夜が消えた日

立談百景

夜が消えた日

 氷を割り、船が進む。

 砕氷船が南極に道を作る。昭和基地まで続く道だ。

 船は首を持ち上げ、氷に乗る。巨大な氷の塊を砕く音が身体に響く。今年の氷は固く、通年よりも多くチャージングを行っている。

伊賀地いかじさん、昨日はよく眠れましたか?」

 国土地理院の左崎さざきさんが、デッキにいた私に話しかけた。

「いま南極は白夜ですからね。分かっていても、夜がこないというのは奇妙な感じでしょう」

「そうですね。でもやっと南極に来たって、そう思えます」

 南極の氷に照り返す太陽は、なんだか見慣れない位置にある気がする。目を焼くような眩しさだ。

 ――私は生物学の研究のために、南極の夏季観測隊に参加する。左崎さんとは年齢が近いこともあり、今回の旅で少し仲良くなった。

「当たり前のことを言うみたいですが、南極は街のにおいがしませんね。少し水と氷と、あと船の上は、ちょっと鉄のにおい」

「伊賀地さんは南極は初めてでしたね。基地に着いたら、もっといろんなにおいがありますよ。船の中と同じで人がいますから。……でも確かに、私は意識したことがありませんでしたけど、においという感覚は、氷の世界では少し独特なものかも知れません」

「はい。生命のにおいがしなくて、なんだか不思議に思えます」

 南極の観測隊への参加は、私の一つの目標だった。

 子供の頃からの生き物好きが高じて研究に明け暮れ、でも学内の派閥争いとかなんとか得意でない政治のごたごたに巻き込まれて研究を潰され、何年も燻って燻って夜明けを待つように細々と研究を続けていた。

 その中で発表した論文が極地の生物学の大家に見初められ、研究を認められたのが二年前。そしてようやく、こうやって南極での研究の道筋を立てるまでこぎ着けたのだ。

「……昔、すごく小さい頃、南極には海底人が文明を築いてるって、信じ込んでたんですよ。それで南極に届くようにって、海底人たちに読んでもらえるかもって、瓶に手紙を詰めて流したりして」

「ふふ。じゃあ伊賀地さんは、南極へは海底人を探しに?」

「もちろん。親善大使ですよ私は」

 あるいは私自身が、氷の下にいた海底人だったのだろう。

「それじゃあ海底文明までの地図は、我々が書かないとですね」なんて言って左崎さんは笑ってくれる。

 船が頭を持ち上げ、氷に乗る。船が氷を割っていく。

 さあ、海底人たちを起こすんだ。

 進め、進め、白夜の南極を。

 私の夜を消していけ。

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夜が消えた日 立談百景 @Tachibanashi_100

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