第三十九話 淫魔の遊戯

 ネドの町へと続く街道から少し脇に入ったところにある、森の中の空き地。

 苔むした巨木の横たわるその場所で、美貌のサキュバスはいつものようにふわふわ宙に浮いたまま、ロンに愛想よく笑いかける。


「で、本当はさっきふたりで何話してたのぉ?」

「だから、ただの現況報告だって。何か変わったことはありますか? ありません。困ったことはありますか? ありません。で終わりだよ」


 ロンは、頭の後ろを掻きながら面倒臭そうにいう。


「ウソが下手ねぇ。あの男の話を聞いたらみるみる真っ青になって、今にも泣きそうになってたくせにぃ」

「なってねえよ!」

「あぁ、可哀そうなロンちゃん……。アタシのおっぱいで慰めてあげまちゅか? コレを夢中でチュパチュパしながら思いきりビュービューできたら、たいていの悩みは忘れちゃいまちゅよ?」 


 エロウラはいいつつ、豊かな乳房を片腕で持ちあげ、もう一方の手をウネウネと妖しく動かしてみせる。


「いっそそのまま、辛いばかりの現世にお別れして、アタシの絶技で文字どおりしちゃうってのも、悪くないわよねぇ?」

「悪いわ! 隙あらば俺を搾り殺そうとするなっ!」

「ウーン……、ツッコミがいつもより雑ねぇ。やっぱり何かあったんでしょぉ?」

「だから無いって!」


 思わずムキになってしまったロンは、これ以上の詮索を避けるために話を切り上げた。


「ほら、もう無駄話はやめだ。やるぞ鍛錬」

「やぁよぉ。もう何度もいってるでしょぉ?」


 エロウラは渋い顔で口を尖らせる。


「いまのアタシに必要なのは、剣の鍛錬なんかじゃないのぉ。アタシがここでヤるべきは、ロンちゃんのアレを搾って搾って搾り尽くして、それをぜぇんぶゴックンすることだけぇ。それで、修行完了ぉ。アタシはロンちゃんの「強さ」をすべて自分のモノにして、史上最強の《剣聖》になるのぉ」

「またその話か……」


 ロンは、ため息をつく。


「それはもう断っただろ。仮にお前の話が本当だったとしても、俺はお前ひとりを《剣聖》にするために命を捨てるつもりは、これっぽっちもない」

「ロンちゃん、よく考えてぇ? 普通のオトコが一生かかっても得られないほど凄まじい、地獄のような快感をたったひと晩で経験できるのよぉ? しかもそれでアタシを《剣聖》にできるんだから、オトコとして本望でしょぉ?」

「いやまったく。というか、自分で地獄っていっちゃってるし」

「あらぁ。天国への扉は地獄の底でのみ開く、って言葉知らないのぉ?」

「…………知らないな」

「知らなくて当然よぉ。アタシがいま考えたんだからぁ」

「なんだそりゃっ! とにかくっ、俺はお前に搾り尽くされて死ぬのなんて、まっぴらゴメンだ!」

「まぁまぁ。口ではそういっても……ほら、下のの意見はちがうみたいよぉ?」

「っ!」


 サキュバスの視線を追って、ロンは慌てて己の下半身を確認する。

 しかし、彼自身もさすがにまだ臨戦態勢にはなっていない(その兆候はあったが)。


「なんだよ……」


 ロンはほっと胸を撫でおろして顔をあげたが────視線の先に、そこにあるはずのサキュバスの姿が──無い。


「──捕まえたぁ♡」


 ほぼ同時、ロンの耳朶を甘い吐息がくすぐった。


「っ!?」


 いつのまにか背後に回り込んでいたエロウラが、ロンに抱きつき、その豊満すぎる胸を彼の背にぎゅうっと押し付ける。


「なっ!? 何をやって──」


 抵抗する暇もあらばこそ、密着したサキュバスの肉体から発散される濃厚なフェロモンを吸い込んだ瞬間、ロンの脳内が熱くしびれ、全身からみるみる力が抜けていく。


(うっ!? うごけない……!)


 棒立ちのまま硬直するロンの全身から、どっと冷や汗が噴き出す。


「ウフ……ひさしぶりだから、アタシも興奮してきちゃったぁ♡」

「馬鹿。やめろエロウラ、はなれろ……」

「イヤならサッサと逃げればいいでしょぉ? でも、そうしないってことは……ウフフフフ」


 嗜虐的にいうエロウラは、人間より少し長い舌を伸ばして、ロンの首筋に伝う汗をレロリ、と舐める。


「ぅくっ」

「フフ……やっぱり、すごぉく美味しい。アタシ、オトコの汗の味でアレの味もだいたいわかっちゃうの……。ロンちゃんのは、まちがいなく極上の逸品よ……」


 すぐさま呼吸を荒くしはじめたサキュバスは、何度も何度も舌を伸ばし、ロンの肌を伝う汗を一滴残らず舐め尽くしていく。


「う……ぁ」


 ぬらぬらと、紅い蛇のように蠢く舌に責められる度、ロンの全身に経験したことのない快感と麻痺が広がっていく。


(これはっ、本当にまずい……!)

「たまらないわぁ……もう、ガマンできない……。いいわよねぇ、ロンちゃん? ここで搾り殺しちゃっても、いいわよねぇ?」


 見開いた金眼に凶暴な情熱をたぎららせたエロウラは、ついにその恐ろしい指をロンのカラダに這わせ、一直線にそこへと向かわせる。


「やめろ……エロウラ……っ」

「ダメぇ……もう止められなぁいっ!」

「うぁっ」

「ロンちゃんっ、はやくっ……ちょうだいっ……。一滴のこらず、ぜんぶアタシにっ……」

「くぅ!」

 

 ロンは、淫魔の肉体から注がれる暴力的な快感に抗うため、血が滲むほど強く唇を噛みしめた。

 そして、

「いい加減に、しろ……!」


 痛みでわずかばかりの理性を取り戻し、エロウラの腕を掴もうとした、その時──少女のほうが先に手を引いて、体を離した。


「えっ……」

「……邪魔が入っちゃった。今日はの多い日ねぇ」


 サキュバスは、街道のほうを見つめながら、つまらなそうにいう。


「──ッ!」


 直後、ロンも街道をこちらに近づいてくる多数の気配に気づいて、口を歪めた。


(くっ、本当だ……。俺としたことが、弟子に先に気づかれるとは情けない……)

「数は十。全員、人間の男ね」


 エロウラは、落ち着いていう。


「……ああ」


 近づいてくる連中は殺気を隠そうともしていないから、たしかにで間違いなさそうだ。


「エロウラ……お前はここで待ってろ」


 ロンが厳しい声で命じると、


「やぁよぉ」


 エロウラは、あっさりそれを拒否した。

 

「実戦に勝る修行はないでしょぉ? アイツらには、アタシのを邪魔した罰をキッチリ受けてもらいまぁす」

「おい、遊びじゃないんだぞっ!」

「遊びよぉ。アタシにとっては、ね──」


 言うが早いか、エロウラはその場で高く舞い上がり、獲物を見つけたタカの勢いで一直線に街道のほうへ飛び去っていく。


「くそっ!」


 一拍遅れて、ロンも少女を追って全力疾走をはじめた。

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