第四十六話 凶報

「ウェン・べリアレイズ……ッ」


 振り向いたロンは、予期せぬ訪問客を睨みつけ、すぐに己の怒りの矛先をそちらに向ける──これを、世間一般では八つ当たりという。


「他人の家に勝手に入って来るな。ノックしろノック!」

「守衛も執事もいないのに、ノックしたって誰にも聞こえないでしょう」


 いつも通り、純白のローブ姿の元老院議員は、にこやかに肩をすくめる。


「じゃあ、せめてアポとれアポ。俺はこう見えても忙しいんだ」

「次からは取りますよ。今日はご勘弁ください。何しろ急ぎの用ですから」

「急ぎの用……?」

「はい。といっても、あなたにではありません。そちらの彼女にです」


 いって、ウェンはテーブルの端に座る鎧姿の少女に視線を移した。


「アラナ・エクレイアさん。今日は、あなたにお伝えしたいことがあって来ました」

「わたしに?」


 姿勢よく椅子に腰かけたアラナは、可愛らしくキョトンと首を傾げる。


「はい。時間がないので単刀直入に言いますが……、あなたの母国──

『っ!』


 ウェンがすまし顔のまま放った一言で、それまでの和やかな食堂の空気が一変した。

 

「どっ、どういうことですか! 詳しく教えてください!」


 たちまち顔色を失ったアラナは、テーブルに身を乗り出す。 

 ウェンは、ゆっくりと頷いた。


「隣国アンヴァドールによる侵攻です。かの地の魔族の一勢力──イグニア氏族が、宣戦布告もなしに突如マキシアへ侵攻を開始しました」

『……っ』


 男が淡々と伝える恐ろしい事実に、アラナと、カイリが打ちのめされる。


「イグニアが……そんな、どうして……?」


 ひどく狼狽えて視線をさ迷わせる魔族の少女をみて、ウェンは苦笑した。


「それは、僕にもわかりません。何しろ魔族の考えることですからね」


 カイリを非難するでも、慰めるでもない、ひどく冷めた口調だ。


「まあ、アンヴァドールの他氏族は今回の侵攻に加わっていないようですので、ゼーラ氏族のあなたが罪の意識を感じる必要はありませんよ。……今後、あなたの氏族に火の粉が降りかからない、とはいえませんが」

「……」


 憐れなカイリは思い詰めた表情できゅっと唇を噛み、背を丸めてちいさな体をさらにちいさくする。


「その情報は、確かなんだろうな?」


 ロンが問うと、ウェンは頷いた。


「もちろんです。でなければ、こんな夜遅くにここへお邪魔したりはしません」

「イグニア軍の規模は?」

「残念ながら、まだ調査中です。ただ、他国へ全面侵攻を仕掛けたわけですから、彼らも相応の戦力を準備しているのは間違いないでしょう」

「…………」

「どこですか……アンヴァドールは、マキシアのどこを攻撃するんですかっ!」


 アラナが、その緋色の瞳に怒りをたぎらせながら、席を立った。


「情報によれば、彼らが向かうのはベイエルです。明日の昼までにあの町は戦火に呑まれるでしょう」

「ベイエル……? なんで……」


 アラナが疑問を抱いたのはもっともだ。

 マキシア王国の北東部、山がちな辺境に半ば孤立しているベイエルは、戦略上の重要拠点ではなく、王都への進攻の足掛かりにもならない。占領しても壊滅させても、得られるものはほとんどないはずだ(それゆえに攻略は容易だろうが)。

 イグニア氏族がまず真先にそこを攻める意図がわからない。


(なにか、引っ掛かる……)


 ロンは眉を寄せ、親指で唇を掻いた。


 イグニアの目的は、何だ?

 なぜ今、マキシアへ戦争を仕掛けた?

 他種族を征服し、魔族の支配する世界をつくる──。

 五年前に果たせなかったその野望をふたたび抱いたのだとしても、イグニア氏族だけでそれを果たせる、と本気で考えているのか?


「それも、僕にはわかりません」


 ウェンは、アラナとロンを交互に見ながら、かぶりを振った。


「ただひとつ確かなことは、一刻の猶予もない、ということです。この情報はすでにマキシア王都にも伝わっているはずですが、王国騎士団がかの地へ到着するまでにはどんなに早くても二日はかかります。それまでに、一体いくつの町や村が滅ぼされることか……」


 いいつつ、わざとらしい憂いの表情で窓の外の夕闇を見つめる。


「ご存じかと思いますが、カラド王国我が国は永世中立。友好国であってもマキシアのために兵を出すことはありません。その代わりといっては何ですが、僕があなたにこの情報をお伝えしに来た、というわけです。幸い、ここからベイエルまでは峠越えで一日の距離。今すぐここを発てば、マキシア騎士団より早くかの地に到着することができますからね……」

「っ! お前っ──」


 男の思惑を知ったロンが、怒りに顔を歪めながら口を開いた時、


「ベイエルへ向かいます。今すぐ」


 アラナが凛とした、迷いない口調でいった。

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