秋乃大憤激!

 日曜日、俺はいつもの時間に起きると朝食を食べるべく地下室を出て食堂へと向かう。今日の朝飯は何かなと考えながら食堂の扉を開けると…そこは何故か重苦しい空気に包まれていた。


 その重苦しい空気の原因はすぐに分かった。秋乃だ。彼女は俺が何度か感じたことのあるどす黒いオーラを放ちながら物凄いプレッシャーを発している。正直、チビりそうなぐらい怖い。間違いなく彼女は今とんでもなく怒っている。


 現在彼女はキッチンに向かって料理を作っており、後ろを向いているのだが、それでも今すぐここから逃げ出したくなるような耐え難いプレッシャーを発しているのである。


 えっ? 俺は今回は何もしてないよな? 昨日の自分の言動を振り返ってみるが、特に思い当たるようなことは無かった。昨日秋乃とは夕食時に会ったのが最後だが、その時の彼女はご機嫌だったと記憶している。


 では何故秋乃はこんなにも怒っているのだろうか?


 俺はとりあえず自分の席に着きつつ、隣の席で秋乃とは必死に目を合わさないようにしている千夏にヒソヒソ声で話しかけた。


「(なぁ…どうして秋乃はあんなに怒ってるんだ?)」


「(どうも秋乃が楽しみにしてたチーズケーキを誰かが食べちゃったらしいのよ。昨日買ってきて、冷蔵庫に入れておいたらしいんだけど…今朝見たら無かったらしいわ。それであんなに怒ってるの)」


 彼女が怒っている理由を聞いて俺はひとまず安心する。ホッ…良かった、俺じゃない。俺は昨日夕食を食べた後は食堂には行っていないし、チーズケーキを食べてもいない。


「(でもたかがチーズケーキを食べたぐらいでこんなに怒るものなのか?)」


「(『色彩牧場』っていううちの市にある牧場があるんだけどね。そこでとれた新鮮な牛乳から生産している1日100個限定のチーズケーキだったらしいの。最近販売を開始したらしいんだけど、凄く人気ですぐに売り切れるらしいわ。秋乃はやっとの思いでそれを買えたらしいのよ)」


「(あー…限定品か、そりゃ怒るわな)」


「(あそこまで怒っている秋乃は久々に見たわ。よっぽど限定品を食べられたのが頭に来たんでしょうね。レベルで言うと160万スコヴィルぐらいよ)」


「(なんか前聞いた時と単位変わってない!? というかスコヴィルって何の単位だよ!?)」


「(辛さの単位よ)」


「(ちなみに…チーズケーキ食ったの千夏じゃないよな? もしそうなら早めに謝っておけよ)」


「(失礼ね…流石の私も他人の物を勝手に食べるようなことはしないわ)」


 …本当だろうか? この前冬梨から冷蔵庫の中身をたまに盗み食いしているとか言う話を聞いたのだが…。俺は千夏に疑いの目線を向ける


「(何よその目…。そういう兼続こそあなたが食べたんじゃないの?)」


「(俺が食う訳無いだろ? そもそもチーズケーキが冷蔵庫の中にあったこと自体、千夏の話を聞いて初めて知ったんだぞ!)」


「なぁんかヒソヒソ話が聞こえるんだけど…。だぁれが話してるのかなぁ?」


 俺達の話し声がうるさかったのか料理を作っていた秋乃が包丁をキラリと光らせとんでもないプレッシャーを放ってくる。うわぁ…秋乃の目に光がない…。あれはガチの奴だ…。俺と千夏はそのすさまじいプレッシャーを浴びて恐れをなし、ヒソヒソ話をやめてうつむいた。


 しかし本当に凄いプレッシャーである。あの普段はうるさいぐらいにしゃべる寮長すら声を出さずに黙っているなんて…。


「朝ご飯…出来たよ。各自勝手に食べて」


 そう言って秋乃は皿の上に乗せた朝ご飯をみんなに配膳してくれる。こんな状況になっても朝ご飯を作ってくれるなんて…。有難い話だ。


 しかし俺は秋乃に配膳された皿の上に乗っているものを見て困惑した。真っ白い皿の上にはどう見ても緑色の棒状のものが乗っているだけである。


「あ、あの…秋乃さん? これは…?」


「きゅうり。美味しいよ?」


 うん、間違いなく皿の上に乗っている野菜はきゅうりである。新鮮そうな瑞々しいきゅうりが皿の上に1本だけ乗っている。…というか先ほどの包丁は何に使っていたんだろうか?


