる。いや、これはマジで結構先輩を見直したかもしれない。


「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛~、美春お姉様が作ったブリン゛。素晴らしすぎて後光がさしてみえますぅ~。早速インシュタにアップしなきゃ…」


 板垣さんはプリンを「南無阿弥陀仏」と拝みながらスマホで写真をパシャパシャと撮っている。もはや彼女には何も言うまい…。


「写真撮るのも良いけど、味を見て貰えるかしら? きっと美味しいわよ!」


 俺は早速先輩の作ったプリンをスプーンにすくって口に持っていく。口に入れた瞬間プリンの甘いくて濃厚な味が口の中に広まる…かと思いきや、なんだか変な味がする。というかしょっぱい?


 俺は同じくプリンを食べた冬梨と顔を見合わせる。彼女も俺と同じく微妙な顔をしていた。


 もしかして先輩…塩と砂糖を入れ間違えたのだろうか?


「どうしたの兼続? 寝てたら口の中に蜘蛛が入ったような顔してるけど…」


「先輩…こ「あー!!!! 美味しい! こんな美味しいプリンは弥生初めて食べました。料理漫画の堅物審査員もお姉様のプリンの前では脱帽せざるを得ないでしょうね!」…ちょ、板垣さん!?」


 俺が先輩に正直な感想を言おうと思っていると、その途中で板垣さんに邪魔される。どういうつもりなんだこの人は?


「良かったぁ~、初めて作ったから少し不安だったのよね。そんなに気に入ってくれたなら作った甲斐があったわ♪ あっ、あたしちょっとトイレ行ってくるわね」


 そう言うと先輩はトイレにいってしまった。先輩が食堂から出るのを見届けた板垣さんは明らかに不機嫌そうな顔をして俺の方を睨みながらこう言ってくる。


「ちょっと!!! あなたどういうつもり? 美春お姉様の作ったこの神聖なるディバインプリンにケチをつけるなんて!」


「いや、板垣さんも食べたなら分かると思うけど、明らかに塩と砂糖間違えてたでしょ!?」


「例えそうだったとしても、お姉様が『美味しい?』と言ったなら例え不味くても『美味しい!』と言って頂くのが礼儀でしょ? 『鹿』が目の前にいたとしてもお姉様が『あれは馬ね!』と言えば『馬』なのよ!」


「馬鹿の語源じゃねぇか!? 美春先輩は趙高だったのかよ!?」


「お姉様をあんな下品な宦官と一緒にしないでくれる? お姉様が穢れるわ!!!」


「アンタが言い出したんだろ!?」


 あぁ…疲れる。今ので完全に確信した。この感じ、この人は間違いなく寮長や氏政と同じ類の人だわ。


「あのさぁ…板垣さんが美春先輩を尊敬する気持ちは分かるけど、ダメな所はダメって指摘しないと直らないでしょ? 特に美春先輩は彼氏を作るために色々努力してるんだし…。それを後輩の板垣さんが邪魔しちゃダメだと思うよ」


「お姉様に彼氏なんて作らせるはずがないでしょ! まだ早いわ!」


「アンタ完全にダメな奴じゃないか!? 娘を嫁に行かしたくない父親かよ!?」


 もしかして…美春先輩に彼氏が出来なかったのは板垣さんのせいもあるのではないだろうか?


「そうよ! お姉様に近づく性に飢えたけだもの共を排除していたのはこの板垣弥生よ! ある時は間に割って入り、またある時は脅しをかけてお姉様に近づくゴミガーベッジ共を排除してきたのよ。あぁ…神聖なるお姉様…。その美しさの前ではミロのヴィーナスですら醜女しこめとなる…この世でもっとも尊い存在…」


 板垣さんはうっとりとした表情でスマホの待ち受けにしている美春先輩の画像を見つめている。こりゃ特大のヤベー奴が出てしまったな。美春先輩が彼氏を作るという目標を達成するために取り除かなくてはならない障害がまた1つ増えた。


 1つはインチキ恋愛アドバイザー大蒜醤油真紀子。そしてもう1つはこの板垣弥生だ。まさかこんな身近に病巣ガンがあったなんて…。そりゃこんなんが近くにいたらどんな美人でも彼氏は作れないわ。


 俺が板垣さんにドン引きしていると上機嫌の先輩がトイレから帰って来る。トイレから戻って来た先輩は俺と目が合うとニヤリと笑い、こちらに近づいてきた。


「どう兼続? あたしの作ったプリン美味しかったでしょ? 『先輩に惚れ直しました。先輩の作ったプリンを毎日でも食べたいです』とか言ってもいいのよ? ほらほらぁ、フフン♪」


 先輩はドヤ顔で俺にそう言ってくる。どうやら先輩は板垣さんの感想を信じてプリンが上手に出来たと思っているようだ。


 確かに…ここで先輩の作ったプリンを正直に「不味いです!」というのは可哀そうではある。だがしかし、俺は先輩が成長するために協力すると約束したのだ。彼女が成長するためには例え少しばかり心が傷つこうが、真実を言ってあげた方が良いだろう。


 板垣さんが真実を言おうとするのを邪魔しようと行動してくるが、俺は手で彼女の口を塞ぎ、なんとか彼女を抑え込むことに成功する。


「先輩、言いにくいんですけど…塩と砂糖入れ間違えてますよ」「モゴー!モゴー!」


「えっ?」


「…本当。このプリンしょっぱい」


 冬梨も俺の言葉に続いて真実を述べてくれる。ありがとう冬梨。どうやら彼女は俺の味方のようだ。


 先ほどまでドヤ顔をしていた先輩の顔はみるみる赤くなり、急いで余っていたプリンにスプーンを差し込んで一口食べると彼女は顔をしかめた。


「本当だ…しょっぱい。あたし、失敗してたのね…。グスッ」


 先輩は涙目になって落ち込む。ドヤ顔したり赤くなったり落ち込んだり表情がころころ変わる人だ。まぁそこが先輩の可愛い所でもあるんだが。


 上手にできていたと思われていたプリンが失敗していた。ショックだろうな…。俺は落ち込む先輩に優しく声をかける。


「先輩、失敗は誰にでもありますよ。次作る時に失敗しなければそれでいいんです。それに塩と砂糖間違えた以外は完璧にできていたじゃないですか」


「兼続…。ありがとう。あなたには励まされてばかりね///」


 涙目になっていた先輩が俺の方を向いて若干笑顔になる。少し元気が出たようだ。でも少し顔が赤いような…? 気のせいか? 


 しかしその時、板垣さんの口を押えていた俺の手が外され彼女の口が自由になる。


「ぷはっ、東坂兼続! あなた悲しんでいるお姉様の心に付け込もうとしてるわね。そうはいかないわよ! このスケコマシ野郎!!!」


「その原因を作ったのアンタだろ!? 最初から真実を言っていれば先輩はここまで落ち込んでないんだよ!」


「弥生のせいだって言うの!?」


 先輩はそんな俺たちの言い争いがおかしかったのか俺たちの方を向いてクスクスと笑う。


「あなたたち知らない間にそこまで仲良くなっていたのね。弥生と兼続が仲良くなってくれてあたしは嬉しいわ」


「どこがですか!?」「お姉様それは誤解です!?」


 でもとりあえずは先輩が元気を取り戻してくれたようで良かった。しかし板垣弥生…これから彼女には注意をしなくてはいけないな。


「東坂兼続! 弥生はあなたを超危険人物に認定するわ!」


 どうやら向こうもそれは同じの様だ。さて、どうやって先輩から病巣を取り除こうか。



○○〇



※作者からのお願い


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