第8話過去を許すとか許されるとか

元恋人とは一般的に言えば、なんてことのない存在だろう。

たまに、

「あんなこともあったなぁ」

なんて過去を思い出して感傷に浸るぐらいだ。

しかしながら僕にとっての煌梨はただの元恋人ではない。

心の奥底から恋をしてしまいトラブルの果にトラウマを植え付けられた僕にとっては大きな存在。

いつまで経っても過去を忘れられない僕は情けない男かもしれない。

だけど煌梨のことを簡単に許せることはできなさそうだ。

だが、もしかしたら…そろそろそこからも解放されるかもしれない。

僕は過去を忘れて煌梨を許せるかもしれない。

そんなことを思うと少しだけ寂しいような嬉しいような複雑な気分だった。

それでも僕はそろそろ一歩を踏み出さなければならない。

そうでもしないと新たな恋も出来ないだろう。

複雑な心境のまま仕事をこなす日々が続いていた。

「中島くん…」

頭と心の中で葛藤が続いているとそれを遮るように突然声が聞こえてくる。

そちらに顔を向けると久我が僕を見下ろしていた。

「あっ…。ごめん。考え事してた。なに?」

久我に問い返すと彼女は何でも無いように口を開く。

「お昼行かない?」

その言葉で時計を確認すると昼休憩の時間が訪れていた。

「うん。行こう行こう」

一度作業を中断すると僕らは揃って会社の外に出る。

そのまま近くの食堂で昼食を済ませると再び仕事に向かうことになるのだが…。

「また休日に遊びに行っても良い?」

昼食を終えると久我は僕に問いかけてきて、それにどうしようもなく頷く。

「良かった。ありがとう。じゃあまた後で連絡するね」

久我はそれだけ言うとデスクに戻っていき僕らは仕事を再開するのであった。


仕事を終えると久我から連絡が届く。

「土曜日の昼過ぎに行くね」

それに了承の返事をすると帰路に就く。

いつもの帰り道。

いつもの時間。

普段どおりの日常を壊すのはいつだって彼女だった。

「佐一」

その声を聞いて僕はうんざりする。

「もう関わらないでくれって言ったよね?」

我修院煌梨に向けて口を開くと彼女は唐突に深く頭を下げた。

「ごめんなさい。許してもらえるとは思えないけど…あの頃のこと謝らせてほしい。また仲良くして…なんて言えないけど…良かったら普通に接してほしいな」

その言葉で僕の過去は少しだけ洗い流されたような気がしてくる。

当事者に謝罪をされると不思議と心は救われたような気がしてくる。

その謝罪を受け入れることは難しくない。

許さないことは誰にだって出来るし簡単だ。

だが許すことで僕は前に進めるだろう。

それなので僕は煌梨の謝罪を受けれることを決める。

一つ頷くと口を開く。

「わかった。わかったから頭を上げてほしい。過去のことは水に流すよ。だからこれからは顔見知りぐらいに接してくれたらそれでいいよ」

それだけ口にして前に進むと煌梨は僕の方に近づいてくる。

「ありがとうね。他の皆は許してくれなかった…。やっぱり佐一は特別だね」

その言葉を耳にして僕はもう騙されないと首を左右に振る。

「煌梨の特別になったことなんて一度もないよ。僕はどこまでいっても普通の僕でしか無いよ」

「そんなことは…」

煌梨の言葉を完全に否定するとそれ以上は何も言わずに帰宅するのであった。


帰宅するとシャワーを浴びてからリビングに向かう。

冷蔵庫の中から缶ビールを取り出すと手っ取り早く一気に飲み干して酔いに身を任せた。

そのまま何もかもを忘れ去るようにソファに寝転がると程よい酔に身を任せて眠りにつく。

目を覚ました時、少しだけ気分が晴れやかだったのが不思議だったが…。

過去を許すとか過去に許されるとか…。

そういうことを経験するとステージが上がったような錯覚にも似た感情を抱くのだと感じた有意義な一日だった。

そしてまた僕の日常は動き出す。

ここからも激動な日々を送るのだろうと感じながら…。

日々に身を任せるのであった。

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