「おかわりもあるからね。たぁくさん食べて良いよ」


「あ、ああ…」


 秋乃はまったく笑っていない目でニコリと微笑む。怖え…。こんな状況でおかわりを頼む奴がいるというのであろうか? もしいたならそいつは氏政並みの鋼メンタルの持ち主である。


 俺は秋乃にそれ以上突っ込めるほどメンタルが強くなかったので、おとなしくきゅうりをポリポリとかじることにした。なんだか河童になった気分だ。


 …みんな押し黙って無言できゅうりをポリポリとかじっている。傍から見ると非常にシュールな光景だろう。


 俺はきゅうりを食べ終えると自分の腹を押さえる。当然だが足りない。腹の虫がギュルギュルと鳴き声を上げている。仕方が無い、あとでスーパーにでも行って何か買ってくるか…。


「ふふふ…、いったい誰が私のチーズケーキを食べたんだろうねぇ♪ 昨日35度の炎天下の中1時間も並んでようやく買えたものだったのに…。ケーキの箱にちゃぁんと『秋乃』って書いてあったのになぁ…。盗んだ人は文字も読めないんだねぇ…。お猿さんかな?」


 秋乃が自分の席に座りニッコリと微笑みながら辛辣にそう言ってくる。相当腹に据えかねているようだ。


 きゅうりを食べ終わった俺はこのまま食堂を離れて自分の部屋に戻っても良かったのだが、秋乃をこのまま放っておくのは不味いと考えた。


 今日1日ぐらいならまだしも、毎日こんなとんでもないプレッシャーに耐えながら食事をするとなると俺の尿にストレスで血が混じりそうだ。それは嫌なのでどうにかして秋乃の怒りを収めてやらなくてはならない。


 1番簡単なのは犯人を見つけることであるが…、お菓子を盗み食いしそうな奴…といえば…俺は1番に容疑者にあがりそうな奴に目を向ける。


「…どうしたの兼続? そんなに熱い視線で冬梨を見つめて」


 冬梨はコテンと首をかしげる。馬場冬梨、お菓子が大好きで過去に冷蔵庫の中から食料を盗み食いしていた容疑のある奴である。この中で1番チーズケーキを盗み食いしそうなのは間違いなくこいつだろう。


「冬梨…黙っていないで白状したらどうだ?」


 俺は優しくさとすように彼女に語り掛ける。


「…何の話? あっ、兼続が昨日したぎを…「あー!!! 分かった。冬梨は犯人じゃないな! 冬梨がチーズケーキを食べるはずがない」…当然」


 いきなり冬梨が昨日の下着事件の話を始めたので俺は慌てて冬梨の言葉を遮った。他の面子が何事かと俺達を冷たい目で見てくるが、あの件がバレるよりはマシであろう。


「(それは言わないって約束だったろ!? クッキー2缶も買ってやったじゃないか!)」


「(…兼続が冬梨を犯人にしようとした罰。冬梨は食べてない)」


「(本当だろうな? 嘘ついてたら秋乃がブチ切れるぞ)」


「(…兼続は普通に失礼。冬梨はちゃんとラインを考えて冷蔵庫の中の物を盗み食いしている。秋乃が激怒しそうなものには流石に手は出さない、自殺行為)」


「(そもそも盗み食いするのをやめろよ…)」


「(…それに兼続に買ってもらったクッキーが2缶もあるのに他のお菓子に手を出す余裕はない。クッキー2缶を食べた上でチーズケーキを食べれるほど冬梨のお腹は大きくない)」


