第2話


 昼休み。


「なあ、京介。どう言うことだ?」

 教室から出た健斗は、先に出た京介に問いただす。


 どうも納得がいかない。

 頭では納得しても、身体が納得していなかった。


「どう言うことも、何も――。まあ、よろしく」

 返事に戸惑いながらも、京介は笑みを浮かべた。。

「よろしく・・・って」

 唖然とした様な顔で、健斗は小さくため息をついた。


 確定事項。

 どうやら、それ以外に選択肢は無い様だ。


「まあ、これもまた運命だと思ってさ」

 京介は健斗を励ますような口調でそう言って、購買へと先に向かって行った。

「えー、どう言うこと」


 運命。

 つまり、僕らの再会は必然と言うことなのだろうか。


 健斗は訳もわからないまま、早歩きの京介を追いかけた。


「そう――。これは運命なんだよ」

 京介は窓の外の空見上げ、そう呟いた。



 ―――



 購買から戻って、教室。


「あ、あのー。わ、わたしっ、齋宮桜って言いますっ!」

 健斗たちが戻ってくると、一人の女子が京介に挨拶をする。

 教室へ戻ってきた京介を見て一目散に向かうところを見ると、彼女は京介が戻ってくるのを待っていた様に見えた。


 朱色のセミロングに凛とした眼差し。

 包容力がありそうなその胸と明るい性格は、

 ファンクラブが出来るほど人気がある。


 明るい輝かしい雰囲気。

 まるで、陽の塊の様な存在だった。


 彼女の名は齋宮桜(いつきさくら)。

 美咲の友達だ。


「・・・・・・どこかで会ったことある?」

 京介は紙パックのコーヒー牛乳を片手に、少し引いた様な顔で桜に聞く。


 一瞬、間があった様に見えたが、気のせいだろうか。


「えっ? 多分、初めてだと思う・・・けど・・・・・・?」

 桜は京介の言葉に困惑した様な顔で言う。

 自問自答する様に、彼女は頭の上に疑問符を浮かべていた。

「――本当に?」

 京介はコーヒー牛乳を机に置くと、桜にゆっくりと近づく。そして、目の前に着くと、不思議そうに首を傾げた。


 その光景は見る方角によって、二人がキスをしている様に見えた。


 積極的――と言うか、大胆と言うか――。


 と言うよりも、僕の記憶では京介はこんなに積極的な性格じゃなかった気がする。

 もっと静かな雰囲気だったはずだ。


 父さんんが亡くなってからの四年。 

 いったい、この四年の間に何があったのか。


 まあ、見た目が良いから悪い光景では無いんだけど。


「本当です・・・っ」

 桜は小刻みに首を左右に振ると、真っ赤な顔で俯いた。

「なら、良かった。・・・・・・よろしく、桜」

 京介は安心した様にそう言って微笑み、自席へと戻って行く。


 何かを確かめた様なその表情。

 健斗にはその表情が寂しそうに見えた。

 


 ―――



 放課後。

 校内の案内も終わり、健斗と京介は学校を出る。


「と言うか、京介」

 健斗は校内を案内する中、一つの疑問を抱いていた。

「ん? どうした?」

 何食わぬ顔で京介は振り向く。

「そのさ、京介は前いた高校の方がランク高かったんだから、そのまま一人暮らしした方が将来的に良かったんじゃないの?」

 僕のいる高校は京介がいた隣の魔法都市の高校と比べて、偏差値としてはそこまで高くない。


 将来。

 つまり、進学を考えれば、学力が高い高校の方が環境は良かったはず。


「あー、それは確かにそうなんだが・・・・・・。それ以上にやるべきことがあって――」

 京介は空を見上げながら、少し困った顔をする。

「やるべきこと?」

 ――とは。学生である僕らの本分は勉学である。

 それ以外に何があるのか。

「やるべきことは、やるべきことだよ」

「はあ・・・・・・」

 そりゃそうなんだろうけど。

 僕はそれが何なのかを聞いているんだよ、京介。

 健斗は少し呆れた顔で頷いた。


 初めから、使命の様なやるべきことなど僕らには無いのだ。


「まあまあ、健斗。いつか、お前にも来るさ」

 煽る訳でも無く、命令する訳でも無い。

 まるで、何かを諭す様なその言い方。

「やるべきことかー」

 健斗も京介を真似るように空を見上げた。


 今の自分がやるべきこと。

 今の自分が出来ること――。


 考えても、実感が湧かない。

 意識しても、浮かばない。


 何せ、僕が誰かと違って出来ることなんて、特段無いのだから。

 他人に出来ないことは、僕も出来ない。

 ――当然のことだろう。


「近い将来な」

 すると、京介は見上げる健斗の隣でそう呟いた。

「近い将来?」

 将来と言う言葉に、近いと言う言葉。月日の距離感がわからなかった。

「まあ、そんな感じだよ」

 京介は微笑み、そう言って先に進んで行った。



 ―――


 

 健斗の自宅。

 リビング。


「――どう言うことだよ、母さん」

 家に帰るなり、健斗は台所に向かおうとしていた母の沙織に言う。

「え・・・・・・? だって、言ったら嫌がるじゃん?」

 沙織は不思議そうな顔で首を傾げた。

 健斗の母である沙織と、京介の母である詩織は双子であり、詩織が姉である。

「そりゃ、そうだけどさ・・・・・・。先に言ってよ・・・・・・」

 健斗は戸惑う様に眉間にしわを寄せ、小さきため息をついた。

 少しでも心構えをしていたら、こんな気持ちにはなっていなかったはず。

「姉からよろしくと言われたら、妹の私は断れないのですよ――息子くん」

 沙織は無言で首を横に振るい、困った顔で小さく頷く。。


 ロングヘアーで小柄の童顔な容姿。

 自分の母親には見えないほど、若々しく愛らしい雰囲気を出していた。


 そして、左手に持っていたエプロンを着け、張り切った顔で台所に立つ。


「はあ・・・・・・」

 今日も不思議とその愛らしい雰囲気に負けてしまう。

 どうしてだろう。この人は何年経っても、容姿が変わらない様に見える。

「沙織さん、お久しぶりです」

 健斗の後ろにいた京介は、台所に立つ沙織向けて頭を下げた。

「あー、京ちゃんー。大きくなったねー。あ、送られてきた荷物は部屋に置いてあるからねー」

 早口で沙織はそう言って恭介の肩をたたくと、再びリビングへ戻って行った。

「・・・・・・相変わらず、見た目は似ているのに母とは性格が全然違いますね」

 京介は沙織を見つめて、嬉しそうに言った。


 確かに、この姉妹は髪型以外、見た目は一緒。

 おっとりの沙織に対し、京介の母親の詩織はさばさばしていた気がする。


「そりゃ、健斗と京介が幼稚園の頃まで、一緒に育ってきても性格が違うのと一緒―。同じ環境で育っても、必ず同じ性格になるとは限らないのよー? まあ、血の繋がりとかもあるかもしれないけどねー」

