第三十八話 闇の再来
翌日。城の中庭。
「あっはっは。その顔をみるかぎり、どうやら彼女たちともすっかり打ち解けて、とても充実した日々を送っているみたいですね、アルクワーズさん」
連絡もなしにいきなり城を訪問してきたウェン・べリアレイズは、ロンのひどく腫れあがった顔を見た途端、朗らかに笑った。
カラド王国の元老院議員であることを示す純白のローブを着たこの男こそ、甘言を
「打ち解けた、というより、打ちのめされたんだが……」
ロンは恨めしそうにいいつつ、ジト目を返す。
「あっはっは。また上手いこと言いますね」
ウェンは、笑顔を崩さずにさらりと流す。
「いや笑い事じゃないんだが。下手したらマジで死んでたかもしれないんだが」
中庭にいる七人の少女たちは、適当に剣の素振りなどしながら珍しい客を遠巻きに眺めている。
「そんなこといっても、どうせ夜中に我慢できなくなって彼女たちのひとりに手を出して返り討ちにあった、とかそんなところでしょう? 自業自得ですよ」
「うっ」
当たらずとも遠からずな指摘に、ロンは思わず顔を引きつらせる。
それを見たウェンは、目を見開いて大袈裟に仰け反った。
「えっ、冗談のつもりだったのに、まさか本当に純粋無垢な彼女たちを手ごめにしようとしたのですか? 信じられません。サイテーですね。失望しましたよ」
「ち、ちがう! カン違いするな。向こうから迫ってきたんだ!」
「向こうから求めてきたのなら、どうしてあなたが殴られたのです?」
「だから、それは……」
ロンが説明に窮していると、まもなく、ウェンはひょいと肩をすくめて少女たちのほうへ視線を移し、そっけなく言った。
「ま、そんなことはどうでもいいのですけどね」
「は?」
「僕があなたに望むのは、ここで才能豊かな彼女たちをしっかり鍛え上げ、《剣聖》と呼ぶに相応しい実力を身につけさせることのみ。その目標さえ達成してもらえるなら、あなたが彼女たちと個人的にどのようなカンケイを結ぼうと、関知いたしません」
「……いいのか、それで?」
「結構ですよ。あなたもまだお若い。彼女たちは、揃いも揃って目の醒めるような美少女ばかりだし、あなたがそのような欲求にかられるのも致し方ありません」
「いやっ、俺は──」
「ところで、」
言いかけたロンを無視して、ウェンは中庭の端に立ってこちらを真直ぐ見つめるキヤを指差した。
「あれは、誰です? 僕の知らない子ですが」
「あ? ああ。あれは……キヤだ。近くの村の子だよ」
ロンは、こんな時のために考えていた出まかせを口にした。
キヤは、存在そのものが
間違っても、この国の元老院議員にその正体を明かすことはできない。
「どこで話を聞いたか、この俺から剣を学びたい、って突然訪ねてきたんだ。まあ、いまさら弟子がひとり増えたところでやることは変わらないから、鍛えてやってる」
「へえ……」
ウェンは、琥珀色の目を細めて黒髪の少女をじっくり観察しながら生返事をした。
ロンの言葉を信じたのかどうか、その端正な横顔からは判断がつかない。
「まあ……そういうことなら、いいでしょう。ただ、事前にこちらに相談してほしかったですね。この計画は極秘というわけではありませんが、まだ公にしているわけでもありませんので」
「そうか、わかった。次回からはそうする」
すまし顔でいうロンを横目でみてウェンはひとつ頷いたあと、ふと、何かを思い出したような表情をみせた。
「あっ、そうそう。今日わざわざここへやってきたのは、我々がひとつ、あまりよろしくない情報を掴んだからなのですよ」
「情報?」
「はい。最近になって、アンヴァドールの一氏族がまた不穏な動きをみせており……どうやら、ふたたび
「っ!?」
ロンが思わずカイリの方へ目をやると、ウェンは首を振った。
「もちろん、ゼーラ氏族ではありませんよ。五氏族の中ではもっとも穏健派の彼らが真っ先にこちらを裏切ることはないでしょう。こうして族長の娘のひとりを我々に預けてくれていますし、そもそも、この情報を渡してくれたのも彼らなのですから」
「……じゃあ、どこだ?」
「イグニア氏族です」
「あいつらか……」
ロンは、苦い顔で呟く。
イグニア氏族。アンヴァドールの五大氏族の中ではもっとも勢力が小さいものの、非常に好戦的なことで知られていて、五年前の戦争でも魔族の降伏に最後まで反対していたといわれている。
「ここ数年の間にかの氏族は世代交代が進み、タカ派の色合いをさらに強めています。戦争を知らない若い魔族たちの間で支持を拡大していて、きっかけさえあれば一気に五氏族を束ねる最大勢力ともなりかねません。族長の名は、サーレイ・レガ・イグニア。何でも、その男の剣の腕は超一流で、支持者たちからは『魔王ヴァロウグの再来』とまでいわれているとか……」
「……っ」
ヴァロウグの名を耳にしたロンは、思わず表情をこわばらせた。
それをみて、ウェンは口角を吊り上げる。
「どうです? ヴァロウグを倒しこの世に平和をもたらした元勇者としては、ちょっと無視できない情報ではありませんか?」
「…………」
この場の空気には不似合いな、朝の爽やかな風がふたりの間を吹き抜けていく。
まもなく、ロンはきつく固めていた拳をゆっくりと開いて、
「いいや。べつに」
不機嫌そうにいった。
「とっくの昔に引退した俺には関係のない話だ」
「なんとっ!」
ウェンは、わざとらしく驚いてみせる。
「興味がないというのですか? この世界をふたたび地獄へと変えてしまうかもしれない邪悪な敵を、みすみす見逃すと?」
「ああ」
「勇者ロン・アルクワーズにしか倒せぬ強敵だとしても、ですか?」
「俺を買いかぶりすぎだ。たとえ、万が一、そいつが本当にヴァロウグ並みに強いヤツだったとしても、倒せる者は他にいるさ。こうして、次代の《剣聖》候補たちも育っていることだし」
ロンが冷めた口調でいうと、ウェンは頷いた。
「ええ。僕も、彼女たちがあなたをも超える剣の使い手になる可能性は充分あると考えています。ですが、それはまだ少し先の話です。いまはまだ、この世界はあなたを──勇者ロン・アルクワーズを必要としている」
「そんなことはない。そもそも、この俺に世界を救う力なんてない」
「…………それが、」
ウェンはふいに、その瞳から皮肉な色を消して、ロンの顔をじっと覗きこんだ。
「あなたの答えですか。もう二度と戦うつもりはない、と」
「ああ、そうだ」
ロンがあっさりいうと、ウェンは、視線を逸らせてちいさく鼻を鳴らし、つまらなそうに彼方の青い山々を見やった。
「やはり……あなたにふたたび剣を握らせるのは難しいようだ。仕方ありません。他の手を考えますよ」
「そうしてくれ」
「…………」
中庭にいる誰も気がつかなかったが、この一瞬、ウェンの眼の奥で昏い狂気の影が蠢いた。
「今日の決断を、あなたが後悔する日が来なければいいですが」
「どういう意味だ?」
「べつに、そのままの意味ですよ」
薄い笑みを返したウェンは、挨拶もなしにくるりと踵を返し、来た時と同様、王族のような優雅な足取りで中庭を出ていった。
「……ヴァロウグの再来、だと? 眉唾もいいところだな」
己に言い聞かせるように呟いたあと、ロンはどこか不安そうな顔の少女たちのもとへ足早に歩いていった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます