第五十二話 それは天使か死神か

 ベイエルの町から南西に約十キロ。小高い山の頂上付近にたつガウマス砦の守備を任された二十四人の兵士たちは、木がまばらに生えた山の斜面を黒い津波のように押し寄せてくるオークの大軍を目にして、絶望した。


「やはり、救援は間に合わなかったか……」

「神はオレたちを見放したのさ」

「もう終わりだ……何もかも……」


 城壁にたつ若い兵士たちが口々に暗い声で呟くと、狭い石段をのぼってきた壮年の隊長が檄を飛ばした。


「諦めるなっ! あと一日……明日の朝までここで持ちこたえれば、必ず騎士団が救援に駆けつける。それまで、何としてもここを守り抜くのだ!」

『…………』

 

 よく訓練された兵士たちは上官に反論こそしなかったものの、皆沈んだ表情で視線を逸らし、もはや士気などと呼べるものはカケラも残っていないことはあきらかだった。

 砦の中ですし詰め状態となっているベイエルの町民たちも、そんな兵士たちの姿をみて、みずからの運命を悟る。


「どうやら、駄目みたいだな、ここも……」


 町で教師をしていた柔和な顔の男が力なくいうと、年若い妻がその腕にすがりついた。


「あなた、それならもっと遠くへ逃げましょうよっ。ミラを連れて」

「もう遅い……今さらどこへも逃げられないさ」

「そんなっ……」


 打ちひしがれて、さめざめと泣きはじめた母親を、先月ようやく三歳になったばかりの娘が心配そうに見あげる。


「おかあさん、どうしてないてるの? どこか、いたいの?」

「ううん、だいじょうぶよ、ミラ……お母さんは、だいじょうぶ……」

「マーナ、ミラ……さあおいで。私たち家族は、ずっと一緒だ」

 

 深い絶望が砦を覆い尽くし、「収穫」が近いことを知った死神が邪悪な笑みを浮かべながらその黒い手を伸ばしてきた、その時──。


「なんだ、あれは……?」


 城壁の兵士のひとりが、ベイエルの町のほうから猛スピードでこちらに飛んでくるふたつの人影に気づいて、眉を寄せた。


「人間…………いや、ちがう。魔女と……サキュバス!?」

「なんだとっ」

「何者だっ!」


 まもなく、にわかに騒がしくなった砦の上空に到着したふたりの少女は、固く閉ざされた城門の前に降り立ち、間近に迫ったオークの大軍を睨みつけた。


「あーあ、ざぁーんねん。ギリギリ間に合っちゃったみたいねぇ……」


 エロウラが大袈裟に肩を落としながらいうと、城壁にたつ隊長がたまらずふたりに声をかけた。


「おっ、お前たち、何者だ!」

「答える義理はありませんね」


 片眼で城壁を見上げたイルマが、冷ややかにいう。


「貴方達はそこでそのまま大人しくしていてください。あのオークたちは、私達が始末します」

「し、始末って……何を言っている! お前たちにそんなこと出来るわけ──」


 直後──ふたりの少女の全身から、凄まじい暗黒の闘気が爆発的に放出され、砦の兵を圧倒した。


「うっ、くうっ……!」

「た、隊長殿……どうしますか……?」


 すっかり怯えきった顔の部下に問われた隊長は、反射的にぶんぶんと首を振った。


「て、手を出すな……絶対にだっ! あいつらは……、だっ!」

「泣く子もイかせる絶世の美女に向かってバケモノ、って……ヒドいわねぇ。あとで搾り殺しちゃおうかしらぁ」


 顔をしかめたエロウラは、ついに矢の届く距離まで近づいたオークの大軍団を見やって、うんざりしたように鼻を鳴らす。


「ヒドいといえば、ロンちゃんもよねぇ……。あそこであんな風にいわれたら、こっちが断れるワケないじゃないねぇ?」

「ふっ。敵を眼前にして怖気づいたのですか?」


 隣にたつイルマは、細い腕を組んで小馬鹿にしたようにいう。


「今からでも遅くはありません。その無駄に長い尻尾をくるくる巻いてさっさと逃げ出したらどうですか?」

「冗談いわないでよぉ。そんなことして協会ウチのカンバンに泥塗ったら、それこそ命がいくつあっても足りないわぁ」

「なるほど……お互いに立場は同じ、というわけですか。難儀なものですね。僕たちよ、ここへベニエ・フィデル・サバス


 イルマが二体の黒魔機人ゴーレムを召喚すると、すぐにエロウラも自身の周囲に十本の剣を呼び出した。


「まぁ、仕事はするけどアンタを助けるつもりはこれっぽっちもないから、自分の身は自分で守りなさいねぇ?」

「その言葉、そっくりお返しいたしますよ」


 砦に迫るオークたちは、城門の前にたつふたりの少女に気づいて、一様に下品な笑みを浮かべる。


「ゲヘヘヘ……。ナカナカ、美味ソウナ牝ドモダ。アイツラハ、殺サズニ捕エロ。戦ガ終ワッタアト、ブッ壊レルマデ犯シ尽シテヤル……」

「ガハハ、ソリャイイッ!」


 人間の男より二回りは大きい筋骨隆々の巨体を揺らして、オークたちが獰猛に笑った、その直後。


 シュイイィィィン──。


 空気を裂くかすかな音ともにエロウラの十本の剣が鋭く宙を飛び、軍団の先頭にいた十匹のオークの首を、いとも容易くね飛ばした。


「……エ?」


 一瞬、何が起こったのかわからず周囲で硬直したオークたちも、一秒後、先に逝った仲間たちとまったく同じ運命を辿る。


「ほらほらぁ、どうしたのぉ?」


 軽いをすませて剣を手元に戻したエロウラは、みずからのカラダを淫らに撫で回しながら、嗤う。


「そのデッカいイチモツでアタシたちを犯しまくってくれるんでしょぉ? はやくシてよぉ。待ちきれないわぁ♡」

「コ……、コノアマァッ!」


 にわかに激情にかられたオークたちが大地を揺るがして一斉に突進を開始すると、それが戦闘開始の合図となった。

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