 呑気な顔でそう言うと、沙織は台所へ戻った。


 幼稚園の頃まで一緒――って。


「えっ、幼稚園まで京介と一緒だったの?」

 沙織の言葉に健斗は慌てて聞き返す。初めて聞く話だ。

「うん。この家で暮らしていたのよ? あれ、言わなかったっけ?」

 沙織は、なんで知らないの、そう言いたげな顔を健斗に向ける。

「ええぇ・・・・・・。本当にこの人は大事なことは伝えないんだから・・・・・・」

 健斗は唖然とした顔で、眺める様に沙織を見つめた。

 でも、不思議と許してしまう。

 やっぱり、母親だからなんだろうか。

「まあ、俺にとっては第二の家みたいなもんだからな」

 何食わぬ顔で京介は吸い込まれる様な足取りで台所へ向かって行く。

 呆れながらも台所へ向かうと、京介は沙織が作った串カツをつまんでいた。


 客観的に見ると、彼氏に手料理を振る舞う彼女。

 ――母と従兄弟なんだけどな。


「なんでそんなに馴染んでいるんだよ・・・・・・」

 健斗はその光景を見て、疲れた様にため息をついた。


 帰宅してまだ十分。

 しかし、どうしてか京介の存在に違和感が無い。


 こうして、従兄弟との日々が始まった。



 京介が来た翌日。


 健斗、京介、美咲の三人が登校中、駅前で桜と会った。


「おはよう。京介ー」

 桜は京介の顔を見るなり、明るい顔で京介に挨拶をする。

「おはよう、桜」

 京介は微笑むと、桜と二人で話し始める。

 会って二日目の会話とは思えないほど、慣れ親しんだ雰囲気があった。

「桜ね。白鳥くんと話したいから、一緒に登校したいって」

 健斗の隣で美咲は落ち着いた声でそう言った。

「え、そうなの?」

 意外なことで健斗は口を半開きにして驚く。

「桜が自分から男の人に話しかけるなんて珍しいよ」

「・・・・・・そう言われてみれば、そうだね」

 健斗は美咲の言葉に同意する様に頷きながらそう言った。


 普段、桜は美咲か女友達としか話さない。

 そのため、健斗も桜が男子と話している姿を見たことが無かった。


 そう考えると桜にとって京介は、他の人とは違う存在なのだろう。


 容姿の良い二人が並ぶ、その光景に健斗はふと幸せを感じた。


 幼馴染と。友達と。

 こうやって毎日、他愛もない会話をして。


 人から見たら当たり前の様に見える日々。

 平凡の様なこの日々が続けばいいと、健斗は願った。


 そんな時だった――。


 激震。突然、轟音と共に地面が大きく揺れ始めた。


 揺れと共に自身の足も揺れている。

 思う様に足を動かせなかった。


「――地震か?」


 数秒後。

 健斗はこれが地震に近いものであることを理解した。


 地震ならば、ビルの近くにいるのは危険だ。

 健斗は慌てて美咲の手を取り、近くの木に移動しようとする。


 咄嗟。

 健斗は何も考えず、ただ行動を起こしていた。


「きゃっ!?」

 美咲の手を取ると同時、桜の叫び声が聞こえた。


 慌てて振り向くと、京介と桜がいる地面が爆発した様に盛り上がっている。

 やがて、その盛り上がりは勢い良く京介たちを跳ね上げた。


「京介!」

 健斗は京介たちを呼び止める様に叫ぶ。


 跳ね上げた拍子に発生した砂煙とアスファルトの破片。

 それらに囲まれ、やがて二人は影すらも見えなくなった。


 二人の影を探す中、地面の砂煙に動物の様な大きな影を見つける。


 大きな影――。

 外形からして、人では無い。

 目の前にいる人では無い、何か。


「えっ――?」


 急降下。

 それほどの速さで、健斗の血の気が一気に引いていく。


 具体的なことはわからない。

 でも、現状が普通では無いことだけはわかった。


「――美咲、逃げよう」

 訳もわからないまま健斗は小さく息を吐き、決心した顔で言う。



 この場から遠く遠く、安心だと思える様な場所まで。

 それが今の健斗が出来る最善の策だった。


「えっ。でも、桜たちが・・・・・・」

 健斗の引く手を不安そうな顔の美咲が拒む。


 美咲のその顔は現状を把握できず、ただ友達の心配をしている様子だった。

 その足は恐怖を感じ、小刻みに震え動けなくなっている。


「なら――。せめて、あの木まで逃げよう? ここじゃ、危ない」

 健斗は自身を落ち着かせる様に深呼吸して、ゆっくりと美咲にそう言った。


 足元にアスファルト片が飛び交う場所に居続ければ、次は何が来るかわからない。 

 健斗は震える美咲を担いでそのまま走った。


 あの五十メートル離れたあの木まで行けば、

