第四十八話 オマエとともにゆく
暗闇に淡い月光の差す部屋。
ロンは、その冷えた銀色の光だけを頼りに歩き、部屋の隅で埃をかぶっている大きな戸棚の前に立つ。
「……」
ひとつ息を吐いた後で、もう何年も手を触れていない扉をギイと音を立てながら開く。
「…………」
ほぼ空の戸棚の奥に掛けられているのは、鞘に納められた一本の剣。
それは、伝説の勇者が持つに相応しい、強大な魔力を秘めた聖剣──ではない。
それどころか、名のある鍛冶師の手がけた名剣ですらない。
どんな田舎の武器屋でもまず手に入る、凡庸な鉄の剣。
駆け出しの傭兵や冒険者が間に合わせで買っていく類の、ありふれた安物だ。
しかし、よく見れば、しっかりと磨き抜かれた柄や鍔にはちいさな傷が無数についていて、その剣が持ち主に長い間愛用されてきたことがわかる。
「………………」
ロンは、息をつめて全身を緊張させながら、その剣に手を伸ばした。
だが。
指先が鞘に触れるはるか手前で、伸ばした腕がぶるぶると、狂ったように震え出す。
たちまち、全身の毛穴からどっと冷たい汗が噴き出す。
胸が底から凍てついていき、体がみるみる鉛のように重くなっていく。
やがて、闇がはりついた床や天井から、無数の黒い影が湧きだす。
それらは、骨ばかりの長い腕でロンの体を縛りつけ、耳元でおぞましい呪詛の言葉を呟く。
「くっ……」
全身汗だくになったロンは、それでも渾身の力を振りしぼり、さらに手を伸ばす。
ようやく剣の鞘に指が触れた瞬間──そこから生まれた邪悪な炎で一瞬のうちに全身を灼き尽くされたように感じたが、もちろんそれは錯覚だった。
「………………くそ」
五年振りに手にした剣は、おそろしく重く、冷たかった。
────そんな状態で戦えるのか?
嘲笑う亡霊たちの《声》には、応えない。
荒い息を吐きながら額の汗を拭い、手にした剣を腰に下げる。
────お前にはもう、戦う力など残されてはいない。
《声》が聞こえるたびに気力が萎え、身体がさらに重くなっていくが、まだ、かろうじて動くことはできる。
────お前はニセモノ……罪びとだ。
亡霊たちを纏わりつかせたまま窓を開け、バルコニーに出た。
そこは三階だったが、バルコニーの端までいくと迷わず柵を跳び越え、夜の闇に落ちていく。
────お前には誰も、何も、救えない。
音も無く草地に降りたロンは、歯を喰いしばって絶望を振り払い、眼前に広がる森へ駆け出そうとした。
その時。
「やはり行くのか」
ふいに、背後から声を掛けられた。
「っ!?」
驚いて振り向いたロンは、建物の陰から月光の下に歩み出たメイド服姿の
「キヤ……どうして……?」
「簡単なことだ」
なぜかすでに帯刀している少女は、すまし顔で答えた。
「あの夜、何の義理もなく、人間ですらないこのワタシをそれでも守ると誓ったオマエが、ここでアラナを見捨てるはずがない。食堂でつまらぬ嘘をついたのは、ワタシたちを戦いに巻き込みたくなかったからだな?」
「…………」
苦く視線を逸らせたロンをみて、キヤは迷わず、力強い声でいった。
「マスター。ワタシも共にゆく」
予想したとおりの言葉に、ロンはかぶりを振って応える。
「駄目だ。これは遊びじゃない。みんなとここで待っていろ」
「断る」
キヤは、即答した。
「断る? 君は俺の忠実な僕のはずだぞ」
「ワタシはオマエの剣であり盾だとも言った。主が戦場へ赴くのなら、最期のときまでその傍で戦うのがワタシの務めだ。たとえそこが、この世の地獄であったとしてもな」
ロンは、腕を組んで少女を睨みつけた。
「キヤ。君は、生き延びるためにここへ逃れてきたはずだ。行動が矛盾してるぞ」
「矛盾してはいない。オマエを失えば、どのみちワタシも生きてはいけない。同じことだ」
いうと、キヤはロンにさらに近づき、普段は感情の読めないその大きな黒い眼を、やわらかく細めた。
「マスター。オマエは、
「キヤ……」
そう思ってくれたなら、なおさら、君には死んでほしくない。
ここで、いつまでも、みんなと共に生きてくれ──。
そんな想いを、ロンがぎこちなく口にしようとした時、
「ケッ! 考えるコトはみんな同じかよ」
城の裏手のほうからオリガと、さらにその後ろから、ウィナとカイリが姿を現した。
「お前たち……っ」
三人ともすでに武装しており、ここへやってきた目的は明らかだ。
「何がもう寝る、だバーカ。つまんねェウソつきやがって。テメェの考えなンて、コッチは全部お見通しなンだよッ!」
オリガがその豊かな胸を張って自慢げにいうと、その背後で、
