第六十九話 最期の一撃

「一瞬で終わらせてくれる!」


 叫んでサーレイが、強く、床を蹴る──その乾いた音を皆が聴くよりはやく、彼はロンに肉薄し、神速の剣を振り下ろす。

 イグニア最強の名は、伊達ではない。

 その剣閃は刹那、光すら置き去りにしたかとおもわせる疾さ。

 

 しかし、外れる。

 ロンは、ほとんど床に倒れ込むような恰好でどうにか刃を躱している。


(巧く避けたものだが、これで終わりだっ)


 サーレイは大きく体勢を崩したロンを横目でみて嗤い、鋭く追撃を加える。

 無防備な脇腹を狙った、横薙ぎの一閃。

 初撃よりもさらに疾い。


(もらった──!)


 サーレイは勝利を確信したが──これも躱される。

 確実に捉えたと思ったロンの身体は、いつのまにか間合いの外。 

 必殺のはずの剣は、相手の血染めのシャツを細く裂いたのみだ。


「く……ぅ!」


 九死に一生を得たロンは、いまだ反撃に出る素振りをみせず、肩で息をしながらひどく重そうに剣を構えている。


(──何故だっ)


 サーレイにはこの状況が理解できない。


(私のほうが遥かに疾いのに、何故、躱される? 片脚しか使えぬ奴はもはや走ることはおろか、まともに歩くことさえ不可能。それなのに、なぜ一太刀浴びせることも出来んのだっ!)


 憤怒にまかせて猛然と剣を振るい続けるが、そのすべてが、まさしく紙一重で躱されてゆく。

 すでに満身創痍のロンの動きは事実、サーレイより数段遅い。

 しかし当たらない。

 素人目には、これがただの演武であり、サーレイがわざと攻撃を外しているようにさえみえただろう。

 そして──、


(まさか……読み切られているというのかっ!?)


 ついにサーレイも、驚愕の事実を認めるに至る。


(嬲られている間、奴はけして私から眼を逸らさなかった。あの時、私の体技だけでなく剣技までも見切ったというのか。磨き抜いた私の剣のすべてを……!)


 イグニアの若き族長は、誇りを打ち砕かれ、絶望へと叩き落された。

 しかし一方で、ロンもその実かなり追い詰められている。


(血を失いすぎたな……。《時神の慧眼クロノス・アイズ》も、そろそろ限界だ……)


 極限の集中を要する奥義だ。残り僅かな体力がみるみる削られていく。

 過度の流血で、すでに四肢が末端から冷たくなりはじめている。

 次第に白く薄れゆく意識の中、虚ろな眼で、手にした鋼の剣を見つめる。


(──今なら、わかる)


 なぜ、自分が生き残ったのか。

 なぜ、自分だけが生かされたのか。


(すべては、この日のため……)


 ひどく懐かしい顔の英霊たちが、微笑んで頷きながら肩に手を置いてくれる。

 彼らと、少女たちの澄んだ眼差しが、最期の命の灯を赤々と燃えあがらせる。

 

(あの子たちを……、この世界の未来を、この手で守り抜くためだ!)


「くたばれ、死にぞこないがぁああっ!」


 半狂乱になったサーレイが絶叫しつつ力任せに剣を振り下ろした時──。

 信じられぬことが起こった。


 ──ガ、ギィインッ!


 ロンが左手のみで振るった剣が、魔族の渾身の刃を受け止め、弾き返したのだ。


「なっ、んだと……っ!」


 無様に仰け反ったサーレイは、目を見開いて恐怖にわななき、おろおろと後退る。

 受けた衝撃で全身からさらに大量の血を噴きだしたロンは、それにかまわず、折れた片脚を引きずりながら一歩一歩、前へ出る。


「俺の弟子に手を出したのが間違いだ、サーレイ。覚悟しろ」

「うぅ……ぐ……っ」


 サーレイはもはや攻撃に出ることができない。

 ひたすら守りを固めながら、さらに間合いの外へ外へと逃げ続ける。


(落ち着け落ち着け落ち着けっ! 私には、指輪がある。そうだ。たかが人間の、それも瀕死の男の剣など、恐るるに足らん。そうだ。この私が奴を恐れる必要など微塵もない!)


 必死に恐怖を振り払い、どうにか攻撃の構えをとる。


(私は、ここで勇者ロン・アルクワーズを葬り、ヴァロウグをも超える最強の魔王となる! この剣でなっ!)


 美貌を憤怒と恐怖に歪めたサーレイが、闘気の怒濤を纏い、跳躍する。


「死ねぇええええっ!!!」


 それは追い詰められた野獣の如き、理を捨てた決死の突撃。

 彼も悟っている。結果がどうなろうと、これが最後の一撃になると。

 

 ロンが、静かに剣を振りあげる。


(もう一度だけ、この俺に力を貸してくれ──)


 魔力の宿らぬはずの鋼の剣が、刹那、白亜の烈光を放つ。


「《天神世断ウラノス・ブレイク》」


 呟いて、白刃を振り下ろした。

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