 何かあっても逃げられるかもしれない。


 確証は無かった。

 それでも健斗はただ、それだけを考えてひたすら走る。


 残り数メートルになる頃、突然健斗の前方の地面が盛り上がった。


「まじかよっ!」

 京介たちを襲ったのと同じかもしれない。

 健斗はすぐさま足を止め、美咲を下ろした。


 すると、地面から出てきたのは、軽自動車と同じくらいの動物だった。


「なんだ・・・・・・?」

 健斗は立ち止まり、まじまじとその動物を見つめる。


 黒と紫が相互に交じる毛の生えた狼。

 その下奥歯は上へと延びていて、その間から涎を垂らしながら、

 小さく唸り声をあげて健斗たちを見つめている。


 前爪に付着した血。

 それに気づいた健斗は、ゆっくりと目を見開いた。


 京介たちの――か。

 そう考えると、僕たちが全力で逃げても逃げきれないだろう。


 健斗は必然的に、諦めがついた気持ちになった。


 そうだ。

 きっと、あの前爪を背中で食らうのがオチだろう。

 その光景は容易に想像がついた。


 健斗は小さくため息をつく。


 ――だが、僕は諦める訳にはいかなかった。


「考えろ――」

 あの狼を前にして、自身の気持ちを落ち着かせる様に大きく息を吐いた。


 どうすれば――。

 どうすれば、美咲は助かるんだ。

 健斗は思考の全てを用いて、考え始める。


 せめて、僕は逃げられないとしても、彼女だけは――。

 僕が狼に襲われている間なら、彼女は逃げられるだろうか。


 何の力も無い僕が出来ること。

 今の僕が出来ることは、それしか――無い。


 この身で大切な者を守ることが出来るなら――本望だ。


 健斗は狼に向け、一歩踏み出す。


 その瞬間、空より出現する一槍。

 その一槍は、狼の目の前に勢い良く突き刺さった。


 まるで、僕の投身行為を止める様に。

 健斗は驚き、反射的に踏み出した足を止めた。


 地面に突き刺さるその衝撃。

 押し寄せる爆風が健斗たちを襲った。


 いったい、何が起こったと言うのか。

 意味がわからぬまま、呆然と槍を見つめていた。


「大丈夫ですかっ!?」

 地上に映る多くの影。その声と共に、武器を持った集団が空から降ってきた。


 一息つくこと無く、彼らは一目散に狼へと向かって行く。


 狼へと向かう人々。

 その光景を前に健斗はただ呆然と立ち尽くしていた。


 呆然とした意識の中、思い出す。

 この集団は、まさか――。


「魔法騎士?」

 健斗は何かに気づいた様に呟いた。


 魔法騎士(ウィザード)

 魔法都市が設立した特別に戦うことを許された組織集団。


 公共組織。

 つまりは味方なのだ。


「はい。僕らは魔法騎士です。ここは我らに任せて、あなたたちは逃げてください」


 健斗より少し年上の男は覇気のある声で告げると、

 地面へ突き刺さる槍を勢い良く抜いた。


 槍の刃先が纏う灰色の魔力。

 風属性の魔力だった。


 日常的には、冷暖房の送風にも使われたりする風属性。

 自然魔力の一つだった。


「・・・・・・はい。わかりました」

 痛感する現実。

 健斗は魔法騎士へ向け、静かに頭を下げた。


 助かった――にも関わらず、健斗の中でもやもやした気持ちがある。


「美咲、行こう」

 健斗は左手で震える美咲の右手を掴んだ。


 このもやもやなんて知るか。

 今はこの場から逃げることだけ考えろ。


 いったい、今の僕に何が出来ると言うのか。


 ――自覚しろ、この現実を。


 思考よりも先に行動を――。

 今は考えている時間さえも惜しかった。


 立ち止まれば、死ぬ。

 走り進めば、生きる。


 僕らがいるのは、紛れもなく生死を分ける境界線なのだ。


「うん・・・・・・」

 覇気の無い返事をして、美咲は魔法騎士の方を心配そうに見つめる。


 こうして、二人は再び歩き出した。

 後ろを振り向かず、ただひたすらに走る。


 振り向いてはいけない――決して。

 逃げる僕に振り向く権利など無いのだ。

 振り向くくらいなら、最初から逃げなければいい。


 健斗は瞼を強く閉じて、自分の非力さを恨んだ。


 走る中、魔法騎士の悲鳴が聞こえた。


 苦痛に耐える様な。

 聞くだけでも、心が締め付けられる声。


 その瞬間、健斗の足はピタッと止まった。


 

 魔法騎士の悲鳴。

 空耳では無い。

 確かにさっきの魔法騎士の声だ。

 

 それにどうしてか。

 どうして、僕の足は急に止まったのか。

 

