第四十一話 淫魔の正体
「フフ……どうやら、コレが何かくらいは知ってるみたいねぇ」
傭兵たちの反応をみて、エロウラは満足そうに目を細める。
同時、彼女の全身からぶわり、と魂まで凍てつかせるほどの禍々しい闘気が発散され、男たちを圧倒した。
「この女、まさか……っ!」
「聞いたことが、ある……。わずか数年で
「せぇーかぁい♪」
「だ、だがっ、そんな奴が、なぜこんなところに……?」
「さぁ、なんでかしらねぇ?」
愉快そうに首を傾げる少女を横目でみて、ロンはちいさく息を吐いた。
(やっぱりか……)
ロンは、エロウラが入れた魔刺青を知っていた。
その名は、
それが示すのは、それを持つのが完全実力主義のガド商会の頂点に君臨する者──僅か三名しかいない最高幹部の一人である、ということだ。
ロンは、これまでに彼女が垣間見せた実力から判断して、恐らくそうだろうと考えていたが……。
「アンタたち、きちんと相手をみて仕事を選ばないと、命がいくつあっても足りないわよぉ?」
『…………ッ』
かつて商会に所属していたという傭兵たちは、剣を構えたまま微動だにしない。
──いや、できないのだ。
おそらく、彼らにもわかっている。
戦うか、逃げるか──今すぐどちらの選択を取っても、その先に待っているのは己の死だけだ、ということが。
「ハッ! 何が協会の最高幹部だ、そんなわけねえだろっ! あんな刺青ただのハッタリに決まってる!」
いまだエロウラの実力を悟れず、ひとりだけ余裕たっぷりのベンズが、傭兵たちを睨みつけた。
「おいっ、どうしたお前たち! こっちは高い金払ってんだ! あんな奴らさっさと──」
不機嫌そうに言いかけた、その時。
すぐそばにいた傭兵の一人が振り向きざまに剣を一閃させ、ベンズの首を容易く、瞬時に刎ね飛ばした。
「あらぁ……」
口を半開きにした間抜けな表情のまま、クルクル宙を舞ってベチャリ、と地面に落ちたベンズの生首を見やって、エロウラは皮肉っぽく片眉をあげる。
「大事な依頼主をそんな簡単に殺しちゃダメじゃなぁい」
「これで、」
先頭にたつ灰髪の男は、かすかに震える低い声でいった。
「お前たちを狙う者は、いなくなった……我々は、このまま去る」
「だから見逃せってぇ?」
エロウラは嗤い、無防備な姿勢でふわりふわり宙を漂いながらゆっくりと男たちに近づいていく。
「ま、もう
灰髪の男の眼前で止まったエロウラは、石のように固まった彼に顔を寄せて、ニッコリ笑った。
「左眼を
『…………』
あまりにも理不尽かつ冷酷な命令だったが、男たちは誰ひとり反抗の意思を示さない。
むしろ、わずかだが安堵の表情さえみせた。
彼らにはわかっているのだ。
これは、不運ではなく幸運。
エロウラが示したのは、
「……わかった」
まもなく、男たちは諦念をにじませながら剣を鞘に納め、片手の五指を己の左眼にあてた。
エロウラは、その眼に冷艶な狂気を宿らせたまま、これまで見たどの瞬間よりも美しく微笑する。
そして──、傭兵たちが覚悟を決め、みずからの指で己の眼を抉り出そうとした、その時。
「やめろ。もう十分だ」
ロンが静かに口を開いた。
「そこまでする必要はない。行け。もう二度と姿を見せるな」
「ダメよぉ、ロンちゃん」
エロウラがその美貌に笑みをはりつけたまま、横目で振り返る。
「悪い子にはちゃぁんと罰を与えなきゃぁ」
「その必要はない。こいつらはプロだ。同じ過ちは繰り返さない」
「だとしてもぉ、このまま帰したらツマラナイでしょぉ?」
「エロウラ。俺がやめろと言っているんだ」
いった直後、ロンの全身から暗黒色の凄絶な闘気が立ち昇る。
もちろん、それは目に視えるものではなく、並の人間が知覚できるモノではない。
だが、ここにいる傭兵たちは、並ではない。
(こ、この男もバケモノだ……ッ! オレたちとは、格がちがう……ッ!)
全員揃って同じ考えを抱いた彼らは、恐怖に目を見開いたまま息を止め、じりじりと後退りをはじめる。
しかし、エロウラだけは少しも動じず、
「イヤだといったらぁ?」
ロンに背を向けたまま、間延びした声でいった。
同時──虚空より音も無く召喚された九本の剣の刃が、精確に傭兵たちの頸動脈に当てられる。
『うッ!?』
「ロンちゃんにアタシを止められ──」
少女が言い終わらぬうちに、ロンの姿がこの場にいる全員の視界から、消える。
『──ッ!』
刹那の後、ロンが出現したのは、エロウラの傍ら。
いつでも、一瞬で彼女を気絶させられる位置に手刀を構えて、立っている。
まさに、人智を超えた神速。
傭兵たちには、ロンの動きがまったく捉えられなかった。
だが──エロウラは別だ。
「やっぱり、はやぁーい♪ ……でも、思ったほどじゃないわねぇ」
嘲りの口調でいうサキュバスを睨んだロンは、
「──ッ!?」
直後、彼女が召喚した十本目の剣が、己の首筋にピタリと当てられていることに気づいて、戦慄する。
(このタイミング……、俺の動きに気づいてから剣を召喚したんじゃない……)
(とすれば、コイツはあの刹那に俺の動きを寸分違わず読み切っていた、ということかっ……!)
「ね? アタシに鍛錬なんて必要ないって、コレでわかったでしょぉ?」
サキュバスが魅力的なウインクをしたのと同時、彼女が召喚した十本の剣がすべて、一瞬のうちに虚空に溶け消え、異次元へと還った。
『…………』
ロンも含めて、この場にいる男全員がまだ動けずにいる中で、エロウラひとりは冷たく嗤いながらその細い指でロンの顎をつかむ。
「だ・か・らぁ。ロンちゃんが、アタシのためにデキるコトはひとつだけなのぉ♡ その覚悟ができたら、いつでもアタシの部屋に来てねぇ♡」
それだけいうと、ふいに、彼女は空へと舞い上がり、
「お、おい! 待てエロウラッ!」
慌てたロンの制止も聞かず、ひとりでいずこかへと飛び去っていく。
『…………』
この場に取り残された男たちは、いまだ放心状態で棒立ちになったまま、みるみる小さくなっていくサキュバスの後ろ姿をただ見送ることしかできなかった。
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