「で、でも、オリガさんはさっきまで、まったく見当違いの場所で先生を待っていましたよね……?」
カイリがいつものようにおずおずと、ちっとも空気を読まない発言をした。
「ッ!? ウ、ウルセェッ! テメェはいつもひと言ヨケーなンだよッ、ヘッポコ魔族!」
「すっ、すみませんっ。でも、事実ですし──」
いきなりしょーもない口喧嘩をはじめたふたりをよそに、ウィナが草地をぴょんぴょんと可愛らしく跳ねながら近づいてきた。
「せんせぇ、アラナを助けにいくんだよねっ! ウィナもいくーっ!」
「ウィナ、だめだ、これは──」
「ダメっていっても、ダメーッ! ウィナ、もう決めたからっ!」
エルフ少女はいつものように無邪気に笑っていたが、その碧い瞳には驚くほど強い意志が宿っていた。
「アラナを助けるのは、正しいことだよね? どんなに辛くても、苦しくても、自分が正しいと思うことからは逃げちゃいけません、ってウィナのお姉ちゃんがいつもいってたもんっ!」
「わ、わたしも……ウィナさんと同じ意見です……」
カイリがやってきて、自信なさげに視線をさ迷わせながらいった。
「同じ魔族として、イグニアの凶行を見過ごすことはできません。それに……、アラナさんは、こんな愚かで醜いわたしに、いつも優しくしてくれました。こんなわたしを、仲間だと、いってくれたんです……。わたしも、あのひとが好きです。死んでほしくありません」
「まァ、そーゆーこった」
ぶらぶら歩いてきたオリガは、鋭い犬歯を剥きだして、獰猛に笑った。
「正直いって、オレはアラナのコトなンか好きでも何でもねェけどよ、アイツも仲間であることにはかわりねェからな。ウルグの獣人は、ゼッテェに仲間は見捨てねェッ!」
「オリガ──」
ロンが厳しい顔で口を開くと、
「オレたちを死なせたくねェ、とか言うつもりだろ? テメェの考えなンて全部お見通しだ、っていったはずだぜ」
オリガは、そのぶっきらぼうな言葉とは裏腹に、とても優しい声音でいった。
「お互いサマだ、ロン。オレたちも、テメェに死んでほしくねェンだ。だから、一緒にいく」
「ウン、そーだよっ! それに、ウィナたちはぜったい死なないよっ。だって、伝説の勇者サマに鍛えてもらってるんだからっ!」
「おふたりのおっしゃるとおりです、先生……。わたしたちはまだ未熟ですが、きっとお力になれるはずです。どうか、わたしたちを信じてください……」
「…………」
返す言葉がなくなったロンが、視線を落として考え込んだ、その時──、
「そろそろ秋だっていうのに、なんだか暑苦しくってやぁねぇ。とても見てらんなぁい」
「同感です」
三日月を背にして、ふたりの少女がゆっくりと夜空から舞い降りてきた。
「っ! 君たちまで……っ」
ロンは、新たに現れたサキュバスと魔女のコンビを驚きの目で見つめる。
「しかもイルマ、君も空飛べたのかっ!?」
「当然でしょう。私は魔女ですよ? 重力操作での飛翔など容易いことです」
冷めた表情で草地にたったふたりをみて、ロンは問う。
「君たちも、一緒にいくというつもりか?」
「だってぇ、みんないなくなっちゃったら、ここに残っててもツマンナイでしょぉ? 自分で家事やりたくないしぃ」
エロウラが髪をいじりながらダルそうにいうと、その隣でイルマは、いつものように眼鏡の奥の冷眼でロンを睨みつけた。
「こんなくだらないことで万一貴方に死なれでもしたら、ここで《剣聖》になるという私の計画が水の泡になってしまいますから。誠に不本意ですが、同行するより他はありません」
「あ、そんな理由ですか……」
ロンは呆れ顔でいったが、先ほどまで冷えきっていた己の胸が力強くあたためられているのを認めぬわけにはいかなかった。
纏わりついていた亡霊たちも、いつのまにか姿を消していた。
恐ろしい《声》も、もう聞こえなかった。
「これでもまだ、ひとりでいくというつもりか?」
キヤに問われたロンは、不器用なしかめ面で肩をすくめた。
「どうやら……それは無理みたいだな」
それから、彼を真直ぐ見つめる六つの顔をゆっくり見回しながら、いった。
「みんなでいこう。アラナを助けに」
「それでいい」
キヤが大きく頷くと、
「しゃアッ! いくぞオメェらッ! 遅れンじゃねェぞォッ!」
オリガが気勢をあげ、真っ先に森へと向かって駆け出した。
「勝手に仕切らないでください……」
イルマが不満げにいいつつもすぐその後に従い、ふたりを追って残りの者たちも夜の森へ勢いよく飛び込んでいった。
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