第四十話 蛇の黒薔薇
「そろそろ着くはずだ」
街道をゆくベンズは、後ろに従う黒ずくめの男たちを振り返って、貧相な笑みを浮かべた。
ベンズ・ゴモン。
昨日、ネドの町でカイリを攫ったボルカスが彼女を売り渡そうとしたのが、この地方の闇奴隷市場を牛耳るこの男である。
ロンたちに手下を大勢倒され、ネドでの商売を台無しにされたベンズは、すぐさま報復のために傭兵を雇い、本日こうして白昼堂々ロンの居城を襲撃しにきた、というわけだ。
しかし、気が短く詰めの甘いベンズは、ボルカスたちを倒した青年の名と、その居場所までは掴んだものの、ロンの詳しい素性までは調べなかった。
よって、ロンがあの魔王ヴァロウグを倒した元勇者であることは知らない。
知っていれば、さすがの彼もこのような愚行に及ぶことはなかっただろう。
「へっ、このベンズ様の顔に泥を塗ったこと、あの世でたっぷり後悔させてやるぜ」
個性ゼロの、ケチな悪役そのもののセリフを満足そうに吐きながら、男は口角を上げる。
「お前さん方、野郎と一緒にいるっていう娘たちは殺さないでくれよ? みんな上玉らしいから、飽きるまでさんざん犯しまくってから、キッチリ高値で売っ払うつもりだからよ」
「……」
黒ずくめの男たちは、無表情に前方を見つめたまま、何も答えない。
無駄も隙も無い身のこなしと、放つ雰囲気からして、全員がそれなりの手練れであるのは、間違いない。
そんな彼らが突然、同時に足を止め、腰からズラリと剣を引き抜いた。
「っ!? どっ、どうした?」
いきなりビビりまくるベンズを、黒ずくめたちの先頭にたつ灰白色の髪の男が冷ややかに見据える。
「敵だ。向こうから来た」
「あ、あっちから来ただと……!」
ベンズは慌てて傭兵たちを盾にできる位置まで逃げ、恐る恐る街道の先を見つめた。
すると、まもなく。
森の木々の間から一匹のサキュバスが音もなく飛び出してきて、男たちから十歩離れた位置に降り立つ。
そして、その直後、
「おい、待てっていってるだろっ!」
いたって平凡な見た目の青年が、やはり森の中から勢いよく走り出てきて、街道の真ん中でハァハァと荒い息を吐いた。
「ロンちゃん、はやぁーい。でも、足の速い男はアッチも早い、って格言あるし、ちょっと複雑ねぇ」
「そんな格言ねえよ!」
「あれぇ、足の速い男はアレの回復も早い、だったかしらぁ? それならウレシイんだけどぉ♡」
「それもねえよ!」
全身隙だらけ、しかも丸腰のまましょーもない口論をはじめたロンを睨んで、ベンズが忌々しげに口を開いた。
「おい、てめえ……。てめえがロンか?」
「ん? そうだけど?」
ロンは振り向いて、アッサリ答える。
「そうか……。なら、てめえにはここで死んでもらうぜ」
「え? なんで?」
「てめえが、このベンズ様の顔に泥を塗りやがったからだよ。てめえが昨日、ネドの町で襲った連中は、俺様の手下だ。てめえは、この『奴隷王』ベンズ様の商売を台無しにしてくれたんだよ……」
「ああ、なるほど。お前、あのボロカスってやつの親分か」
ロンが納得顔で頷くと、ベンズがさっと表情を変えた。
「いやボロカスじゃねえ! ボルカスだ、ボ・ル・カ・ス! なんだボロカスって! あいつの親御さんが可愛い我が子にそんな酷え名前つけるわけねえだろがっ!」
急に怒り出した男は、やけに熱い口調でまくし立てる。
「いいか? 名前ってのはなあ、親が子の健やかな成長と幸福を願って、神様に祈りながら精一杯、考えに考え抜いてつけるモンだ。とても尊い、神聖なモンなんだよ。それを間違えるってのはなあ──」
「そうだな……お前の言うとおりだ」
己の過ちを理解したロンは、素直に謝った。
「悪かったよ、ベンザ」
「っ!? 俺はベンザじゃねえっ!」
「えっ。……ベンキ、だったか?」
「ベンキでもねえよ!」
「じゃあ……、ベン──」
「ベンジョでもねえって! ベンズだ、ベ・ン・ズ!!! クソッ、馬鹿にしやがってもう許さねえっ!」
にわかに怒りを爆発させたベンズは、ハゲかけた細長い頭に無数の青筋をたてながら、両腕を広げた。
「覚悟しろよ……こいつらは全員、元はあのガド商会にいた腕利きの傭兵たちだ。てめえも喧嘩自慢かもしれねえが、こいつらは格がちがう……。こいつらの手にかかれば、てめえなんぞ命乞いする間もなくあの世行きだ」
「
ベンズの言葉に先に反応したのは、エロウラだった。
「へぇ……でも、揃いも揃って知らない顔ねぇ」
腕を組んで傭兵たちの顔をゆっくり睥睨しながら、小馬鹿にした口調でいう。
「アタシのコトも知らないみたいだしぃ……まちがいなく雑魚ねぇ。大方、弱すぎて使えないからアッサリ
「あぁ? こいつ、何いってやがる……」
ベンズが怪訝な顔でいった時──、エロウラの胸の谷間のちょうど真上あたりが黒く変色していき、まもなく、そこにひとつの
魔刺青──文字どおり、職人が魔力を用いて彫り込む刺青のことで、普通の刺青とちがって本人の意思でいつでも自由に出したり消したりできる便利な代物である──が、それ自体は特段珍しいものではない。
問題は、エロウラの肌に現れたその刺青の図柄である。
無数の蛇が互いを喰らいながら大輪の黒薔薇を形作る、その美しくも恐ろしい画をひと目みた瞬間──、
『……ッ!』
傭兵たちが全員驚愕の、いや、凄まじい恐怖の表情を浮かべた。
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