第四十七話 マキシアの騎士

 少女の予想通りの反応に、ロンはすぐに首を横に振る。


「だめだ、アラナ。気持ちはわかるが、許可できない。君ひとりがベイエルへいったところでどうにもならないだろう。騎士団にまかせろ」

「嫌です」


 アラナは、ロンを真直ぐに見つめて答えた。


「わたしにベイエルを守れるだけの力がないことはわかっています。ですが、この身を賭して民の命をただひとつでも救うことができるのなら……その可能性がわずかでもあるのなら、わたしは行きます。わたしは、マキシアの騎士ですから」

「…………」


 少女の強い決意を宿した瞳と、その身に纏った凄烈な闘気をみれば、もはや止めても無駄なことは明らかだった。


(マキシアの騎士、か……)


 ロンの脳裏に、過去の悲劇が生々しく甦る。


 マキシア王国騎士──それは、この世界の自由と正義の体現者。

 どんな強大な敵にも臆することなく立ち向かう気高き勇士達。

 すべてのマキシア国民の誇りであり、希望そのもの。


 王国騎士は、たった一人の民を救うために百人が迷わずその身を犠牲にするといわれているが、それはけして比喩でも誇張でもない。

 ロンは五年前、騎士たちが戦地で逃げ遅れたわずかな民を救うため敵陣へ無謀な突撃を敢行し、無数の命を散らしていった様をその眼で見ている。


 アラナもいま、みずからの意志で彼らと同じ運命を辿ろうとしているのだ。


「いやはや、さすがですねえ」


 ウェンは満足そうに目を細め、芝居がかった仕草で拍手した。


「王国騎士の崇高な自己犠牲の精神はいまも健在、このようなうら若き乙女の胸にもしっかりと受け継がれている……。今夜わざわざここまでやって来た甲斐がありましたよ」

「……っ」


 ロンはウェンに対する烈しい怒りをどうにか抑えて、慎重に口を開いた。


「アラナ……俺は行かない。君は死ぬぞ、まちがいなく」

「…………わかっています」


 アラナは、ロンを見つめる瞳にほんの一瞬、失望の色をみせたあと、はっきりといった。


「もはや勇者ではないあなたに頼るつもりなど、微塵もありません。あなたは、とうの昔に引退した身。これからもここで安穏に、無為に暮らしていればいい。いまのあなたには、それがお似合いです」

「アラナ──」

「ですが、わたしはあなたとはちがいます。力はなくとも、誇りはあります。正義があります。ひとりでもわたしは行きます。短い間でしたがお世話になりました」


 言い切って、女騎士はさっと一礼した。


『…………』


 テーブルの少女たちは、食事の手を止めたまま、さまざまな表情で事の成り行きを見守っている。

 やがて、ロンは忌々しげに口を歪めて、吐き捨てた。


「俺は、ここで君たちの子守を引き受けたわけじゃない。どうしても行くというなら、勝手にしろ」

「はい。そうします」


 キッパリといったアラナは、次いで、この数か月間を共に暮らした仲間たちの顔をひとつひとつ見つめながら、微笑んだ。


「さようなら。みんな、元気で」

「バイバーイ♪ アンタも元気でねぇ」


 エロウラだけが呑気に笑いながらグラスを掲げてみせる。

 それを見て、アラナはまたすこし笑い──、その後はもう何もいわずに歩きだし、足早に食堂を出ていった。

 そばを通り過ぎる時、ロンもアラナももう互いを見てはいなかった。


「本当に、追わないつもりですか?」


 ウェンが拍子抜けしたような顔で言うと、ロンはふんと鼻を鳴らした。


「さっきも言ったが、俺は子守を引き受けたわけじゃない。勝手に死にに行く馬鹿は、勝手に死なせるだけだ」

「オイ、本気かよッ!?」


 信じられないという顔で問うオリガに、ロンはあっさり頷いてみせる。


「ああ、本気だ。俺の決定に文句があるヤツは、今すぐここを出ていってくれてかまわない」

『…………』


 少女たちが言葉を失うと、ロンは隣にたつ男に冷えきった憎悪の眼差しを向けた。


「つまらないことをしてくれたな」

「これはまた、心外ですねえ。アラナさんは、この僕に深く感謝していると思いますが」


 ウェンは、いつもの白々しさで愛嬌のある困り顔をつくってみせる。


「それに、この事態を招いたのは他でもない、アルクワーズさん。あなたが、あの日の僕の警告を無視したりしなければ、こんなことにはならなかった」

「……っ」


 ロンは、咄嗟に何も言い返すことができなかった。

 ウェンの言葉は、おそらく事実だったからだ。


 ロンが必要な手段を講じていれば、今回の侵攻を未然に防げた可能性は、ある。

 アンヴァドールも含めて、各国の指導者たちは、彼の言葉になら耳を傾ける。

 

 ロンがふたたび剣を握り、この世界の守護者として在ることを宣言すれば、それだけで戦争の大きな抑止力となる。

 アンヴァドールの諸氏族も、どうにかして今回のイグニアの無謀な企てを止めようとしたかもしれない。

 

 ロン・アルクワーズが、いまも勇者でありさえすれば────。


「……お前の目的は、何だ?」


 ロンが虚ろに響く声で問うと、ウェンはまた肩をすくめた。


「目的? そんなものはありませんよ。僕はただ、アラナさんが知りたいであろう情報を彼女に伝えにきただけ。両国の友好の印としてです。それ以上でもそれ以下でもありません」


 暖簾のれんに腕押し。

 ウェンは政治家だ。その気になれば二時間でも三時間でも、ここで一切中身のない問答を続けることができるだろう。

 そんなものに付き合うのは、それこそ時間の無駄というものだ。


「…………帰れ」


 ロンが視線を逸らしていうと、ウェンは頷いた。


「ええ帰ります。僕もこう見えても忙しいので」


 それからロンは、テーブルの少女たちに昏い眼差しを向けた。


「話は終わりだ。俺はもう寝る。今夜は誰も部屋に来るなよ」

『…………』


 少女たちが何かを言う前に、ロンは彼女たちにさっと背を向け、ひとりで自分の部屋へと引き揚げていった。

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