 確かに言われてみればそうである。昨日冬梨は俺が口封じに買ったクッキーをむしゃむしゃと食べていたと記憶している。食い意地が張っている冬梨ではあるが、流石にあの量のクッキーを食べた上でチーズケーキを食べるのは難しいだろう。


 じゃあ誰がチーズケーキを食べたんだろうか? 1番の容疑者が消えたことになる。


「…そういえば昨日22時頃に冬梨がトイレに行ったら、こそこそしながら食堂に入っていく美春を見た」


「ギクッ」


 冬梨の真正面にいる美春先輩がビクッとふるえる。というかこの人今「ギクッ」って言わなかったか? 今どきこんなテンプレートな反応する人がいるなんて…。


「美春先輩…まさか!?」


「ちがうの、ちがうのよ兼続! あたしは食べてないわ!」


「ではどうして22時頃に食堂に入っていったんですか?」


「そ、それは…///」


 美春先輩は恥ずかしそうにしながらポツリポツリと話し始める。


「実はね…昨日兼続とかに食べて貰った失敗作のプリンあったじゃない?」


「ああ、昨日の塩辛いプリンのことですね」


「まだアレの残りが冷蔵庫の中に入っていたのよ。捨てるのももったいないし、自分で食べて処理しようかなと…」


「それなら別にコソコソしなくても良かったのでは…?」


「だって自分の失敗作を自分で処理するのって恥ずかしいじゃない!/// だから誰にも見られたくなかったのよ///」


 先輩は顔を赤くしてそう白状する。まぁ気持ちは分からなくはない。先輩意外と乙女な所があるんだなぁ…。可愛らしい。


「それにあたしがプリンを処理した時はまだ『秋乃』って書かれたケーキの箱は冷蔵庫の中にあったわよ!」


「…美春はその時プリンと一緒にケーキを食べた」


 冬梨が横からポツリとそう言ってくる。


「食べる訳無いじゃない!? あの塩辛いプリンを3個も処理したのよ! 気分が悪くて他の物は何も食べられなかったわ…」


 うーん…俺も食べたから分かるがあの失敗作のプリンを大量に処理した後でチーズケーキを食べるのは確かにキツイだろう。という事は美春先輩は犯人ではない事になる。


「それに! あたしが食堂から出る時に千夏が入れ違いで食堂に入っていったわ!」


 今度は全員の目が千夏に向く。…千夏は自分では食べていないと言っていたが果たして…?


「あれは…喉が渇いたから食堂にお茶を飲みに行っただけよ。ケーキなんて食べてないわ」


 千夏は必死に手を振りながら否定する。


「それに寮に住んでるみんなは知ってるでしょ? 私は西洋菓子よりも和菓子が好きな事を! チーズケーキを食べるくらいなら和菓子を食べるわ」


「でも食べられないこともないでしょ?」


 美春先輩がそうつっこむ。


「確かに食べられますけど…私は食べてないわ! それに私を疑うなら兼続だって疑わないとダメでしょ? 兼続はさっきから他人を疑ってばかりだけど、彼だってチーズケーキを食べることは可能なはずよ」


「そう言えばそうね。兼続、どうなの?」


「…冬梨も兼続を疑う」


「俺は食ってねぇよ!!」


 もう無茶苦茶である。お互いがお互いを疑い合う地獄のようなありさまだ。もう終わりだよこの寮! 