 悲鳴に驚いたか。

 いや、違う――心が止まれと言ったのだ。


「どうしたの健斗?」

 立ち止まった健斗を心配そうに美咲が見つめる。

「いや、そうだ――。僕なんか行ったって」

 どうすることも出来ないだろう。

 首を横に振り、健斗は自分に言い聞かせた。


 冷静に考えろ。

 立ち止まる必要は無い。


 力の無い僕は、ただ逃げればいい。

 別に僕は戦いたくない。争いたくもない。


 普通の日々、平凡な日々が自分にあればそれでいい。

 僕はそれだけを願い、生きてきたはずだ。


《生きてきた――はずだった》


 ――そう。生きてきたはずだったのだ。


 健斗はその違和感に気づく。


 そうだ。

 今の僕が思っているのは、それらだけでは無い。


 気がつくと健斗は振り向き、魔法騎士の方へと走っていた。


「健斗!?」

 裏返った様な声で驚く美咲の声。

 その声がだんだん遠くなって行く。


 どうしてだろう。

 自分でもわからない。

 でも、行かなければならない、そんな気持ちが込み上げていた。


 間違いなくこの気持ちが、今の僕の足を突き動かしている。


 この両手も、この両足も。

 さっきまで震えていたはずなのに。

 不思議と今は震えていなかった。

 僕の身体はしっかりと動いている。


 さっきまでいた場所へ戻ると、血だらけの魔法騎士たちがいた。


「なんだよ・・・こいつら、一匹じゃなかったのか・・・・・・っ!」

 血だらけの左手を右手で庇いながら、さっきの魔法騎士は息を荒くしていた。


 彼らの前にいたのは、五匹の狼――野獣。

 魔法騎士の何人かはその場に倒れている。


 驚愕。絶望的な状況。

 どうして来てしまったのだろうか。

 健斗はすぐさま後悔した。


 ここで全員――死ぬ。

 そんな未来の光景が健斗の脳裏に過った。


 野獣の攻撃により、男の槍は吹き飛ばされ、男はその場に倒れる。


 武器も無い男の前に躊躇なく、野獣の前爪が振りかざされた。


 今まさに、あの人は僕の目の前で死ぬ。

 健斗は咄嗟に目を閉じた。


 その時だった――。

 

 空間を割く様な音を立て、突如舞い降りた白い斬撃。


 白い斬撃は、勢い良く野獣に向かって行くと、野獣の前足に直撃した。


 野獣の前足は吹き飛ばされた様に、

 倒れた男の頭上を通り過ぎ、健斗の前にごろんと転がった。

 

