第四十五話 ニオイを嗅いで悪いか

 悪いことなど何ひとつ起こりそうもない、穏やかな夕べ。


 食堂に満ちたあたたかな光の中で、少女たちがいつものように和やかに、にぎやかに夕食をとっていると、ロンがすこし不機嫌そうに入口から顔を覗かせた。


「おーい、カイリ。洗濯物は夕食の前に出しておけ、っていつもいってるだろ。君の下着だけ洗い場に出てないぞ」


 面倒臭そうにいうと、テーブルの端にいた魔族の少女はなぜか恥ずかしそうに俯いた。


「あ、あの……今日は自分で洗うので、大丈夫です……」

「いや、そんな遠慮いらないから。まとめて洗えば手間じゃないし」

「いえ、あの、本当に、大丈夫ですから……」

「……?」


 訳が分からないという顔で首を傾げたロンをみて、エロウラが派手にため息をつく。


「ニブいわねぇ、ロンちゃん。でショーツが汚れちゃったからオトコに見られるのは恥ずかしい、ってコトよぉ」

「アレ……? あっ」


 ロンもようやくそれに思い至り、気まずそうに視線を逸らす。


「そ、そうか。ウン。それなら、まあ……。でもカイリ、それはその、とても自然なことで、べつに恥ずかしいことじゃないんだから、全然気にしないでいいんだからな? 女性にはみんなあることだし、俺は汚いなんてちっとも思わないし……」

「そーゆーデリカシーのない発言をしちゃうトコが、ニブいっていうのよぉ」


 呆れ顔のサキュバスに同意するように、数人の少女がロンに冷たい視線を向ける。

 

「えっ、いやっ、でも俺は本当に汚いなんて思わないからっ! 汚さでいえばオリガの下着のほうがよっぽど──」


 テンパッて余計なことを言い、いきなり流れ弾を喰らったオリガが顔を真っ赤にする。


「オ、オレのはそンなに汚くねェよッ! フザケンナッ、バカ! 死ねッ!」

「あっ、いや、たしかに汚くはないんだけど、ニオイがな……。つけ置きしてもなかなか取れないんだ。やっぱり獣人の体臭は、手強くてな……。アレコレ試してはいるんだが……」

「く、クセェッていうのかよッ!? オレの、アレがッ!」


 みるみる涙目になっていくオリガを横目でみて、隣に座るキヤが彼女の肩をポンと優しく叩いた。


「オリガ、悲嘆にくれる必要はない。マスターは、オマエの体臭を嫌悪してはいない。むしろ、だ。先日、マスターが洗い場でオマエの下着を鼻にあて夢中でニオイを嗅いでいる姿を目撃したから、間違いない」

『っ!?』


 人造人間ホムンクルスの衝撃発言に全員が驚愕し、やはり数人の少女が汚物を見るような眼をロンに向ける。


「キ、キヤ! アレはちがうっ! 勘違いするな! 俺は、洗ったオリガの下着のニオイがちゃんと取れてるか確認してただけだ。だいたい、オリガのだけじゃなくて……」


 テンパりまくったロンは、また余計な口を滑らせる。


『っ!!?!』

「い、いま貴方は、使、と言いましたか……?」


 羞恥と憤怒で震えながらイルマが問うと、ロンは慌てて両手を振りながら弁解した。


「ち、ちがう! 毎日じゃないし、嗅ぐのは洗った後だ! ちゃんと汚れが落ちてるか気になった時だけっ!」

「またまたぁ。毎晩アタシのをクンクンしながらハァハァ、シコシコしてるくせにぃ♡ べつにいいけどぉ、もったいないから今度からは排水口じゃなくて、アタシのに出しなさいよぉ?」


 エロウラは、自分の口を指差しながら魅力的なウインクをしてみせる。


「ば、馬鹿いうなっ! そんなことシてないし、これからもシないっ!」

「……何と言おうと、貴方がその職権を乱用し、私達の下着を辱めていたことは事実。到底許されざる卑劣な蛮行、神に背く禁忌、極刑にも値する大罪、と言わざるを得ませんね」

「そんな、大袈裟な……」


 イルマの冷眼に一瞬怯んだロンはしかし、すぐさま反撃に出る。


「だ、だいたい、俺のやり方に文句があるなら自分たちで洗濯すればいいだろうっ! 仕事を他人に押し付けておいてそのやり方に文句をいうなんて──」

「押し付けてなどいません。ここでの共同生活がはじまった当初から、家事全般は貴方ひとりが担当する、という契約になっているはずです」

「うっ……」

「契約を一方的に破棄する、というのなら貴方が受け取った報酬を今すぐ全額返金していただきますが、よろしいですか?」

「くぅっ……」


 理詰めの口撃で窮地に立たされたロンが、脂汗を流しながら悔しげに歯噛みした時──、


「あっはっは。いやあ、ここはいつ来ても賑やかでいいですねえ」


 背後から、やや間延びした朗らかな男の声が届いた。

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