 そもそも各々のアリバイを証明する手段が自らの証言しかないのだからアリバイの断定のしようが無いのである。


 と、俺はここで違和感を覚えた。先ほどから寮長が一言もしゃべっていない。あの普段からうるさくてウザくてクズで口をふさいでも耳の穴から声を出してしゃべり続けていそうな寮長がである。


「そういえば寮長、あんたは昨日何してたんだ?」


 俺は昨日寮長の姿を見ていない、どこで何してたんだこの人? 彼女は俺が声をかけるとようやく声を上げた。


「えっ? わ、わたしは…昨日パチンコに行って…途中で男子寮の景虎ちゃん(※中山寮長)と合流して『居酒屋・色彩』で一杯やって…それで寮に帰って来たわ。日が変わるぐらいだったかしら?」


「チーズケーキは食ってないよな?」


「当然じゃない!? 兼続、あなたわたしを疑う気? 学生時代に『聖人』とまで言われた寮長であるわたしが寮生のものを食べるはずないじゃない! それにわたしは今ダイエット中なのよ! あんなカロリーの高そうなものを何で食べると思うのよ! ちゃんちゃらおかしいわ!!!」


 俺は寮長のその言葉に更に違和感を覚えた。


「チーズケーキって生クリームがのってるものなのか?」


「あっ…しまった…」


 俺の想像するチーズケーキはクッキー生地の上にスフレ状のケーキがのっているオーソドックスなものである。色彩牧場のチーズケーキにはのっているのだろうか?


「確かにそうね。あたしもチーズケーキの上に生クリームがのってるイメージ無いわ」


「私もです。スーパーで良く売ってるヤ〇ザキのチーズケーキが真っ先に思い浮かびますね」


「…そういえば冬梨聞いたことがある。色彩牧場のチーズケーキには生クリームがのっているって」


 他の3人が思い描いたチーズケーキにも生クリームはのっていなかったようだ。何故寮長はそれを知っているのだろうか? 俺たちは疑いの目を持って寮長に詰め寄った。


「寮長…なんでチーズケーキに生クリームがのっていたと知っているんだ?」


「えっと…それは…。そう、このまえチラシか何かで見て覚えていたのよ」


 寮長の顔に脂汗が浮かんでいる。


「私、寮に届けられる新聞とチラシは毎日チェックしてますけど『色彩牧場』のチラシなんて1度も入っていませんでしたよ」


 と千夏はジト目で寮長を睨む。


「た、たぶん千夏が寮に入寮してくる前の話よ」


「…寮長は嘘をついている。『色彩牧場』がチーズケーキの販売を開始したのは2週間前、仮に千夏の入寮前にチラシが入っていたとしてもチーズケーキが載っているはずがない」


 冬梨が訝し気な目をして寮長を睨む。


「えっと…そのぉ…」


「寮長…もう白状したら?」


 美春先輩が呆れた目で寮長を睨む。


「クッ…ごめんなさい秋乃! あの時のわたしは酔ってて判断能力が鈍っていたのよ! もう絶対しないと約束するから許して頂戴!」


 寮長はもう言い逃れできないと判断したのか、超特急で秋乃に土下座をして許しを請うた。


 秋乃は相変わらず光の無い目をしてユラリと立ち上がると寮長を見下ろした。そしてニッコリと微笑んで口を開く。


「寮長は金輪際、お酒とご飯抜きでいいですよね♪」


「秋乃ぉ~!!!!!!!! お願いそれは許して! 兼続に同じものを買いに行かせるからぁ!」


「なんで俺に買いに行かせるんだよ!? 自分で買いに行けよ!?」


「この期に及んで兼続君にまで迷惑をかける気ですか…?」


 秋乃の声がさらにもう1段低くなった気がする…。怖ぇ…。ションベンちびりそう…。氏政をションベン漏らしと笑えんぞこりゃ…。


「許して! お願い! 秋乃ぉ!」


 その後…寮長は1日中秋乃の部屋の前で土下座をしてようやく許して貰ったらしい。寮長は秋乃を怒らせた罰として次の日炎天下の中2時間並んで『色彩牧場』のケーキセットを秋乃のために購入し、そして俺たちに迷惑をかけた謝罪としてその日の夕食は出前に特上寿司を取る羽目になった。


 食べ物の恨みは恐ろしい…。やはり秋乃はあまり怒らせない方が良いな。



○○〇



※作者からのお願い


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