 野獣の前足の肉、骨、血管の断面が生々しく健斗の目に焼き付く。


 そして、白いコートを着た男が地上へ降りて来た。


 落ちる様には見えなかった。

 浮遊した状態から、ゆっくりと降下して行く感じ。


 彼は健斗たちの前でその刀を構え、ゆっくりと振り向いた。


「――大丈夫か。従兄弟よ」


 彼――白鳥京介は確かにそう言った。


「京介・・・・・・?」

 目の前にいるのは、紛れも無い白鳥京介、本人。


 健斗は生きていた京介をまじまじと見つめていた。


 特に目立った外傷は無い様に見える。

 健斗はひとまず安心した。


 京介の右手には白き日本刀が握られ、

 左腰には黒き日本刀を差している。


 どうして戦う様な格好なのか。

 まるで、その姿は魔法騎士だ。


「まあ――再会を喜んでいる暇は無さそうだな」

 京介はそう言って周囲を見渡すと、野獣の前足へ躊躇無く白き日本刀を振りかざした。


 何の抵抗も無く野獣の前足は切断され、

 自立出来なくなった野獣はその場に座り込む。


 京介は驚くことも無く、何も言わずに野獣の首を斬りかかった。


 しかし、残りの野獣が一斉に攻撃を仕掛け、京介は逃げる様に後退する。


「さすがに他の人間を巻き込まず、こいつらやるのは苦労がいるな・・・・・・」

 京介は準備体操の様に首を回すと、ため息交じりに言う。

 どこかその様子は、場慣れした雰囲気があった。

「なあ、京介」

 何度も深呼吸をして、ようやく落ち着いた健斗は京介に声を掛ける。

 状況は理解出来ないが、とりあえず京介が無事なことはわかった。

「ん? どうした?」

 慌てること無く、何食わぬ顔で京介は言う。


 普段と変わらない様な雰囲気。

 一瞬、健斗は現実を忘れてしまった。


「いったい、どうなってるん――」

 健斗が聞こうとすると、二人の間に野獣の前爪が振りかざされる。


 数センチずれていれば、間違えなく健斗に当たっていた。

 その事実に健斗の顔は次第に青ざめていく。


 京介は軽快な足取りで半歩下がった後、刀を振り上げて野獣の前足を切断した。


「健斗、すまん――。お前は守れない」

 京介は申し訳なさそうな顔で健斗に言う。

 その背後で野獣の鮮血が放射線状に噴き出していた。


 僕は守れない。

 彼の言葉の裏を返す。


 つまり、僕は――なのだ。


「えっ・・・・・・。なら――」

 せめて、美咲だけは守ってくれ。

 健斗は反論の様にそう言おうと顔を上げる。


「ん――? 力が欲しいか? なら――くれてやる」

 京介は左腰に差していた黒き日本刀を健斗に投げた。


 宙を舞う黒き日本刀。

 健斗は訳もわからず、慌てて受け取った。


「力って――これは?」

 持ち手を変え、健斗はゆっくりとそれを手元にもってくる。


 やはり、それは黒き日本刀。

 不思議な雰囲気を纏っていた。


「力だよ」

 野獣の攻撃を避けながら、京介は不敵な笑みを浮かべる。


「――力」

 人が刀を持つと――力。

 その意味をしみじみと考えた。


 健斗は黒き日本刀を見つめ、その言葉の意味を理解する。


 これは紛れもない刀。

 刀と同時に、これは――力なのだ。


「それは魔剣〈黒椿(くろつばき)〉、俺の聖剣〈白椿(しろつばき)〉と並ぶ名刀だよ」

 京介は真剣な眼差しだった。


 魔剣〈黒椿〉。

 それがこの黒き日本刀の名。


「でも、これは――」

 京介の武器じゃないか。

 健斗はそう言おうとした。


 それに僕がこの刀を持ったとして、何が出来ると言うのか。

 ただ振ってあの野獣と戦えば良いのか。


 ――それだけでも、美咲が逃げられる隙は作れるか。


「――いや、これは元はと言えば、俺のじゃないから。まあ――使えよ」

 俺の武器はこれだけだから。

 京介は白き日本刀を指差してそう言った。

「でも・・・・・・」

 健斗は黒椿を抱え、戸惑っていた。


 この力を使えるのだろうか――。

 武器であり、凶器でもあるこの力を。


 すると、戸惑う健斗に京介は鋭い視線を向けた。


「――選べ。死の運命に従うか、戦う運命に抗うか」


 冷静で覇気のある声。

 まるで、選択肢を叩きつける様な口調。


「えっ・・・・・・?」

 京介から告げられる選択。

 健斗は呆然としていた。


 いったいどうして、その選択肢が生まれたのか。

 健斗はそう考えたが、今が戦場であることを思い出す。


 一刻の猶予も争う事態。

 無論、僕に悩む時間など、初めから無かったのだ。


「ここで果てるのか、戦うのか。それはお前自身で決めることだ。今のお前にはそれを決めるための力がある。――選択出来る力がある」

 呆然とする健斗に、京介はゆっくりと説明した。


 果てる。

 僕らは野獣に襲われて――死ぬ。

 京介が言いたいことは、そう言うことだろう。


「自分自身・・・・・・」

 健斗は黒椿を見つめ、考えた。自身の答えを。

 考え込む健斗に京介は何も言わず、野獣の方へ向かって行った。


 そんな時だった――。


「健斗・・・・・・っ」

 美咲の声にならない悲鳴。

 有りもしないはずのその声。


 幻聴か――。

 健斗が慌てて振り向くと、美咲の姿があった。


 なぜ美咲も戻って来たのか。

 考えたが、それよりも優先すべきことが多々ある。


 野獣の存在。

 しかも、彼女の前には、二匹の野獣がいたのだ。


 野獣は睨みながら唸り声を上げ、ゆっくりと美咲に近づいていく。


 美咲は恐怖のあまり、その場に座り込んでしまっていたのだ。


「美咲!」

 戸惑っているうちに、野獣の一匹が美咲に牙を向けた。


 刹那。 

 健斗は理解する。彼女が野獣に襲われることに。

 

 彼女を助けたい。

 助けなければならない。


 僕のこの命に代えても――。

 急激にその感情が込み上げた。


 今の僕が出来る最善を彼女のために――。


 追い風に背中を押される感覚。

 健斗の中で何かが変わった。


 健斗は覚悟を決め、野獣向け全力で走った。

 

 ――戦う運命に抗う覚悟を。


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